団員の声(感想文)
私達にもできること
第二班 柴﨑班 茅野慧/中学1年
私がこの台湾慰霊訪問の旅に参加するのは今年で2回目です。2回目なので去年と違う見方で訪問することが出来ました。また、2回目で慣れていたけれど、やはり台湾に行くと改めてすごいなと思うことが多かったです。
特に私がすごいと思ったのは、まず台湾の方々が上手な日本語を話されることです。台湾ではどのお寺に行っても、どこの食事会に呼ばれても、ほとんどの方が上手な日本語を話されていました。その中には、今の日本人の知らない「教育勅語」や「軍人勅諭」などを暗唱している人もいました。台湾の方々は日本のことを本当に信頼してくれていて、心の底から感動できる旅でした。
でも、戦争で亡くなられた日本人のためにお寺を建てたり、日本人に親切にして下さる台湾の方々に、私たちは国として何かをしたでしょうか。台湾の兵隊さんのためにお寺を建てましたか。何も出来ていませんでした。
ただでさえ国交が断たれている今、台湾とではなく、中国と仲を深めようとしている人の方が多いです。
そんな中、20年前、祖父がこの慰霊訪問団を立ち上げ、こんなにも団員が増えています。この慰霊訪問団は祖父のたくさんの努力と、たくさんの方々の協力のお陰だと思っています。今では、台湾と日本を繋ぐ数少ない存在となってしまいました。これからは、台湾と日本の国交が回復することと、この慰霊訪問団が末永く続くように、私も参加していきたいです。
第20次 団員の声(感想文)全38件
- 「学習資料」により知識を深めた(横尾秋洋)
- 台湾慰霊訪問団が誕生して20歳(はたち)になりました(田中道夫)
- 小菅団長を支える支柱として慰霊訪問団を継続する決意(原田泰宏)
- 毎回忘れがたい感動と思い出がある(富原浩)
- 11月22日は『台湾慰霊訪問の旅』と教えてあげましょう(田口俊哉)
- 百聞は一見にしかず(大山猛)
- 台湾と英霊(高橋幸久)
- 数々の節目の年に参加できて感謝(榊原みどり)
- 胸をえぐられた 周良仁会長の「皆さん後を頼む!」のひとこと(柴﨑一郎)
- 平成の御世、最後の慰霊訪問の旅(倉田光男)
- 「独立自尊」を教えられた旅(湯下雅俊)
- 「7班」と書かれたプレートのお蔭で生まれた小さな交流(鬼塚曜)
- 英霊の御霊のお陰様で、私たちの暮らしがある(久野貴子)
- 大きな達成感と清々しい気持ちで帰宅(岩附辰夫)
- 海の彼方のニッポンを訪ねて(牧之瀬千保子)
- 夢に出てきた森川巡査(根之木昭憲)
- 台湾の地なら今後も訪れたい心境です(真栄田強)
- 台湾における慰霊の在り方やその継続性について考えさせられた(堀明彦)
- 人のために生きる心が足りていない(宮﨑勇気/専修学校2年)
- 初めてだった父との二人旅(江藤敏伸)
- 今の自分に出来ることは、継続してこの旅に参加すること(木下栄次)
- 国を愛し、家族を愛し、頑張らなくてはと痛感(中山雄夫)
- 世界から尊敬される日本国に蘇らせなければならない(松永達始郎)
- 残念だったのはいつもお会いする方々と再会できなかったこと(本間潤子)
- 「歴史を知らない自分に気づかされた」大発見の旅(森澤満子)
- 尊敬される国に戻りたい(茅野櫻/中学3年)
- 私達にもできること(茅野慧/中学1年)
- 慰霊訪問の主旨が理解でき、感激もひとしお(石橋三之助)
- 将来の日本国の危機を想う(道崎光義)
- 慰霊訪問への参加が私の価値ある生き方と確信(津田建一)
- 第20次台湾慰霊訪問の旅が意味するものとはなにか(福田章枝)
- 生かされている限り参加したい台湾慰霊訪問の旅(久保山一雄)
- 生まれて初めての「天皇陛下万歳」の三唱に感動(宮地惠津男)
- この慰霊訪問こそ子供達の修学旅行に相応しい(宮地芳子)
- 訪問を重ねる毎に学びと交流が深まっていくことを実感(大石憲)
- 台湾慰霊の旅を終えて(泉邦芳)
- 湾生なのに台湾のことを何も知らなかった(江藤憲一)
- あの感動は言葉では表わせません(井口保二・井口婦美子)