団員の声(感想文)
11月22日は『台湾慰霊訪問の旅』と教えてあげましょう
副団長 田口俊哉
以前は『11月22日』は何の日でしょうかと聞かれたら、「良い夫婦の日」と答えていました。しかし、今は『日本人大勢で台湾に行って英霊の慰霊をする大切な旅行の日』ですと教えてあげます。教えてあげないと周囲の在日日本人の人々は、この大切な日を知らないからです。
実は、私も数年前は知りませんでした。私が日本と台湾との関わりを知り得たきっかけは、小菅亥三郎団長と出会ってからです。そして団長を支える団員の皆様や学院の方々の存在です。
沖縄県尖閣諸島のわずか南に位置する台湾は、明治から終戦までは日本の一部であり、皆が日本語を話していました。本土と同じ教育が行なわれていました。正真正銘の日本だったのです。その当時の台湾の人は、当然ながら台湾で生まれて、台湾で育ちましたが、心の中は、日本精神を備えた立派な日本人でした。正に日本教育の凄さの賜物だと確信しています。こんなに素晴らしい統治を出来る国は、後にも先にもアジアの小国、日本だけであり、当時の明治日本人が覚悟した勇気と深い徳、強靭な行動力、そして絶対に諦めない忠義だと心から敬服します。
言わずもがな、わが国は大東亜戦争で敗戦し、連合軍の統治下に置かれ、国内の情勢は一変してしまいました。敗戦のショックに絶望した国民に占領軍から差延べられた「戦いのない平和」は、日本精神を少しづつ蝕んでいきました。有能な指導者たちは、次々と消され、公職を追われ、或いは金で魂を占領軍に売り渡しました。国を守るため、領土を守るため、国民を、家族を守るため、命を賭して戦場に散華された英霊は、この惨状を見てどう思うでしょうか。
そして同様、台湾人もこの戦いで、自らを皇軍と自負し、軍隊に志願し、大日本帝國軍人として約3万3千余の若者が戦地に散りました。日本人として命を賭したのです。その心の内は如何ばかりかと、空しい限りです。現在の私たちの生活環境では想像もつかない時代でした。しっかりと受け止めなければいけないと思います。
戦後、台湾と日本は国交が絶たれ、離ればなれになり、現在もなお国交はありません。しかしながら、国交が有ろうと無かろうと関係はありません。この慰霊訪問の旅は、命ある限り続けなければなりません。そして後世にその志のバトンを渡す使命を負っていると思います。
私は昨年の第19次に続き、今回2回目の訪台となりました。昨年にも増して感動の連続で、行く処々で目から鱗が落ちる思いでした。一体全体、何枚の鱗を纏っていたのだろうかと驚嘆します。それほどに現地の方々の訪問団への熱烈歓迎ぶりは、想像を超えていました。全部挙げれば限がありません。
その中で、特に訪問団全員が心を奪われたのが保安堂での訪問団歓迎夕食会ではなかったでしょうか。遅れて到着した私たちを、保安堂の関係者をはじめ、沢山の地元の人たちが手料理をこしらえて待っておられました。到着した瞬間に爆竹の嵐、旭日旗を何本も揚げ、英霊全員の幟旗を立て、お揃いのTシャツを着て、軍艦マーチでの最高のお出迎えでした。今も当日の感動が込み上げてまいります。有り難うございました。本当に同じ日本人なんだと何度も何度も感じ、目がウルウルでした。
20年前、社員旅行から始まった台湾への旅行は、毎年々、慰霊のその一つひとつを積み重ねて来ましたが、そこにあるご縁は正に、他ならぬ英霊の方々の導きであろうと確信するところです。
来年もまた慰霊訪問団に参加させて戴きます。ずっと行きます。
小菅団長、事務局のスタッフ、旅行会社、添乗員、現地の案内の方々、そして参加された訪問団全員に感謝申し上げます。重ねて最終日の解散式まで全員が無事に帰国できましたことを英霊に対し感謝とお礼を申し上げます。
最後に11月22日は『良い夫婦の日』も良いですが、これからは『台湾慰霊訪問の旅』と皆に教えてあげましょう。謝 謝
第20次 団員の声(感想文)全38件
- 「学習資料」により知識を深めた(横尾秋洋)
- 台湾慰霊訪問団が誕生して20歳(はたち)になりました(田中道夫)
- 小菅団長を支える支柱として慰霊訪問団を継続する決意(原田泰宏)
- 毎回忘れがたい感動と思い出がある(富原浩)
- 11月22日は『台湾慰霊訪問の旅』と教えてあげましょう(田口俊哉)
- 百聞は一見にしかず(大山猛)
- 台湾と英霊(高橋幸久)
- 数々の節目の年に参加できて感謝(榊原みどり)
- 胸をえぐられた 周良仁会長の「皆さん後を頼む!」のひとこと(柴﨑一郎)
- 平成の御世、最後の慰霊訪問の旅(倉田光男)
- 「独立自尊」を教えられた旅(湯下雅俊)
- 「7班」と書かれたプレートのお蔭で生まれた小さな交流(鬼塚曜)
- 英霊の御霊のお陰様で、私たちの暮らしがある(久野貴子)
- 大きな達成感と清々しい気持ちで帰宅(岩附辰夫)
- 海の彼方のニッポンを訪ねて(牧之瀬千保子)
- 夢に出てきた森川巡査(根之木昭憲)
- 台湾の地なら今後も訪れたい心境です(真栄田強)
- 台湾における慰霊の在り方やその継続性について考えさせられた(堀明彦)
- 人のために生きる心が足りていない(宮﨑勇気/専修学校2年)
- 初めてだった父との二人旅(江藤敏伸)
- 今の自分に出来ることは、継続してこの旅に参加すること(木下栄次)
- 国を愛し、家族を愛し、頑張らなくてはと痛感(中山雄夫)
- 世界から尊敬される日本国に蘇らせなければならない(松永達始郎)
- 残念だったのはいつもお会いする方々と再会できなかったこと(本間潤子)
- 「歴史を知らない自分に気づかされた」大発見の旅(森澤満子)
- 尊敬される国に戻りたい(茅野櫻/中学3年)
- 私達にもできること(茅野慧/中学1年)
- 慰霊訪問の主旨が理解でき、感激もひとしお(石橋三之助)
- 将来の日本国の危機を想う(道崎光義)
- 慰霊訪問への参加が私の価値ある生き方と確信(津田建一)
- 第20次台湾慰霊訪問の旅が意味するものとはなにか(福田章枝)
- 生かされている限り参加したい台湾慰霊訪問の旅(久保山一雄)
- 生まれて初めての「天皇陛下万歳」の三唱に感動(宮地惠津男)
- この慰霊訪問こそ子供達の修学旅行に相応しい(宮地芳子)
- 訪問を重ねる毎に学びと交流が深まっていくことを実感(大石憲)
- 台湾慰霊の旅を終えて(泉邦芳)
- 湾生なのに台湾のことを何も知らなかった(江藤憲一)
- あの感動は言葉では表わせません(井口保二・井口婦美子)