団員の声(感想文)
日本にもあった富安宮
第三班 倉田班 根之木昭憲
私は福岡県警在職時に、松俵義博常任顧問から「台湾で神様になった日本人巡査を祀る富安宮」を教えて頂き、退職後の昨年初めて第18次慰霊訪問団に参加し、お宮の荘厳な空気感に圧倒され森川清治郎巡査の木像の前では、しばらく立ち尽くしてしまった。そして今回第19次訪問団の一員として、再び森川巡査と対面できたが、昨年とはまた違った感情が湧いて、まだ私の心の中には警察魂が宿っているなと嬉しくなった。
昨年来、現職警察官の後輩たちに「富安宮」を紹介し慰霊訪問団参加も呼びかけたが、連続休暇はその職務柄ままならず実現できなかった。
それならばこのような神社が日本にないのかと探したところ、なんと全国で唯一の警察神が佐賀県に存在していたのである。その名は、唐津市肥前町高串の「増田神社」という。
早速、漁業の町の小高い丘にあった現地を訪ね、刻み込まれた慰霊碑の文章や神社建立の歴史を観て、台湾の森川巡査と重なるところが多く驚いてしまった。
ひも解けば、明治28年7月佐賀県巡査を拝命した増田敬太郎巡査は、その直後に高串地区で発生したコレラ伝染病の防疫活動のため、死者9名の遺体処理や70数名の患者の手当てを三日三晩不眠不休で行ったが、4日目に自身が感染し翌日27歳の若さで殉職した。増田巡査は「高串のコレラは私があの世に背負って行きます」と言い遺した通り、以後コレラが終息したという。
村人は増田巡査の生前の壮烈なる功労と英霊を慰めようと、当時の鎮守様「秋葉神社」の一隅にその遺骨を埋葬し、時を経て秋葉神社は「増田神社」と合祀され慰霊碑も建立された。
2人の警察官に共通するのは、「身を捨てても地域の治安維持の任務に徹したこと」である。だからこそ時空を超えても、富安宮には国籍の隔てもなく観光客が訪れるし、増田神社では毎年夏には、佐賀県警あげて警察音楽隊や警備艇も動員し地元民と例大祭が盛大に行われている。
毎日予測もつかない事件や事故の処理に当たっている現役警察官を励ます意味でも、台湾に負けない警察官の鑑が、すぐ足を運べる肥前町にあることを伝えたいと思う。
第19次 団員の声(感想文)全28件
- 母に願いを込めて台湾へ(横尾秋洋)
- 英霊が護った日本を取り戻すことが慰霊につながる(原田泰宏)
- 日本と日本人の魂は慰霊訪問の旅で見つかる(大山猛)
- 英霊に導かれた不思議な偶然(富原浩)
- 参加することに大きな意義があると感じた旅(津田建一)
- 人と出会う事(田口俊哉)
- 涙が溢れ出るバシー海峡の水平線(倉田光男)
- 日本人より日本人を愛する台湾人(長嶺保介)
- 日本を取り戻すための行動を小さく始めるとは(福田章枝)
- バシー海峡に眠る将兵への献花式と慰霊式(虫本隆夫)
- 台湾は大国の圧力に屈せず、末永く繁栄して欲しい(本間潤子)
- 3度目が待ち遠しい慰霊訪問の旅(松永達始郎)
- 御縁をいただいて(榊原みどり)
- 感動の旅、慰霊訪問に参加して(久保山一雄)
- 私も日本と台湾の永遠の友好を願って「日本の一角」に起つ(茅野櫻/中学2年)
- 「日本のことを誇りに思えない」のはとても悔しいです(茅野慧/小学6年)
- 台湾との強い絆(松俵茂子)
- 日本にもあった富安宮(根之木昭憲)
- これが自分が望んでいた旅であると確信した(本田武敏)
- 半醒半睡の自分を省みて…(髙松信秋)
- 先達の偉烈を学び、慰霊の誠を捧げ、日台友好に寄与できれば(石塚俊雄)
- 国歌を斉唱しながら幾度も涙した(山城竜治)
- まだ見ぬ未来へつなげる(岩元みさ)
- 慰霊・交流の旅(堀明彦)
- 森川巡査ありがとうございました(堀純生)
- 思った以上に感動の連続だった台湾慰霊の旅(武田真理子)
- 台湾で学ぶことの意義(高橋幸久)
- 清清しい台湾慰霊訪問の旅(古迫民雄)