団員の声(感想文)
台湾における慰霊の在り方やその継続性について考えさせられた
第六班 副班長 堀明彦
昨年に引き続き第20次台湾慰霊訪問団(平成30年11月22日~26日)に参加した。
前回の経験を踏まえ、今回の旅では慰霊施設の維持管理、運営面や親日派の台湾人の人々との交流に関心を持って臨んだ。今回新たに知り得たことや新たな体験について備忘の記録に留めたいと思い筆を執った。
慰霊の旅
宝覚寺では昨年同様、日本人墓地で慰霊式を行い、その後、台湾台日海交会主催の慰霊祭に参列した。霊安故郷碑での慰霊祭終わりの台日海交会 周良仁会長の挨拶が印象深いものであった。それは、会員は少なくなり参列者も年々少なくなる中で、自分たちの後を継ぐ者はおらず、自分たちがいなくなった後にこの慰霊祭はどうなるのか、日本からは年々多くの人が参列してくれており感謝しているが、自分は台湾でそうしたことが出来ていないといった趣旨の話であった。
濟化宮では献花式を行った。濟化宮には靖國神社から昭和40年(1965)に分祀された2万8千余柱に、台湾で独自に認めた戦死者1万余柱の約4万柱の祭神が祀られており、靖國神社と同じように春秋の大祭が催されると聞く。この大祭に遺族、関係者はどれ程参列されているのだろうか。
飛虎将軍廟に参拝し慰霊式を行った。当日は聖誕祭だったと記憶するが、廟前に天幕を張り供え物が並べられており、廟の前の道路沿いには屋台が並び、斜め向かいの広場には市が立っていた。今回は飛虎将軍廟の本寺というべき朝皇宮にも参拝した。昭和46年(1971)に4坪の小さな祠であったものを廟に建て替えるに際し、地域の有力な宮に附属することが求められ、朝皇宮の管理委員会の承認を得て建て替えが可能となったことによる。朝皇宮には日本から寄贈された神輿が安置されていた。祭礼の際、飛虎将軍廟からご神体を朝皇宮に運ぶための神輿である。
高雄の保安堂に参拝し慰霊式を行った。昨年もお参りしたが、今回は保安堂主催の夕食会が催され堂前に丸テーブルが所狭しと並べられ、野外での大夕食会となった。その際、海上招魂祭のビデオが流された。10数分のビデオであったが高雄市内を旗を掲げて行進する人の多さと賑やかなことに驚き、参加人数を聞いたところ、1700人ということであった。どういう祭りかと言えば、元々遺骨と海軍軍艦の模型を祀っていたが、方々手を尽くして調べた所、船名(第38号哨戒艇「蓬」)と艦長以下145名の乗組員が判明したことから、その未だ彷徨っている霊魂を保安堂に集める招魂の祭りのことであった。そして来年からはこれら御霊の里帰りのための帰還事業を行うという。このため、台湾と日本の関係機関とで話し合いをしているとのことであった。話してくれた同席の洪さんは保安堂の管理運営を行う25名の委員の一人で漁業関係者であった。
こうした歴史に鑑みれば、大陸中国との距離感は別としても、台湾人(タイワニーズ)の意識が生ずるのも理解できる。この意識が、台湾人の人々のこれまでの分裂したアイデンティティを統合するアイデンティティとなるのだろうか。そうなれば、過去2つの「国」に統治された歴史もまた異なる見え方をしてくるのではないか。さらにこれまでの歴史を象徴する2種類の慰霊施設(宝覚寺の慰霊碑・濟化宮と忠烈祠)に対する向き合い方も自ずと変わってくるのではないかと思う。
交流の旅
訪問の全日程を通じて毎日、昼食会や夕食会が催され、全部で6回の盛大な歓待を受けた。各テーブルには現地の台湾の方が数人同席された。年配の方は日本語が堪能な方が多く、そうでない人の場合は通訳を通じ、コミュニケーションを取ることが出来た。こうした機会に、限られた時間で断片的ではあるが、台湾の実情の一端に触れることが出来た。今回は台湾の統一地方選挙の時期に当たっていたことから、台湾の選挙事情を垣間見、選挙結果の反応を伺うことが出来た。
民進党大敗の選挙結果を受け、蔡英文総統への評価は厳しいものであった。曰く、「蔡さんは役所の上の方をもっと代えた方が良かった。そのため従来のやり方のままであり、新しいことが殆ど出来ていない」「蔡さんは年長者の言うことを聞かない」「蔡さんは学者としては優秀だがカリスマがない。高尚な話ばかりで農業、漁業、工業の人たちに通じる話が出来ない」「選挙結果は心配していない、これが民主主義。これで國民党が慢心すると次は逆の結果になる」と。
選挙結果を見れば厳しい評価もやむを得ないのであろうが、軍事、経済大国たる隣国、中国の圧力に晒されながらの国の舵取りは難しい。
最後のコメントは意外だった。台湾に民主主義が根付いていることの自信の表れなのであろう。老若の違いを超えて自由や民主主義の価値観が共有されていれば、そして良き統治の努力さえ怠らなければ、民主台湾は大丈夫と考えておられるのだろう。こうした捉え方が一般化していれば、或いは一般化してくればその通りなのだろうと思う。
今回の旅は、台日海交会会長の嘆きの声に触発されて、台湾における慰霊の在り方やその継続性について考えさせられた。これは日本の問題でもある。台湾に関する知識、経験も不十分で思いつくままを記したが、想像の域を出ないことも多く、もどかしい思いは残るが、有意義な旅であった。終わりに、今後とも慰霊訪問の旅が継続され、台湾との交流が更に進化していくことを期待し、この旅を充実したものにしていただいた日台の関係者の皆様に感謝申し上げたい。
第20次 団員の声(感想文)全38件
- 「学習資料」により知識を深めた(横尾秋洋)
- 台湾慰霊訪問団が誕生して20歳(はたち)になりました(田中道夫)
- 小菅団長を支える支柱として慰霊訪問団を継続する決意(原田泰宏)
- 毎回忘れがたい感動と思い出がある(富原浩)
- 11月22日は『台湾慰霊訪問の旅』と教えてあげましょう(田口俊哉)
- 百聞は一見にしかず(大山猛)
- 台湾と英霊(高橋幸久)
- 数々の節目の年に参加できて感謝(榊原みどり)
- 胸をえぐられた 周良仁会長の「皆さん後を頼む!」のひとこと(柴﨑一郎)
- 平成の御世、最後の慰霊訪問の旅(倉田光男)
- 「独立自尊」を教えられた旅(湯下雅俊)
- 「7班」と書かれたプレートのお蔭で生まれた小さな交流(鬼塚曜)
- 英霊の御霊のお陰様で、私たちの暮らしがある(久野貴子)
- 大きな達成感と清々しい気持ちで帰宅(岩附辰夫)
- 海の彼方のニッポンを訪ねて(牧之瀬千保子)
- 夢に出てきた森川巡査(根之木昭憲)
- 台湾の地なら今後も訪れたい心境です(真栄田強)
- 台湾における慰霊の在り方やその継続性について考えさせられた(堀明彦)
- 人のために生きる心が足りていない(宮﨑勇気/専修学校2年)
- 初めてだった父との二人旅(江藤敏伸)
- 今の自分に出来ることは、継続してこの旅に参加すること(木下栄次)
- 国を愛し、家族を愛し、頑張らなくてはと痛感(中山雄夫)
- 世界から尊敬される日本国に蘇らせなければならない(松永達始郎)
- 残念だったのはいつもお会いする方々と再会できなかったこと(本間潤子)
- 「歴史を知らない自分に気づかされた」大発見の旅(森澤満子)
- 尊敬される国に戻りたい(茅野櫻/中学3年)
- 私達にもできること(茅野慧/中学1年)
- 慰霊訪問の主旨が理解でき、感激もひとしお(石橋三之助)
- 将来の日本国の危機を想う(道崎光義)
- 慰霊訪問への参加が私の価値ある生き方と確信(津田建一)
- 第20次台湾慰霊訪問の旅が意味するものとはなにか(福田章枝)
- 生かされている限り参加したい台湾慰霊訪問の旅(久保山一雄)
- 生まれて初めての「天皇陛下万歳」の三唱に感動(宮地惠津男)
- この慰霊訪問こそ子供達の修学旅行に相応しい(宮地芳子)
- 訪問を重ねる毎に学びと交流が深まっていくことを実感(大石憲)
- 台湾慰霊の旅を終えて(泉邦芳)
- 湾生なのに台湾のことを何も知らなかった(江藤憲一)
- あの感動は言葉では表わせません(井口保二・井口婦美子)