団員の声(感想文)
台湾と英霊
統制 高橋幸久
平成30年11月の第20次台湾慰霊訪問の旅には、前回に続き2回目の参加になりました。前回は2泊3日のBプランでしたが、今回は4泊5日のAプランに参加しました。この旅を通じて多くのことを学びましたが、ここでは、感想だけでなく記憶に留めておきたいことを一部ですが記載したいと思います。
今回の全行程のキーワードを以下に示します。
22日
台北:忠烈祠、台湾日本関係協会主催歓迎夕食会(張淑玲)、三德大飯店泊
23日
台南:奇美博物館(許文龍)、安平古堡(鄭成功)、海尾朝皇宮(保正大帝)、飛虎将軍廟(杉浦茂峰)
高雄:保安堂(高田又男、第38號哨戒艇“よもぎ”)、蓬38號艦英霊返郷団主催歓迎夕食会(張吉雄)、華王大飯店泊
24日
屏東:龍安寺先鋒祠(樋口勝見)、東龍宮(田中綱常)、阿達漁港
台南:古蹟後壁黄家(黄崑虎)
台中:台日友好協会主催夕食会(何月桂)、全国大飯店泊
25日
台中:宝覚寺(日本人墓地、霊安故郷碑、英魂観音亭)、台湾台日海交会主催歓迎昼食会(周良仁)
新竹:南天山濟化宮(原台湾人元日本兵軍人軍属戦沒者4万余柱)
台北:黄文雄先生主催歓迎夕食会(紫都)、三德大飯店泊
26日
宜蘭:西郷庁憲徳政碑(西郷菊次郎)
台北:台日文化経済協会主催歓迎昼食会(杜恆誼)
上記の行程の全てが感動の連続ですが、元軍人の方と日本語で話すことは最も感動的なことの一つです。23日の奇美博物館からバスの駐車場まで徒歩で移動中には90歳を越えた2人の元日本軍人に声を掛けて戴きました。
25日の濟化宮では、蕭鸞飛(しゅうらんひ)さんという方がお孫さんと思われる方と、我々訪問団がこの日時にこの地に来るのを待っていて下さいました。日本人と全く変わらない日本語で、日本名はカワタムツオ、第1次陸軍特別志願兵制度により日本軍人となり、バリ島で戦ったことを話されました。年號對照表、台湾略年表、北埔地区の古跡図を資料として持参し、我々に渡してくれました。今回初めて訪問団と面会したそうです。我が訪問団の第一義的目的は大東亜戦争で日本兵として亡くなられた台湾人3万3千余柱に日本人国民として追悼と感謝の誠を捧げ、顕彰することですが、この目的の下、20年連続して行なった訪問団の行為が、ここで面会するという奇跡を生みました。蕭さんが73年間この時を待っていたのかと思うと、込み上げるものがあります。時間の関係でこの地での滞在時間が短くなり残念でしたが、来年もここでお会いしなければなりません。
23日の保安堂では、入場路に整然と旭日旗が並び、艦長以下145名の英霊全ての氏名が記された提灯が堂の横に、同じく幟旗が堂の周りに掲げられていました。懇親会場での現地の方々の歓迎ぶりは誠心のこもったものであり、真の国家間の友情を感じました。
慰霊式や献花式、歓迎会等では、前回お目にかかった人に1年ぶりにお会いしますと、懐かしい感覚を覚えましたが、前回参加の方が欠席していますと、戦後73年が経過したことを痛感しました。
日清戦争の後、明治28年(1895)から日本国となった台湾は、昭和20年(1945)8月の日本敗戦により、中華民国に接収されました。その後、日華和平条約が昭和27年(1952)に締結され、中華民国(台湾)と日本は国交を結びましたが、昭和47年(1972)に破棄されたので、現在、日本と台湾の国交は断絶しています。しかしながら、台湾人は50年間日本人と同じ教育を受け、日本精神を共有しており、大東亜戦争で散華された共通の英霊の存在のお蔭で、日本と正式な国交が無くても誠心のこもった交流を続けています。世界情勢が混沌とする中、こんな誠心があるかぎり日本と台湾は同胞、戦友であり続けることが出来ます。これは大変有り難いことです。
この旅では多くの学びがありますが、小菅団長からバスの移動中に説明のあった以下の和歌に我が訪問団の目的が凝縮されています。
益荒男の 悲しき命 積み重ね 積み重ね守る 大和島根を
英霊が領土を守るために戦い、多くの犠牲の上に、今の日本国があることを忘れてはいけません。そして、英霊顕彰は祖先と国を愛する心を育む基本であり、子孫に引き継いでいかなければなりません。
日台の 生命(いのち)の絆 死守せむと 吾 日本の一角に起つ
英霊顕彰の行為なくして誠の兄弟(家族)交流なく、その絆と広がりなくして日台両国の国交回復なし
我が訪問団の信条であるこの標語の意味を噛み締める5日間の旅でした。
第20次 団員の声(感想文)全38件
- 「学習資料」により知識を深めた(横尾秋洋)
- 台湾慰霊訪問団が誕生して20歳(はたち)になりました(田中道夫)
- 小菅団長を支える支柱として慰霊訪問団を継続する決意(原田泰宏)
- 毎回忘れがたい感動と思い出がある(富原浩)
- 11月22日は『台湾慰霊訪問の旅』と教えてあげましょう(田口俊哉)
- 百聞は一見にしかず(大山猛)
- 台湾と英霊(高橋幸久)
- 数々の節目の年に参加できて感謝(榊原みどり)
- 胸をえぐられた 周良仁会長の「皆さん後を頼む!」のひとこと(柴﨑一郎)
- 平成の御世、最後の慰霊訪問の旅(倉田光男)
- 「独立自尊」を教えられた旅(湯下雅俊)
- 「7班」と書かれたプレートのお蔭で生まれた小さな交流(鬼塚曜)
- 英霊の御霊のお陰様で、私たちの暮らしがある(久野貴子)
- 大きな達成感と清々しい気持ちで帰宅(岩附辰夫)
- 海の彼方のニッポンを訪ねて(牧之瀬千保子)
- 夢に出てきた森川巡査(根之木昭憲)
- 台湾の地なら今後も訪れたい心境です(真栄田強)
- 台湾における慰霊の在り方やその継続性について考えさせられた(堀明彦)
- 人のために生きる心が足りていない(宮﨑勇気/専修学校2年)
- 初めてだった父との二人旅(江藤敏伸)
- 今の自分に出来ることは、継続してこの旅に参加すること(木下栄次)
- 国を愛し、家族を愛し、頑張らなくてはと痛感(中山雄夫)
- 世界から尊敬される日本国に蘇らせなければならない(松永達始郎)
- 残念だったのはいつもお会いする方々と再会できなかったこと(本間潤子)
- 「歴史を知らない自分に気づかされた」大発見の旅(森澤満子)
- 尊敬される国に戻りたい(茅野櫻/中学3年)
- 私達にもできること(茅野慧/中学1年)
- 慰霊訪問の主旨が理解でき、感激もひとしお(石橋三之助)
- 将来の日本国の危機を想う(道崎光義)
- 慰霊訪問への参加が私の価値ある生き方と確信(津田建一)
- 第20次台湾慰霊訪問の旅が意味するものとはなにか(福田章枝)
- 生かされている限り参加したい台湾慰霊訪問の旅(久保山一雄)
- 生まれて初めての「天皇陛下万歳」の三唱に感動(宮地惠津男)
- この慰霊訪問こそ子供達の修学旅行に相応しい(宮地芳子)
- 訪問を重ねる毎に学びと交流が深まっていくことを実感(大石憲)
- 台湾慰霊の旅を終えて(泉邦芳)
- 湾生なのに台湾のことを何も知らなかった(江藤憲一)
- あの感動は言葉では表わせません(井口保二・井口婦美子)