団員の声(感想文)
日本と日本人の魂は慰霊訪問の旅で見つかる
副団長 大山猛
4年で連続参加させて戴きました。
いきなりで恐縮ですが、長崎市の「おくんち」は毎年10月7から9日にかけて開催されますが、特に7日は諏訪神社境内で早朝より演し物と呼ばれる出し物が出ますが、1年観ただけでは「くんちを観た」とは言えないと云われています。どうしてかと云うと当番踊り町は7年に一度廻ってくるので7年連続して観て、はじめて「長崎くんち」を観たと言えると云われています。
それと同じような事が「台湾慰霊訪問の旅」ではないかと思いました。同じ場所を訪問しても感動は増してゆき、篤いものが込み上げてきますが、新たに訪問した所では一入です。
その中で今回最も感動し、涙したのは台湾最南端のフィリピンとの間にあるバシー海峡を望む鵝鑾鼻岬で皆様と海へ菊花を投じた事です。25万余の将兵の英霊が、私達が来たことを喜んでいるかのように、海の波は穏やかにうねり、様々な色合いをみせてくれました。
近くの高台に25万将兵の御霊の安住の寺「潮音寺」(昭和19年、バシー海峡で米軍に撃沈され、12日間の漂流の後に奇跡の生還をされた中嶋秀次氏が、昭和56年に私財を投じて建立された)前で、強風吹きすさぶ中、慰霊式を挙行した折、小菅団長の小中学生のお孫さん2人が、一所懸命国旗を掲げられ、倒れそうなのを堪えられていたのが印象的でした。
訪問先の何処でもそうでしたが、其々の慰霊の場所で団長が「祭文」を奉納されましたので、慰霊の意味がよくわかり、気持を高める事が出来ました。また、中華民國外交部をはじめとする公的機関や民間との夕食会、昼食会が毎日あり、今年も再会できた喜びが溢れていました。
冒頭に書きました通り、参加する度に新鮮な感動を得ます。まだ、参加されたことのない方は勿論、今までに参加された方も、ニッポン再発見、新発見の為に是非、20次にも参加しましょう。「日本と日本人の魂は台湾慰霊訪問の旅で見つかる」と思います。
第19次 団員の声(感想文)全28件
- 母に願いを込めて台湾へ(横尾秋洋)
- 英霊が護った日本を取り戻すことが慰霊につながる(原田泰宏)
- 日本と日本人の魂は慰霊訪問の旅で見つかる(大山猛)
- 英霊に導かれた不思議な偶然(富原浩)
- 参加することに大きな意義があると感じた旅(津田建一)
- 人と出会う事(田口俊哉)
- 涙が溢れ出るバシー海峡の水平線(倉田光男)
- 日本人より日本人を愛する台湾人(長嶺保介)
- 日本を取り戻すための行動を小さく始めるとは(福田章枝)
- バシー海峡に眠る将兵への献花式と慰霊式(虫本隆夫)
- 台湾は大国の圧力に屈せず、末永く繁栄して欲しい(本間潤子)
- 3度目が待ち遠しい慰霊訪問の旅(松永達始郎)
- 御縁をいただいて(榊原みどり)
- 感動の旅、慰霊訪問に参加して(久保山一雄)
- 私も日本と台湾の永遠の友好を願って「日本の一角」に起つ(茅野櫻/中学2年)
- 「日本のことを誇りに思えない」のはとても悔しいです(茅野慧/小学6年)
- 台湾との強い絆(松俵茂子)
- 日本にもあった富安宮(根之木昭憲)
- これが自分が望んでいた旅であると確信した(本田武敏)
- 半醒半睡の自分を省みて…(髙松信秋)
- 先達の偉烈を学び、慰霊の誠を捧げ、日台友好に寄与できれば(石塚俊雄)
- 国歌を斉唱しながら幾度も涙した(山城竜治)
- まだ見ぬ未来へつなげる(岩元みさ)
- 慰霊・交流の旅(堀明彦)
- 森川巡査ありがとうございました(堀純生)
- 思った以上に感動の連続だった台湾慰霊の旅(武田真理子)
- 台湾で学ぶことの意義(高橋幸久)
- 清清しい台湾慰霊訪問の旅(古迫民雄)