団員の声(感想文)
「7班」と書かれたプレートのお蔭で生まれた小さな交流
第七班 班長 鬼塚曜
毎年、台湾特別講演会には聴講させていただいていたのですが、台湾慰霊訪問が夢であった83歳の母の予てからの希望で、第20回目の記念の年に初めて参加させていただきました。
付き添いのつもりで参加した私でしたが、班長という役をいただき不安を抱きながらのスタートでしたが、優しく楽しい班員の皆さんに支えられ務めさせていただきました。班長として「7班」と書かれたプレートを掲げると、皆さんが集まりきちんと整列して下さいます。9班72名という大所帯の旅行団ですが、添乗された旅行社の久保さんが言われるように「手のかからない団体」でありました。
参加者全員が英霊への「慰霊」という大きな目的のもとに集まった「慰霊訪問団」であり、観光旅行とは大きく違います。私にとって初めての慰霊訪問は日を追うごとに英霊への顕彰の思いが強くなり、当初「付き添い」であった私が夢中になっていました。そして、ゆく先々での歓迎、交流を通して温かい台湾の方々の思いに触れ、台湾が大好きになりました。
帰国してから周りの方に素晴らしい慰霊訪問の旅についてお話させていただきました。「ぜひ参加したい」という賛同者がたくさんいらっしゃいます。中でも社会科教師を目指している大学生が、正しい歴史を学ぶために台湾慰霊訪問に参加したいとアルバイトに頑張っています。
若い世代が愛国心を持つことができるように、台湾の皆さまが愛して下さった日本を取り戻すために台湾慰霊訪問を継続し、より多くの人々へ広く伝えていく使命を感じています。また、帰国して靖國神社へ参拝させていただきたいと強く思いました。日本のために命を落とされた全ての英霊に対し、心から感謝の誠を捧げ顕彰させていただきたいです。
先に述べた「7班」というプレートですが、それには「日華(台)親善友好慰霊訪問団」と書かれています。駅や街でそれを見た台湾の一般市民の皆様が「ようこそいらっしゃいました」「ありがとうございます」と声をかけて下さいます。班長として持たせていただいた、そのプレートのお蔭で生まれた小さな交流に、温かい気持にさせていただきました。
第20次 団員の声(感想文)全38件
- 「学習資料」により知識を深めた(横尾秋洋)
- 台湾慰霊訪問団が誕生して20歳(はたち)になりました(田中道夫)
- 小菅団長を支える支柱として慰霊訪問団を継続する決意(原田泰宏)
- 毎回忘れがたい感動と思い出がある(富原浩)
- 11月22日は『台湾慰霊訪問の旅』と教えてあげましょう(田口俊哉)
- 百聞は一見にしかず(大山猛)
- 台湾と英霊(高橋幸久)
- 数々の節目の年に参加できて感謝(榊原みどり)
- 胸をえぐられた 周良仁会長の「皆さん後を頼む!」のひとこと(柴﨑一郎)
- 平成の御世、最後の慰霊訪問の旅(倉田光男)
- 「独立自尊」を教えられた旅(湯下雅俊)
- 「7班」と書かれたプレートのお蔭で生まれた小さな交流(鬼塚曜)
- 英霊の御霊のお陰様で、私たちの暮らしがある(久野貴子)
- 大きな達成感と清々しい気持ちで帰宅(岩附辰夫)
- 海の彼方のニッポンを訪ねて(牧之瀬千保子)
- 夢に出てきた森川巡査(根之木昭憲)
- 台湾の地なら今後も訪れたい心境です(真栄田強)
- 台湾における慰霊の在り方やその継続性について考えさせられた(堀明彦)
- 人のために生きる心が足りていない(宮﨑勇気/専修学校2年)
- 初めてだった父との二人旅(江藤敏伸)
- 今の自分に出来ることは、継続してこの旅に参加すること(木下栄次)
- 国を愛し、家族を愛し、頑張らなくてはと痛感(中山雄夫)
- 世界から尊敬される日本国に蘇らせなければならない(松永達始郎)
- 残念だったのはいつもお会いする方々と再会できなかったこと(本間潤子)
- 「歴史を知らない自分に気づかされた」大発見の旅(森澤満子)
- 尊敬される国に戻りたい(茅野櫻/中学3年)
- 私達にもできること(茅野慧/中学1年)
- 慰霊訪問の主旨が理解でき、感激もひとしお(石橋三之助)
- 将来の日本国の危機を想う(道崎光義)
- 慰霊訪問への参加が私の価値ある生き方と確信(津田建一)
- 第20次台湾慰霊訪問の旅が意味するものとはなにか(福田章枝)
- 生かされている限り参加したい台湾慰霊訪問の旅(久保山一雄)
- 生まれて初めての「天皇陛下万歳」の三唱に感動(宮地惠津男)
- この慰霊訪問こそ子供達の修学旅行に相応しい(宮地芳子)
- 訪問を重ねる毎に学びと交流が深まっていくことを実感(大石憲)
- 台湾慰霊の旅を終えて(泉邦芳)
- 湾生なのに台湾のことを何も知らなかった(江藤憲一)
- あの感動は言葉では表わせません(井口保二・井口婦美子)