団員の声(感想文)
初めてだった父との二人旅
第八班 副班長 江藤敏伸
個人的な話ですが、帰国してパスポートをカウントしてみたら、この20年間で台湾へは178回ほど訪台していました。実に年に9回程度訪台していたことになります。
今回の“旅”は、この20年間で、最も印象深いものとなりました。父との二人旅が初めてだったのに加え、敢えて“旅”と表現したのも、こんなにゆっくりと時間をかけて台湾と日本を眺めたことがなかったからです。
訪台中、個人のFacebookで思うことを書き、時には共に参加していた父と台湾について語り会いました。普段、Facebookに真面目な投稿の少ない私なので、「どうしたの?突然?」という予想されるリアクションの中、「今度、そういう台湾を案内してよ」との反応を少なからずいただきました。ただ、印象的だったのは、普段は投稿をチャッカしてくる台湾と日本の若い層から、殆ど「いいね!」が付かなかった事です。好意的な反応も、日本の一定の年齢層以上で、若者層からは殆どリアクションがありませんでした。政治的な傾向を避ける傾向にある若者の反応は台湾も日本も同じようです。
滞在中、歴史的な選挙がありました。大方の予想通り、国民党の圧勝でした。この裏にはFacebookに見られるような若者の政治離れ、日本的なものの風化を感じています。この20年、ゆっくり台湾を眺めたことはありませんでしたが、日本的な懐かしさの様なものが、次第に失われていることは薄々感じていました。
今回の旅を通じて、台湾には日本的なものが僅かながら残っていることを感じながら、新しいステージに入った東アジアでの日本の立ち位置を考えさせられました。
今後も、その動向を見守りつつ、日本人として、どう振舞うべきかを問うていきたいと思います。
第20次 団員の声(感想文)全38件
- 「学習資料」により知識を深めた(横尾秋洋)
- 台湾慰霊訪問団が誕生して20歳(はたち)になりました(田中道夫)
- 小菅団長を支える支柱として慰霊訪問団を継続する決意(原田泰宏)
- 毎回忘れがたい感動と思い出がある(富原浩)
- 11月22日は『台湾慰霊訪問の旅』と教えてあげましょう(田口俊哉)
- 百聞は一見にしかず(大山猛)
- 台湾と英霊(高橋幸久)
- 数々の節目の年に参加できて感謝(榊原みどり)
- 胸をえぐられた 周良仁会長の「皆さん後を頼む!」のひとこと(柴﨑一郎)
- 平成の御世、最後の慰霊訪問の旅(倉田光男)
- 「独立自尊」を教えられた旅(湯下雅俊)
- 「7班」と書かれたプレートのお蔭で生まれた小さな交流(鬼塚曜)
- 英霊の御霊のお陰様で、私たちの暮らしがある(久野貴子)
- 大きな達成感と清々しい気持ちで帰宅(岩附辰夫)
- 海の彼方のニッポンを訪ねて(牧之瀬千保子)
- 夢に出てきた森川巡査(根之木昭憲)
- 台湾の地なら今後も訪れたい心境です(真栄田強)
- 台湾における慰霊の在り方やその継続性について考えさせられた(堀明彦)
- 人のために生きる心が足りていない(宮﨑勇気/専修学校2年)
- 初めてだった父との二人旅(江藤敏伸)
- 今の自分に出来ることは、継続してこの旅に参加すること(木下栄次)
- 国を愛し、家族を愛し、頑張らなくてはと痛感(中山雄夫)
- 世界から尊敬される日本国に蘇らせなければならない(松永達始郎)
- 残念だったのはいつもお会いする方々と再会できなかったこと(本間潤子)
- 「歴史を知らない自分に気づかされた」大発見の旅(森澤満子)
- 尊敬される国に戻りたい(茅野櫻/中学3年)
- 私達にもできること(茅野慧/中学1年)
- 慰霊訪問の主旨が理解でき、感激もひとしお(石橋三之助)
- 将来の日本国の危機を想う(道崎光義)
- 慰霊訪問への参加が私の価値ある生き方と確信(津田建一)
- 第20次台湾慰霊訪問の旅が意味するものとはなにか(福田章枝)
- 生かされている限り参加したい台湾慰霊訪問の旅(久保山一雄)
- 生まれて初めての「天皇陛下万歳」の三唱に感動(宮地惠津男)
- この慰霊訪問こそ子供達の修学旅行に相応しい(宮地芳子)
- 訪問を重ねる毎に学びと交流が深まっていくことを実感(大石憲)
- 台湾慰霊の旅を終えて(泉邦芳)
- 湾生なのに台湾のことを何も知らなかった(江藤憲一)
- あの感動は言葉では表わせません(井口保二・井口婦美子)