団員の声(感想文)

湾生なのに台湾のことを何も知らなかった

第八班 久野班 江藤憲一

話を個人的な事から始めさせていただきます。

慰霊訪問の旅に出る10日前、高校の同級生が毎年集まる同窓会に参加する為、私は熊本にいました。関東、関西からも熊本にやって来る会です。その参加者の中にトカラ列島から熊本まで、丸一日かけて参加しているK君がいました。彼とは3回目の再会でした。彼は定年後間もなく妻に先立たれ、続いて一人息子が病死。ショックで一時は生きる力を失った状態であったと聞かされていました。その彼が、日本の島のどこかに住んでみたいと各地を探した結果、最終的に鹿児島市に相談。住居も市が提供するし、自給自足の生活をしてみないかと言われ、即実行したのが、トカラ列島での生活でした。彼は、トカラのヘミングウェイになるという心意気で100名位しか住んでいない、しかもお年寄りばかりの中で、78歳なのに青年と呼ばれる生活をしています。

その彼が、高校で学ぶ中でいつも目にしていた「敬天愛人」はキリスト教だけではなく、西郷隆盛の心の柱であったと現地で学んだと言っていました。その子、菊次郎が台湾で随分と活躍し、祀られているらしいよと教えてくれました。その菊次郎の郡守徳政碑を拝むことが出来、本当に嬉しかったです。考えてみれば、奄美からは台湾はすぐ近くの島です。

次なる個人の話ですが、昭和15年12月に台中州南投縣埔里で私は生まれました。定年後、台湾に5回行きましたが、3万3千余柱の台湾人が、日本人として死んでいる真実は、今回の慰霊訪問で初めて知ることが出来ました。湾生の自分が台湾のことを何も知らなかったことを改めて反省させられました。幸いにも記念すべき第20回目の慰霊訪問の旅に初めて参加することが出来ました。

第1次訪問の時に、日月潭を目指していたバスが事故になり、その時助けて下さった方と小菅団長のつながりを学習資料で知り、運命的出会いに感激致しました。小生5歳まで日月潭のすぐ近くに住んでいて、幼心にも同所は美しい所という思い出があり、色々な事が繫がりました。

宝覚禅寺は別名「台湾の靖國神社」と呼ばれているそうで、霊安故郷と刻まれる碑には3万3千余柱の英霊が祀られており、11月25日には毎年慰霊祭が行われている事も、今回の旅で初めて知ることが出来、良かったと思います。

4泊5日の慰霊訪問の行く先々で大歓待を受けた裏には、台湾人が日本を好きという言葉だけでは済まされない、小菅団長のすごい熱意とリーダーシップに加え、サポートされる皆様の強い協力があってのことだと感じ、感謝の気持ちでいっぱいです。

最後に、台湾の置かれている立場の大変さについて考えさせられました。中華民國に変わる言葉があれば、中華人民共和国に包含されず、中華思想から逃れられ、台湾として独立した国連の一員となれると思うのは私の甘い考えでしょうか。皆様のお知恵は如何ですか。

第20次 団員の声(感想文)全38件

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