団員の声(感想文)
第20次台湾慰霊訪問の旅が意味するものとはなにか
第四班 湯下班 福田章枝
私は、今年度日華(台)親善友好慰霊訪問団結成20周年という、大変意義深い時に参加させて戴いた、訪台3回目の訪問団員である。
この慰霊訪問団の旅では「学習資料」と「旅の栞」が配布される。この学習資料は、他の観光旅行とは目的が少し違っており、大変意義深く使命感に駆られる内容である。この訪問団が結成されて20周年ということもあり、栞の巻頭言が私には重みをもって深く考えさせられる内容である。平成11年の慰霊訪問団の立ち上げに、福岡縣郷友会事務局の日高清先生のアドバイスがあって現在に至ることを知った。それは訪問団に名称が必要であること、訪問団が目的とする「慰霊」という文字を入れるというアドバイスがあったこと。このような経緯を知って、私は団長小菅亥三郎先生の国家観の深さに改めて感銘を覚える。
この学習資料によると、第1次訪問の際、太魯閣渓谷で乗っていたバスが事故を起こし、その代替バスの運転手からバス会社への報告内容が縁となり、第2次訪台から11月25日宝覚禅寺での慰霊祭に合わせて実施されるようになり現在に至っている。私は、かつて観光で訪れた日月潭、太魯閣渓谷のことを思い出しながら、今は慰霊訪問が目的となっている自分の立場に何か不思議な思いである。これは偶然ではなく神様のご計画のうちに導かれたのだと思っている。
そもそもこの慰霊訪問の旅は、何かと話題になるFacebookがご縁で団長の小菅先生に導かれている。色々と騒がれるFacebookであり、時々退会することを考えることもあるが、上手に管理していくならば、もしかしたら国益を守ることに繋がるかも知れないと思い留まっている。
今年は飛虎将軍廟での慰霊式は過去2回とは違う重みを感じた。説明して下さった郭秋燕氏が、飛虎将軍(杉浦茂峰)が日本の水戸へ里帰りした際「本当に不思議なことがいっぱいあった」と言われたことに、私は「永遠の命を得る、死は決して終わりではない」などの聖書の御言葉がぐるぐると脳裡を駆け巡った。折りしもこの日は飛虎将軍の旧暦の誕生日であった。お供え物が溢れるほどの物凄い量であり、私はこんな光景を今まで見たことがなかった。「タバコが好きでしたのでタバコを上げて下さい」ということまで受け継がれていることを知った。現地の方がこんなに盛大に、今も感謝の中にお参りを続けていることに、私は日本は英霊を粗末にし続けてはいけないと強く思った。遺族の方に一任するのではなく、日本国として感謝の気持ちをもつ働きをしていくことを考えなくてはいけないと思った。私たちの国の総理大臣が靖國神社に堂々と参拝が出来るように小さくても国民運動を少しづつ始めなくてはならない。
今、私たちの国は足を掬われるような状況にある。旧民主党が政権を取ったとき、悪夢の3年間であった。あの状況があったので私は覚醒した。あの時から日本はどうなるのであろうかと不安を覚え始めた。それから歴史を、正しくは國史を学び直しているところである。聖書の御言葉に「求めよ。さらば与えられん」とある。この御言葉からどうすればよいのだろうかと求め続けている私には、次々と様々なチャンスがやってくるように感じている。この慰霊訪問の旅がまさにそうである。
また、この慰霊訪問の旅には「海の彼方のニッポンを訪ねて」とのサブタイトルがついている。忠烈祠での衛兵の一糸乱れることのない交代式をはじめ1時間の微動だにしない姿勢を見て、日本には自衛隊の働きを正しく評価しない勢力があり、本当にわが国・日本は何をしているのだろうと考えさせられた。
3回目の、それも20次という節目の慰霊訪問の旅は、それまでのその旅のわずかではあっても積み重ねとなり、何か少しづつ私は具体的に行動に表さなければならないと心に抱いた。思いがけず今回も、かねてより敬愛してやまない我那覇真子さんと行動を共にし、宿泊も同室となったことは忘れることのできない感謝のページとなった。
来年度は、初めて慰霊訪問の旅に参加される方を一人でも多く誘うことが出来るなら英霊が喜んで下さると思う。日本精神が世界の平和をもたらすことを願いつつ。
第20次 団員の声(感想文)全38件
- 「学習資料」により知識を深めた(横尾秋洋)
- 台湾慰霊訪問団が誕生して20歳(はたち)になりました(田中道夫)
- 小菅団長を支える支柱として慰霊訪問団を継続する決意(原田泰宏)
- 毎回忘れがたい感動と思い出がある(富原浩)
- 11月22日は『台湾慰霊訪問の旅』と教えてあげましょう(田口俊哉)
- 百聞は一見にしかず(大山猛)
- 台湾と英霊(高橋幸久)
- 数々の節目の年に参加できて感謝(榊原みどり)
- 胸をえぐられた 周良仁会長の「皆さん後を頼む!」のひとこと(柴﨑一郎)
- 平成の御世、最後の慰霊訪問の旅(倉田光男)
- 「独立自尊」を教えられた旅(湯下雅俊)
- 「7班」と書かれたプレートのお蔭で生まれた小さな交流(鬼塚曜)
- 英霊の御霊のお陰様で、私たちの暮らしがある(久野貴子)
- 大きな達成感と清々しい気持ちで帰宅(岩附辰夫)
- 海の彼方のニッポンを訪ねて(牧之瀬千保子)
- 夢に出てきた森川巡査(根之木昭憲)
- 台湾の地なら今後も訪れたい心境です(真栄田強)
- 台湾における慰霊の在り方やその継続性について考えさせられた(堀明彦)
- 人のために生きる心が足りていない(宮﨑勇気/専修学校2年)
- 初めてだった父との二人旅(江藤敏伸)
- 今の自分に出来ることは、継続してこの旅に参加すること(木下栄次)
- 国を愛し、家族を愛し、頑張らなくてはと痛感(中山雄夫)
- 世界から尊敬される日本国に蘇らせなければならない(松永達始郎)
- 残念だったのはいつもお会いする方々と再会できなかったこと(本間潤子)
- 「歴史を知らない自分に気づかされた」大発見の旅(森澤満子)
- 尊敬される国に戻りたい(茅野櫻/中学3年)
- 私達にもできること(茅野慧/中学1年)
- 慰霊訪問の主旨が理解でき、感激もひとしお(石橋三之助)
- 将来の日本国の危機を想う(道崎光義)
- 慰霊訪問への参加が私の価値ある生き方と確信(津田建一)
- 第20次台湾慰霊訪問の旅が意味するものとはなにか(福田章枝)
- 生かされている限り参加したい台湾慰霊訪問の旅(久保山一雄)
- 生まれて初めての「天皇陛下万歳」の三唱に感動(宮地惠津男)
- この慰霊訪問こそ子供達の修学旅行に相応しい(宮地芳子)
- 訪問を重ねる毎に学びと交流が深まっていくことを実感(大石憲)
- 台湾慰霊の旅を終えて(泉邦芳)
- 湾生なのに台湾のことを何も知らなかった(江藤憲一)
- あの感動は言葉では表わせません(井口保二・井口婦美子)