団員の声(感想文)
生まれて初めての「天皇陛下万歳」の三唱に感動
第六班 岩﨑班 宮地惠津男
桃園空港到着後、到着ロビーで記念撮影する時に、何気なく横を見ると我那覇真子さんがおられて、思わず二度見した。
班長が、おおらかな人(適当な人?)で救われた。
とにかくハードだ。常日頃午後9時には就寝しているので、特に2日目の深夜までの夕食会が辛かった。
ガイドの鄭さんが良かった。人柄がすごく良いのが分かった。
1日目のバスのスピーカーの調子が良くなくて、団長のお話が何を言っているのか分からないどころか、頻繁に「キーン」と金属音がして、殆ど拷問に近かった。(笑)バスの2号車から悲鳴が上がっていた。
新幹線の移動が良かった。乗り心地最高!後期高齢者の方が4日目の新幹線によくぞみんな間に合ったものだと、今でも感心する。特に3人娘(老婆?)たち。
各慰霊式、献花式では、それぞれ心が熱くなった。
生まれて初めて「天皇陛下万歳」を三唱して、感動した。
4日目台北駅からのバスに、台湾人の写真の売り子のような人が乗っていて、極悪非道の五郎丸(笑)に叩き出されようとしていたところ、団長の「そういう商売でしょう、私たちの写真より写りは良いですよ」との優しい言葉に感動した。台湾人の為になると思って1枚買った。
黄文雄先生の夕食会が一番楽しかった。
桃園空港で、我那覇隆裕さんと握手していただき嬉しかった。
福岡空港に到着し、やっと帰れると思ったら、解散式とまたまた集合写真撮影があり、家に帰ったのが深夜であった。あ~、疲れた、お疲れさま。
第20次 団員の声(感想文)全38件
- 「学習資料」により知識を深めた(横尾秋洋)
- 台湾慰霊訪問団が誕生して20歳(はたち)になりました(田中道夫)
- 小菅団長を支える支柱として慰霊訪問団を継続する決意(原田泰宏)
- 毎回忘れがたい感動と思い出がある(富原浩)
- 11月22日は『台湾慰霊訪問の旅』と教えてあげましょう(田口俊哉)
- 百聞は一見にしかず(大山猛)
- 台湾と英霊(高橋幸久)
- 数々の節目の年に参加できて感謝(榊原みどり)
- 胸をえぐられた 周良仁会長の「皆さん後を頼む!」のひとこと(柴﨑一郎)
- 平成の御世、最後の慰霊訪問の旅(倉田光男)
- 「独立自尊」を教えられた旅(湯下雅俊)
- 「7班」と書かれたプレートのお蔭で生まれた小さな交流(鬼塚曜)
- 英霊の御霊のお陰様で、私たちの暮らしがある(久野貴子)
- 大きな達成感と清々しい気持ちで帰宅(岩附辰夫)
- 海の彼方のニッポンを訪ねて(牧之瀬千保子)
- 夢に出てきた森川巡査(根之木昭憲)
- 台湾の地なら今後も訪れたい心境です(真栄田強)
- 台湾における慰霊の在り方やその継続性について考えさせられた(堀明彦)
- 人のために生きる心が足りていない(宮﨑勇気/専修学校2年)
- 初めてだった父との二人旅(江藤敏伸)
- 今の自分に出来ることは、継続してこの旅に参加すること(木下栄次)
- 国を愛し、家族を愛し、頑張らなくてはと痛感(中山雄夫)
- 世界から尊敬される日本国に蘇らせなければならない(松永達始郎)
- 残念だったのはいつもお会いする方々と再会できなかったこと(本間潤子)
- 「歴史を知らない自分に気づかされた」大発見の旅(森澤満子)
- 尊敬される国に戻りたい(茅野櫻/中学3年)
- 私達にもできること(茅野慧/中学1年)
- 慰霊訪問の主旨が理解でき、感激もひとしお(石橋三之助)
- 将来の日本国の危機を想う(道崎光義)
- 慰霊訪問への参加が私の価値ある生き方と確信(津田建一)
- 第20次台湾慰霊訪問の旅が意味するものとはなにか(福田章枝)
- 生かされている限り参加したい台湾慰霊訪問の旅(久保山一雄)
- 生まれて初めての「天皇陛下万歳」の三唱に感動(宮地惠津男)
- この慰霊訪問こそ子供達の修学旅行に相応しい(宮地芳子)
- 訪問を重ねる毎に学びと交流が深まっていくことを実感(大石憲)
- 台湾慰霊の旅を終えて(泉邦芳)
- 湾生なのに台湾のことを何も知らなかった(江藤憲一)
- あの感動は言葉では表わせません(井口保二・井口婦美子)