団員の声(感想文)
「学習資料」により知識を深めた
顧問 横尾秋洋
第20次台湾慰霊訪問の旅に5年連続して参加しました。昨年の19次から帰国後4日目に母が他界するという悲しい出来事があり、帰国後一周忌を済ませたところです。
さて、例年同様「旅の栞」と「学習資料」を戴き、特に「学習資料」を読むことで訪問先の歴史等が理解でき、本当に参考になります。帰国後再読することで更に理解が深まります。
私にとって第20次での新しい訪問先は2日目の「安平古堡」と3日目の「古跡後壁黄家」の2か所でした。「安平古堡」はオランダと台湾との歴史であり、「鄭成功」は著名ですから名前は知っていたものの詳細については知りませんでした。この「学習資料」により知識を深めた次第です。
「古跡後壁黄家」についての知識は皆無でありました。オーナーの黄崑虎氏のお話を聞いているうちに一度お会いしたように感じたので帰国して名刺を繰っていたら平成28年11月22日に「黄文雄先生主催の晩餐会」で名刺交換していました。肩書きは「台灣之友會 總會長 黄崑虎」となっていて、但し書きに「李登輝後援会会長」と記入していました。2年ぶりの再会だったのです。福建様式の建築物も初めての経験でした。
さて、訪問団の目的の宝覚禅寺境内の「日本人遺骨安置所」の慰霊式が、一般の日本人観光客が見守る中で厳粛に行なわれました。そして「霊安故郷」慰霊碑前での慰霊祭、小菅団長の祭文奏上と続き、慰霊訪問団の目的が果たされました。
その後、台北へ戻り、「黄文雄先生主催の歓迎夕食会」です。尊敬する「羅福全」先生(元駐日大使)、台日文化經濟協會名誉會長 鄭祺耀先生(今秋の勲二等旭日重光章を叙勲)等々、台湾の著名な方々との夕食会、あっという間の楽しいひと時でした。
最後に感謝しなければならないのは、陳忠正台北駐福岡經濟文化辦事處處長のお見送りとお迎え、台湾での戎義俊前處長のお迎えとお見送りです。
第20次の慰霊訪問、本当に意義深く、小菅団長をはじめこの計画に携わって戴いた方々に感謝いたします。
第20次 団員の声(感想文)全38件
- 「学習資料」により知識を深めた(横尾秋洋)
- 台湾慰霊訪問団が誕生して20歳(はたち)になりました(田中道夫)
- 小菅団長を支える支柱として慰霊訪問団を継続する決意(原田泰宏)
- 毎回忘れがたい感動と思い出がある(富原浩)
- 11月22日は『台湾慰霊訪問の旅』と教えてあげましょう(田口俊哉)
- 百聞は一見にしかず(大山猛)
- 台湾と英霊(高橋幸久)
- 数々の節目の年に参加できて感謝(榊原みどり)
- 胸をえぐられた 周良仁会長の「皆さん後を頼む!」のひとこと(柴﨑一郎)
- 平成の御世、最後の慰霊訪問の旅(倉田光男)
- 「独立自尊」を教えられた旅(湯下雅俊)
- 「7班」と書かれたプレートのお蔭で生まれた小さな交流(鬼塚曜)
- 英霊の御霊のお陰様で、私たちの暮らしがある(久野貴子)
- 大きな達成感と清々しい気持ちで帰宅(岩附辰夫)
- 海の彼方のニッポンを訪ねて(牧之瀬千保子)
- 夢に出てきた森川巡査(根之木昭憲)
- 台湾の地なら今後も訪れたい心境です(真栄田強)
- 台湾における慰霊の在り方やその継続性について考えさせられた(堀明彦)
- 人のために生きる心が足りていない(宮﨑勇気/専修学校2年)
- 初めてだった父との二人旅(江藤敏伸)
- 今の自分に出来ることは、継続してこの旅に参加すること(木下栄次)
- 国を愛し、家族を愛し、頑張らなくてはと痛感(中山雄夫)
- 世界から尊敬される日本国に蘇らせなければならない(松永達始郎)
- 残念だったのはいつもお会いする方々と再会できなかったこと(本間潤子)
- 「歴史を知らない自分に気づかされた」大発見の旅(森澤満子)
- 尊敬される国に戻りたい(茅野櫻/中学3年)
- 私達にもできること(茅野慧/中学1年)
- 慰霊訪問の主旨が理解でき、感激もひとしお(石橋三之助)
- 将来の日本国の危機を想う(道崎光義)
- 慰霊訪問への参加が私の価値ある生き方と確信(津田建一)
- 第20次台湾慰霊訪問の旅が意味するものとはなにか(福田章枝)
- 生かされている限り参加したい台湾慰霊訪問の旅(久保山一雄)
- 生まれて初めての「天皇陛下万歳」の三唱に感動(宮地惠津男)
- この慰霊訪問こそ子供達の修学旅行に相応しい(宮地芳子)
- 訪問を重ねる毎に学びと交流が深まっていくことを実感(大石憲)
- 台湾慰霊の旅を終えて(泉邦芳)
- 湾生なのに台湾のことを何も知らなかった(江藤憲一)
- あの感動は言葉では表わせません(井口保二・井口婦美子)