団員の声(感想文)
胸をえぐられた 周良仁会長の「皆さん後を頼む!」のひとこと
第二班 班長 柴﨑一郎
今年は平成最後で、また慰霊訪問団20年の節目にも当たり、遅まきながら初めての参加をさせて戴きました。海外旅行は20年前に妻と行った台湾観光と、15年前に台湾研究会と行った台湾の旅だけで今回で3回目の台湾となりました。
11月22日から26日までの5日間の旅は、大東亜戦争で散華された原台湾人元日本兵軍人軍属戦沒者大慰霊祭への参列と日本人墓地参拝、及び台湾各地の英霊顕彰と追悼感謝が主務ですので、私は日本人として恥ずかしくない行動をとらなければと終始緊張してしまいました。
その中でも団の移動で一番助かりましたのは、先々の何処においても日章旗・旭日旗をかざして先導して下さり、日本人としての安心感と団員としての誇りを与えて下さった事です。また、聞いてはいましたが、台湾で一番驚いたのは各地でお迎え下さった台湾の方々の想像を越えた熱い歓迎でした。
特に高雄市鳳山区の保安堂では、地元の老若男女多数の皆様が遅れて到着した私達を打上げ花火で迎えて下さり、慰霊式後の堂庭での宴席は皆様の手作業設営で、料理も手作りで歓待して下さり、言葉の通じない私達には身振り手振りの体当たりで交流して下さる姿には驚嘆しました。更に同堂のご祭神は全員散華された帝國海軍の哨戒艇のご英霊で、145名全員の英霊名を染め抜いた御柱旗を押し立てて4千人で市内をパレードされた事や、高雄湾の一部を締め切って海上招魂祭を斎行された映像やお話には度肝を抜かれました。
また、台湾で一番頭が下がりましたのは、各地の至る所で戦前の日本の事績や祭神、史跡等を、命懸けの工夫や形を変えた祭祀で大切に守り続けて下さっていた事です。
そして最も憂いを感じましたのは、同国の北京語教育の趨勢で台湾語を使う世代が減少し、日本語世代の高齢化と共に、戦前の日本精神の継承が世代的に困難な時代になったことです。台中・宝覚寺で原台湾人元日本兵軍人軍属戦沒者大慰霊祭を主催された台湾台日海交会の周良仁会長が「台湾でのこの祭礼を、日本に帰られたら一人でも多くの日本人に伝えて欲しい。そして皆さん後を頼む!」と我々慰霊団に何度も訴えられた背景にはこの現実があり、心中をお察ししますと胸がえぐられる思いでした。確かにこの慰霊祭に長年参列の団員の方に伺いますと、10年前は慰霊団の方が小数で刺身のつまのような存在で、あくまで主体は大勢の台湾人日本軍戦友会や軍人軍属会が担っておられたそうです。しかし、年を経るごとに高齢の関係で台湾人参列者は減り続け、今では慰霊団の方が数が増え、祭礼に不可欠な程に主客が逆転してしまったとの事でした。また国交のあった昭和47年までは、この慰霊祭や宝覚寺境内の日本人墓地へは日本の大使も参拝していたと聞き、無念と共に将来への危機感を抱いての帰国となりました。
今回の旅で、台湾は少なくとも官民挙げてご英霊を大切にすることが分かる国であり、帰国した日本はこの大事が官民挙げて分からない国であることがよく判りました。帰国して、むしろ行く前より緊張が増してしまいました。
最後になりましたが、慰霊団をこれまで継続され、今回も途切れることなく慰霊団を組織戴き、我々を引率訪台し、使命を果たし、無事帰国せしめて下さいました小菅団長はじめ、準備や随行戴いたスタッフ並びに関係者の皆様へ厚く御礼申し上げます。
第20次 団員の声(感想文)全38件
- 「学習資料」により知識を深めた(横尾秋洋)
- 台湾慰霊訪問団が誕生して20歳(はたち)になりました(田中道夫)
- 小菅団長を支える支柱として慰霊訪問団を継続する決意(原田泰宏)
- 毎回忘れがたい感動と思い出がある(富原浩)
- 11月22日は『台湾慰霊訪問の旅』と教えてあげましょう(田口俊哉)
- 百聞は一見にしかず(大山猛)
- 台湾と英霊(高橋幸久)
- 数々の節目の年に参加できて感謝(榊原みどり)
- 胸をえぐられた 周良仁会長の「皆さん後を頼む!」のひとこと(柴﨑一郎)
- 平成の御世、最後の慰霊訪問の旅(倉田光男)
- 「独立自尊」を教えられた旅(湯下雅俊)
- 「7班」と書かれたプレートのお蔭で生まれた小さな交流(鬼塚曜)
- 英霊の御霊のお陰様で、私たちの暮らしがある(久野貴子)
- 大きな達成感と清々しい気持ちで帰宅(岩附辰夫)
- 海の彼方のニッポンを訪ねて(牧之瀬千保子)
- 夢に出てきた森川巡査(根之木昭憲)
- 台湾の地なら今後も訪れたい心境です(真栄田強)
- 台湾における慰霊の在り方やその継続性について考えさせられた(堀明彦)
- 人のために生きる心が足りていない(宮﨑勇気/専修学校2年)
- 初めてだった父との二人旅(江藤敏伸)
- 今の自分に出来ることは、継続してこの旅に参加すること(木下栄次)
- 国を愛し、家族を愛し、頑張らなくてはと痛感(中山雄夫)
- 世界から尊敬される日本国に蘇らせなければならない(松永達始郎)
- 残念だったのはいつもお会いする方々と再会できなかったこと(本間潤子)
- 「歴史を知らない自分に気づかされた」大発見の旅(森澤満子)
- 尊敬される国に戻りたい(茅野櫻/中学3年)
- 私達にもできること(茅野慧/中学1年)
- 慰霊訪問の主旨が理解でき、感激もひとしお(石橋三之助)
- 将来の日本国の危機を想う(道崎光義)
- 慰霊訪問への参加が私の価値ある生き方と確信(津田建一)
- 第20次台湾慰霊訪問の旅が意味するものとはなにか(福田章枝)
- 生かされている限り参加したい台湾慰霊訪問の旅(久保山一雄)
- 生まれて初めての「天皇陛下万歳」の三唱に感動(宮地惠津男)
- この慰霊訪問こそ子供達の修学旅行に相応しい(宮地芳子)
- 訪問を重ねる毎に学びと交流が深まっていくことを実感(大石憲)
- 台湾慰霊の旅を終えて(泉邦芳)
- 湾生なのに台湾のことを何も知らなかった(江藤憲一)
- あの感動は言葉では表わせません(井口保二・井口婦美子)