団員の声(感想文)
生かされている限り参加したい台湾慰霊訪問の旅
第六班 岩﨑班 久保山一雄
私は前年に引き続き、今回も台湾慰霊訪問団の一員として参加できました。継続して参加を希望したのは、前年の初参加で、自分自身の期待と予想をはるかに超える感動があったからです。
先ず、毎年同日に行われていることを知った宝覚寺での英霊顕彰と慰霊祭に参列出来たことです。先の大東亜戦争でお国のために尊い命を捧げられた日本人と台湾の方々に対し、厳かに進められた大慰霊祭を通し、小菅団長が読み上げられる祭文を拝聴しながら、この行事に参加出来たことに感激し、深く感謝しました。
それから、バシー海峡に面する鵝鑾鼻岬での献花式のあと、海に向かってひとり一人が菊花を投げ入れた時です。先の大戦で日本人将兵はもとより、日本軍に志願して戦いに参加し、将来訪れるであろう平和を願いつつ無念の最期を遂げられた多くの英霊を偲びながら、私は止めどもなく涙が流れました。
また、六士先生の墓前では、台湾の将来の発展に貢献しようという崇高な志を持って、台湾の青少年育成のために台湾まで出かけきたのに志半ばで凶弾に斃れ、如何ほど無念だったかを思い感極まりました。事件後も、教育活動の重要性に鑑み、台湾で若人の指導に当たろうという希望者を募ったところ、必要数をはるかに超える応募者が発生したことなどを聞き、当時の教育関係者の情熱の高さにも改めて敬服させられました。
各地で行なわれた各層の方々からの好意あふれる歓迎会は、領台時代の精神・気力を継承していると思われる素敵な方々と交流出来る誠に有り難い機会となりました。幾人もの方に再会の機会を持ちたいと期待するなど、一般の旅行では決して味わうことのできない好体験だと言えます。高齢者はもちろんのこと、若い世代の方々にとっても大きな魅力だと思えてなりません。
このような素敵な内容を持った台湾慰霊訪問の旅が、20年という長い歴史を持っていること自体を全く知らなかった自分の愚かさに恥じ入りました。遅まきながら私は、自分自身で動ける限り、魅力あふれるこの行事に参加したいと願望し、併せて、共鳴して戴く仲間たちの参加を求め続けるつもりです。
第20次 団員の声(感想文)全38件
- 「学習資料」により知識を深めた(横尾秋洋)
- 台湾慰霊訪問団が誕生して20歳(はたち)になりました(田中道夫)
- 小菅団長を支える支柱として慰霊訪問団を継続する決意(原田泰宏)
- 毎回忘れがたい感動と思い出がある(富原浩)
- 11月22日は『台湾慰霊訪問の旅』と教えてあげましょう(田口俊哉)
- 百聞は一見にしかず(大山猛)
- 台湾と英霊(高橋幸久)
- 数々の節目の年に参加できて感謝(榊原みどり)
- 胸をえぐられた 周良仁会長の「皆さん後を頼む!」のひとこと(柴﨑一郎)
- 平成の御世、最後の慰霊訪問の旅(倉田光男)
- 「独立自尊」を教えられた旅(湯下雅俊)
- 「7班」と書かれたプレートのお蔭で生まれた小さな交流(鬼塚曜)
- 英霊の御霊のお陰様で、私たちの暮らしがある(久野貴子)
- 大きな達成感と清々しい気持ちで帰宅(岩附辰夫)
- 海の彼方のニッポンを訪ねて(牧之瀬千保子)
- 夢に出てきた森川巡査(根之木昭憲)
- 台湾の地なら今後も訪れたい心境です(真栄田強)
- 台湾における慰霊の在り方やその継続性について考えさせられた(堀明彦)
- 人のために生きる心が足りていない(宮﨑勇気/専修学校2年)
- 初めてだった父との二人旅(江藤敏伸)
- 今の自分に出来ることは、継続してこの旅に参加すること(木下栄次)
- 国を愛し、家族を愛し、頑張らなくてはと痛感(中山雄夫)
- 世界から尊敬される日本国に蘇らせなければならない(松永達始郎)
- 残念だったのはいつもお会いする方々と再会できなかったこと(本間潤子)
- 「歴史を知らない自分に気づかされた」大発見の旅(森澤満子)
- 尊敬される国に戻りたい(茅野櫻/中学3年)
- 私達にもできること(茅野慧/中学1年)
- 慰霊訪問の主旨が理解でき、感激もひとしお(石橋三之助)
- 将来の日本国の危機を想う(道崎光義)
- 慰霊訪問への参加が私の価値ある生き方と確信(津田建一)
- 第20次台湾慰霊訪問の旅が意味するものとはなにか(福田章枝)
- 生かされている限り参加したい台湾慰霊訪問の旅(久保山一雄)
- 生まれて初めての「天皇陛下万歳」の三唱に感動(宮地惠津男)
- この慰霊訪問こそ子供達の修学旅行に相応しい(宮地芳子)
- 訪問を重ねる毎に学びと交流が深まっていくことを実感(大石憲)
- 台湾慰霊の旅を終えて(泉邦芳)
- 湾生なのに台湾のことを何も知らなかった(江藤憲一)
- あの感動は言葉では表わせません(井口保二・井口婦美子)