団員の声(感想文)
平成の御世、最後の慰霊訪問の旅
第三班 班長 倉田光男
小菅団長、スタッフ、関係者の皆様、旅の計画、準備、連絡等、旅の終わりまで、細部にわたるお心遣い、ご苦労様でした。ありがとうございました。
私は今回4度目の参加でしたが、初めての訪問地があり、訪問の度に感激させられます。
古蹟後壁黄家では、最初はびっくりしました。2頭の犬が出迎えてくれ、案内役までしてくれました。後壁の黄家は、総統府国策顧問であった黄崑虎先生のご自宅で、文化遺産として古蹟に指定された由緒ある場所です。福建様式の中庭(四合院)を持つ台湾で現存する数少ない住宅のひとつです。
先生の親切丁寧な説明と案内に感動しましたが、説明を受けてもまだ理解できていない事があるとは思います。次の機会には勉強をして、見学させて戴きたいと思っています。
4日目の11月25日、台中市にある宝覚禅寺では、台湾の方々によって守られ、祀られている日本人墓地での慰霊式を斎行しました。慰霊式では、一般の日本人観光客の方々も多数参拝されました。
続いて行なわれた「霊安故郷碑」での原台湾人元日本兵軍人軍属戦沒者大慰霊祭では、儀仗隊によるラッパでの鎮魂、台湾台日海交会の周良仁会長による祭文が奏上され、「英霊よ安らかにお眠り下さい」とお祈りしました。最後は小菅団長が祭文を奏上し、追悼と感謝の誠を捧げ、日台の絆が一層深くなることを祈り、「海ゆかば」を歌い、厳粛の内に慰霊祭は終了しました。
今回の旅では、台湾日本関係協会、台日友好協会、蓬38號艦英霊返郷団、台湾台日海交会、台日文化経済協会、黄文雄先生による交流会等、各地での歓迎昼食会や夕食会と、多くの方々のおもてなしを受け、感謝・感激でした。本当にありがとうございました。
次回の第21次台湾慰霊訪問の旅にも参加し、日本人、日本兵として散華された英霊に追悼と感謝の心を捧げたいと思っています。
今回は、常任顧問の松俵ご夫妻の不参加で寂しかったのですが、次回は必ず参加し、皆様にお会いできると信じています。これからも、どうぞよろしくお願い致します。台湾の皆様、小菅団長、訪問団、関係者の皆様、本当にありがとうございました。
第20次 団員の声(感想文)全38件
- 「学習資料」により知識を深めた(横尾秋洋)
- 台湾慰霊訪問団が誕生して20歳(はたち)になりました(田中道夫)
- 小菅団長を支える支柱として慰霊訪問団を継続する決意(原田泰宏)
- 毎回忘れがたい感動と思い出がある(富原浩)
- 11月22日は『台湾慰霊訪問の旅』と教えてあげましょう(田口俊哉)
- 百聞は一見にしかず(大山猛)
- 台湾と英霊(高橋幸久)
- 数々の節目の年に参加できて感謝(榊原みどり)
- 胸をえぐられた 周良仁会長の「皆さん後を頼む!」のひとこと(柴﨑一郎)
- 平成の御世、最後の慰霊訪問の旅(倉田光男)
- 「独立自尊」を教えられた旅(湯下雅俊)
- 「7班」と書かれたプレートのお蔭で生まれた小さな交流(鬼塚曜)
- 英霊の御霊のお陰様で、私たちの暮らしがある(久野貴子)
- 大きな達成感と清々しい気持ちで帰宅(岩附辰夫)
- 海の彼方のニッポンを訪ねて(牧之瀬千保子)
- 夢に出てきた森川巡査(根之木昭憲)
- 台湾の地なら今後も訪れたい心境です(真栄田強)
- 台湾における慰霊の在り方やその継続性について考えさせられた(堀明彦)
- 人のために生きる心が足りていない(宮﨑勇気/専修学校2年)
- 初めてだった父との二人旅(江藤敏伸)
- 今の自分に出来ることは、継続してこの旅に参加すること(木下栄次)
- 国を愛し、家族を愛し、頑張らなくてはと痛感(中山雄夫)
- 世界から尊敬される日本国に蘇らせなければならない(松永達始郎)
- 残念だったのはいつもお会いする方々と再会できなかったこと(本間潤子)
- 「歴史を知らない自分に気づかされた」大発見の旅(森澤満子)
- 尊敬される国に戻りたい(茅野櫻/中学3年)
- 私達にもできること(茅野慧/中学1年)
- 慰霊訪問の主旨が理解でき、感激もひとしお(石橋三之助)
- 将来の日本国の危機を想う(道崎光義)
- 慰霊訪問への参加が私の価値ある生き方と確信(津田建一)
- 第20次台湾慰霊訪問の旅が意味するものとはなにか(福田章枝)
- 生かされている限り参加したい台湾慰霊訪問の旅(久保山一雄)
- 生まれて初めての「天皇陛下万歳」の三唱に感動(宮地惠津男)
- この慰霊訪問こそ子供達の修学旅行に相応しい(宮地芳子)
- 訪問を重ねる毎に学びと交流が深まっていくことを実感(大石憲)
- 台湾慰霊の旅を終えて(泉邦芳)
- 湾生なのに台湾のことを何も知らなかった(江藤憲一)
- あの感動は言葉では表わせません(井口保二・井口婦美子)