団員の声(感想文)
訪問を重ねる毎に学びと交流が深まっていくことを実感
第七班 鬼塚班 大石憲
私が台湾慰霊訪問団に参加するのは今回が3回目になりました。
この慰霊訪問の旅が今回で第20次という節目を迎えたことで、小菅団長はじめ事務局、関係各位の皆様に対して感謝と尊敬の念を抱かずにはおられません。これまで20年間続けてこられたそのご苦労は大変なものであったと思います。
今回も台湾の方々が熱烈な歓迎をして私達訪問団を温かく迎え入れて下さいました。昼食会や夕食交歓会では台湾の方々と楽しく歓談させていただきました。台湾の方々は私達訪問団のメンバーと1年ぶりにお会いするのが待ち遠しくて仕方がないといった感じで満面の笑顔で再会できた喜びを表わしておられました。
11月25日に行われました宝覚寺での慰霊祭に参列致しましたが、いつになく日本と台湾の絆をしみじみと感じました。慰霊祭終了後、台湾の90歳になられる男性の方とお話致しましたが、日本統治時代を昨日のことのように懐かしく語られるお姿が印象に残っております。
同日午後は台湾の靖國神社といわれる南天山濟化宮に行きましたが、天井の高い所までびっしりと数多く並べられた位牌をみて、この戦死者の方々のことを語り継いで行かなければという思いになり、慰霊と顕彰の大切さを感じました。
11月26日には宜蘭川の河畔にある西郷庁憲徳政碑への献花式に臨みました。西郷菊次郎が西郷隆盛の子であることは知っていましたが、その業績については全く知りませんでした。この機会に西郷菊次郎のことを調べましたところ、宜蘭川堤防を作るなど台湾の治水事業は勿論、道路の整備や産業の発展など台湾の近代化に大きく貢献した人物であることを知り、西郷菊次郎のように自己犠牲を厭わず台湾のために尽くした偉大な人物がたくさんおられたからこそ、台湾の方々が今日に至るまで日本への感謝を忘れず、日本を愛して下さるのだと思いました。
慰霊訪問団への参加も回数を重ねる毎に学びと交流が深まっていくことを実感した今回の旅でした。台湾の方々の日本への熱い思いを忘れず、今後も日台の交流のためお役に立てればと思います。
第20次 団員の声(感想文)全38件
- 「学習資料」により知識を深めた(横尾秋洋)
- 台湾慰霊訪問団が誕生して20歳(はたち)になりました(田中道夫)
- 小菅団長を支える支柱として慰霊訪問団を継続する決意(原田泰宏)
- 毎回忘れがたい感動と思い出がある(富原浩)
- 11月22日は『台湾慰霊訪問の旅』と教えてあげましょう(田口俊哉)
- 百聞は一見にしかず(大山猛)
- 台湾と英霊(高橋幸久)
- 数々の節目の年に参加できて感謝(榊原みどり)
- 胸をえぐられた 周良仁会長の「皆さん後を頼む!」のひとこと(柴﨑一郎)
- 平成の御世、最後の慰霊訪問の旅(倉田光男)
- 「独立自尊」を教えられた旅(湯下雅俊)
- 「7班」と書かれたプレートのお蔭で生まれた小さな交流(鬼塚曜)
- 英霊の御霊のお陰様で、私たちの暮らしがある(久野貴子)
- 大きな達成感と清々しい気持ちで帰宅(岩附辰夫)
- 海の彼方のニッポンを訪ねて(牧之瀬千保子)
- 夢に出てきた森川巡査(根之木昭憲)
- 台湾の地なら今後も訪れたい心境です(真栄田強)
- 台湾における慰霊の在り方やその継続性について考えさせられた(堀明彦)
- 人のために生きる心が足りていない(宮﨑勇気/専修学校2年)
- 初めてだった父との二人旅(江藤敏伸)
- 今の自分に出来ることは、継続してこの旅に参加すること(木下栄次)
- 国を愛し、家族を愛し、頑張らなくてはと痛感(中山雄夫)
- 世界から尊敬される日本国に蘇らせなければならない(松永達始郎)
- 残念だったのはいつもお会いする方々と再会できなかったこと(本間潤子)
- 「歴史を知らない自分に気づかされた」大発見の旅(森澤満子)
- 尊敬される国に戻りたい(茅野櫻/中学3年)
- 私達にもできること(茅野慧/中学1年)
- 慰霊訪問の主旨が理解でき、感激もひとしお(石橋三之助)
- 将来の日本国の危機を想う(道崎光義)
- 慰霊訪問への参加が私の価値ある生き方と確信(津田建一)
- 第20次台湾慰霊訪問の旅が意味するものとはなにか(福田章枝)
- 生かされている限り参加したい台湾慰霊訪問の旅(久保山一雄)
- 生まれて初めての「天皇陛下万歳」の三唱に感動(宮地惠津男)
- この慰霊訪問こそ子供達の修学旅行に相応しい(宮地芳子)
- 訪問を重ねる毎に学びと交流が深まっていくことを実感(大石憲)
- 台湾慰霊の旅を終えて(泉邦芳)
- 湾生なのに台湾のことを何も知らなかった(江藤憲一)
- あの感動は言葉では表わせません(井口保二・井口婦美子)