団員の声(感想文)
人のために生きる心が足りていない
第七班 副班長 宮﨑勇気/専修学校2年
私は、台湾慰霊訪問の旅に初めて参加しました。専修学校ライセンスカレッジの授業の一環での台湾研修でした。過去に家族で台湾に行ったことはありましたが、観光旅行ですからこれと言って思い出もありませんでした。
授業で「明治維新」について教わり、校長先生の薦めもあり司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読みました。その中で「明治の精紳」に興味を持ち、色々な話をして戴きました。当然、台湾統治の歴史も教わりました。ですから、今回の台湾研修を楽しみにしていました。様々な感動、感激がありましたが、特に印象深かったことを書いておきます。
忠烈祠
台湾到着後、最初の訪問先は忠烈祠です。衛兵の交代式で有名な観光地ですが、今回の目的は献花式です。入り口には2人の衛兵が立ち、銅像のようにピクリとも動きません。瞬きさえしていないようです。門で整列した私たち慰霊団一行は、忠烈祠の関係者の先導で日章旗、旭日旗を掲げて奥の大殿へ進みました。本来、ここは一般の人は立ち入り禁止で、政府や諸外国の要人しか入れないエリアだそうです。ここは、中華民國のために戦死した約33万人の将兵が祀られる祠です。日本でいえば靖國神社に当たる国軍が管理する場所です。その大殿での献花式です。
テレビで外国に行った時に安倍首相が花環を捧げている様子が放映されていますが、その形式で小菅団長が献花を捧げました。鎮まりかえった堂内には凛とした空気が張り詰め、初めての経験でした。
献花式の後、毎日1時間毎に行われている衛兵交代式を見学しました。大殿の前にも2人の衛兵が立ち、ご英霊を護っているそうです。ここは、入り口とは違い、普段は人気の無いところです。その前庭での陸・海・空軍の精鋭から選抜された衛兵の整然とした交代の儀式を見学でき感動しました。衛兵は3ケ月交代で3軍が務めるそうです。石畳に衛兵の靴底の鋲の音が響き、参道は衛兵の歩く所が変色すると伺い、帰りに注意してみると確かに茶色く変色していました。
日本の靖國神社は一宗教法人で民間施設、忠烈祠は国の施設だとバスの中で聞きました。どちらも国のために命を落としたご英霊が祀られています。しかも天皇陛下や首相が参拝できない日本の姿に、何だか疑問を感じました。更に、国軍は國民党軍でかつては日本軍の敵であったと聞きました。その敵軍が慰霊で献花することを受け入れる台湾の寛容さを感じました。
飛虎将軍廟
飛虎将軍廟は大東亜戦争中、台南上空の空中戦で戦死を遂げた大日本帝國海軍の零戦隊の杉浦茂峰兵曹長が祀られています。彼は激戦の末、無念にも敵弾を受け発火し、爆発寸前に迫る危機に瀕していました。今すぐ脱出すれば自らの命は助かったにも拘わらず、眼下にある「海尾寮」という大集落を気遣い、無人の農地まで操縦し、墜落直前に落下傘で脱出、しかし米軍の機銃掃射を浴びて落命しました。彼は友人や家族のためではなく、見も知らぬ他人のために自分の命を犠牲にしたのです。私なら自らの命を優先し、飛び降りたかも知れません。廟を訪れた日は杉浦茂峰兵曹長の聖誕祭のお祀りで、堂前の天幕には夥しい供物が並べられ、屋台が並び大変賑やかでした。
郡守徳政碑
西郷菊次郎については学校の授業で教わりました。西郷庁憲徳政碑は、当時の宜蘭河が年々氾濫し、宜蘭民衆が苦しんでいましたが、西郷菊次郎郡守の苦心により、堤防工事が行なわれ宜蘭の人々は救われます。その菊次郎の功績を称え、堤防建設の難工事に従事した延べ74万人の民衆たちの発意で建立されました。
菊次郎は幼少期に苦労して育ち、弱い者に対する優しさと誠実な心を身に付けていました。父、西郷隆盛の教えがあったのでしょう。また奄美大島の生れということが影響していたのかも知れません。時間をかけて島民の心の中に、誠実な思いを溶け込ませ、民衆のためになる政治こそが住民の心を開かせ、協力を引き出すことが出来ると考え実行しました。その結果、宜蘭河の氾濫を無くすことに成功し、現在もなお、住民から尊敬されています。
飛虎将軍廟や西郷庁憲徳政碑では「公(おおやけ)のために生きる」ということを強く意識させられました。
様々な歓迎会・交流会
慰霊訪問の旅では毎日歓迎会が催されます。おかげで歓迎会では沢山の方々と交流出来ました。団員の方に「ら」抜き言葉は日本語の乱れ、正しい日本語で話す大切さ、真の友人とは何か等を教えて戴き、また台湾の方々からは何処に行っても、優しく、温かく接して戴き、私の知らない日本の歌を教えて戴いたりもしました。中でも、台日文化經濟協会主催の歓迎昼食会でお話した呂さんは、特別変わった話をした訳でも長時間話した訳でもないのですが、またお会いして話がしたいと思うような不思議な人でした。
今回の台湾研修で学んだことは、今の日本人、私自身にも言える事ですが、自分の事ばかり考えず、人のために何かする、人のために生きる心が足りていないと感じたことでした。杉浦茂峰兵曹長や西郷菊次郎のように大きな事は出来ませんが、人のために何かすることを日々心掛け、小さな事でも継続していきたいと思います。
第20次 団員の声(感想文)全38件
- 「学習資料」により知識を深めた(横尾秋洋)
- 台湾慰霊訪問団が誕生して20歳(はたち)になりました(田中道夫)
- 小菅団長を支える支柱として慰霊訪問団を継続する決意(原田泰宏)
- 毎回忘れがたい感動と思い出がある(富原浩)
- 11月22日は『台湾慰霊訪問の旅』と教えてあげましょう(田口俊哉)
- 百聞は一見にしかず(大山猛)
- 台湾と英霊(高橋幸久)
- 数々の節目の年に参加できて感謝(榊原みどり)
- 胸をえぐられた 周良仁会長の「皆さん後を頼む!」のひとこと(柴﨑一郎)
- 平成の御世、最後の慰霊訪問の旅(倉田光男)
- 「独立自尊」を教えられた旅(湯下雅俊)
- 「7班」と書かれたプレートのお蔭で生まれた小さな交流(鬼塚曜)
- 英霊の御霊のお陰様で、私たちの暮らしがある(久野貴子)
- 大きな達成感と清々しい気持ちで帰宅(岩附辰夫)
- 海の彼方のニッポンを訪ねて(牧之瀬千保子)
- 夢に出てきた森川巡査(根之木昭憲)
- 台湾の地なら今後も訪れたい心境です(真栄田強)
- 台湾における慰霊の在り方やその継続性について考えさせられた(堀明彦)
- 人のために生きる心が足りていない(宮﨑勇気/専修学校2年)
- 初めてだった父との二人旅(江藤敏伸)
- 今の自分に出来ることは、継続してこの旅に参加すること(木下栄次)
- 国を愛し、家族を愛し、頑張らなくてはと痛感(中山雄夫)
- 世界から尊敬される日本国に蘇らせなければならない(松永達始郎)
- 残念だったのはいつもお会いする方々と再会できなかったこと(本間潤子)
- 「歴史を知らない自分に気づかされた」大発見の旅(森澤満子)
- 尊敬される国に戻りたい(茅野櫻/中学3年)
- 私達にもできること(茅野慧/中学1年)
- 慰霊訪問の主旨が理解でき、感激もひとしお(石橋三之助)
- 将来の日本国の危機を想う(道崎光義)
- 慰霊訪問への参加が私の価値ある生き方と確信(津田建一)
- 第20次台湾慰霊訪問の旅が意味するものとはなにか(福田章枝)
- 生かされている限り参加したい台湾慰霊訪問の旅(久保山一雄)
- 生まれて初めての「天皇陛下万歳」の三唱に感動(宮地惠津男)
- この慰霊訪問こそ子供達の修学旅行に相応しい(宮地芳子)
- 訪問を重ねる毎に学びと交流が深まっていくことを実感(大石憲)
- 台湾慰霊の旅を終えて(泉邦芳)
- 湾生なのに台湾のことを何も知らなかった(江藤憲一)
- あの感動は言葉では表わせません(井口保二・井口婦美子)