団員の声(感想文)
涙が溢れ出るバシー海峡の水平線
第三班 班長 倉田光男
第19次慰霊訪問の旅を計画して頂いた小菅団長、スタッフ、日本、台湾の関係者の皆様、お疲れ様でした。
私は17次慰霊訪問の旅から、19次の旅まで3回目の参加ですが、17次の初参加から、お寺、お宮を慰霊、参拝するたびに感動、感激、感謝の連続でした。
今回の訪問の旅では台湾最南端のお寺に行く途中のバスの中、バシー海峡の水平線は、言葉では言い表せない感動で胸が熱くなり涙が溢れ出るのが止まりませんでした。
大東亜戦争中に、海の底深くに隠れた潜水艦や空からの爆撃機により、200隻もの輸送艦、護衛艦艇が沈没し、海峡は想像を絶する光景だったと思います、そのためにこの海峡は、「魔のバシー海峡」、「海の墓場」と言われていました。途中バスを降りての菊の花献花では、今も海の中深くに眠られる、20万余のご英霊の皆様の安らかなる眠りと未来永却の平安をお祈りました。潮音寺参拝の後、帰りの車中から見た海峡は、水平線に沈む夕日が海面に美しく輝いて、ご英霊の皆様が私達訪問団を、また来てよと見送ってくださっている様に感じられ、この地まで慰霊参拝に来ることができて本当に良かったと思っています。心から皆様に感謝申し上げます。
保安堂では献花の栄誉をいただき、ありがとうございました。兄、松俵義博の代理として精一杯務めさせていただきました。兄も、次回20次慰霊訪問の旅には必ず参加したいと申しております。台湾の皆様に、また訪問団の皆様に会えるのを楽しみにしています。
保安堂は、戦後間もないころ沈没した日本帝國海軍艦艇を祀っています。沖合で地元漁民が漁をしている時に発見した身元不明の遺体の頭蓋骨を引き上げ、手厚く供養しました。以降大漁が続いたので昭和28年に保安堂を建立し、お祀りしています。今も、日本人を神様として祈りを捧げ、守り神とし、祝詞の代わりに朝に夕に「軍艦マーチ」を流しています。
自分は今のままでいいのか、何かできる事があるのではと考えさせられます。
歓迎会での御話、料理、慰霊参拝後の果物、飲み物、おもち等、おもてなし料理を美味しく、感謝の気持ちでいただきました。ガイドさん、添乗員さんのお話、説明も楽しくて和やかな中にも責任感のある行動に大きな拍手を送ります。お別れは手を振りあい、爆竹の音と煙で、サヨウナラです。再会を楽しみにしています。
20次慰霊訪問の旅にも、訪問団の一員として参加出来ればと思っています。関係者の皆様、本当にありがとうございました。
第19次 団員の声(感想文)全28件
- 母に願いを込めて台湾へ(横尾秋洋)
- 英霊が護った日本を取り戻すことが慰霊につながる(原田泰宏)
- 日本と日本人の魂は慰霊訪問の旅で見つかる(大山猛)
- 英霊に導かれた不思議な偶然(富原浩)
- 参加することに大きな意義があると感じた旅(津田建一)
- 人と出会う事(田口俊哉)
- 涙が溢れ出るバシー海峡の水平線(倉田光男)
- 日本人より日本人を愛する台湾人(長嶺保介)
- 日本を取り戻すための行動を小さく始めるとは(福田章枝)
- バシー海峡に眠る将兵への献花式と慰霊式(虫本隆夫)
- 台湾は大国の圧力に屈せず、末永く繁栄して欲しい(本間潤子)
- 3度目が待ち遠しい慰霊訪問の旅(松永達始郎)
- 御縁をいただいて(榊原みどり)
- 感動の旅、慰霊訪問に参加して(久保山一雄)
- 私も日本と台湾の永遠の友好を願って「日本の一角」に起つ(茅野櫻/中学2年)
- 「日本のことを誇りに思えない」のはとても悔しいです(茅野慧/小学6年)
- 台湾との強い絆(松俵茂子)
- 日本にもあった富安宮(根之木昭憲)
- これが自分が望んでいた旅であると確信した(本田武敏)
- 半醒半睡の自分を省みて…(髙松信秋)
- 先達の偉烈を学び、慰霊の誠を捧げ、日台友好に寄与できれば(石塚俊雄)
- 国歌を斉唱しながら幾度も涙した(山城竜治)
- まだ見ぬ未来へつなげる(岩元みさ)
- 慰霊・交流の旅(堀明彦)
- 森川巡査ありがとうございました(堀純生)
- 思った以上に感動の連続だった台湾慰霊の旅(武田真理子)
- 台湾で学ぶことの意義(高橋幸久)
- 清清しい台湾慰霊訪問の旅(古迫民雄)