団員の声(感想文)
母に願いを込めて台湾へ
顧問 横尾秋洋
昨年5月25日筑紫野市議会において議長選挙が行われ、第20代議長に就任しました。平成19年5月に第15代議長に就任いたしていましたので2度目となります。議長職は多忙ですので4年連続参加ができるか危ぶんでいましたが、何とか日程調整がつきました。
実は一昨年の12月に母が脳梗塞と心筋梗塞そして肺炎で入院しました。昏睡状態が続き目も開けず、一方的に話しかけるばかりであり反応がありません。出発前日の21日に耳元で明日から5日間台湾に出かけるので元気でいて下さいとお願いして訪問団に参加いたしました。何かあれば連絡が取れるようにしてはいましたが。帰国して27日、28日と何事もなく過ぎたのですが29日夕刻、容態が急変して翌30日朝7時に他界しました。当日午後から議会開催のための事前協議、翌12月1日は議会の初日とスケジュールが目白押しです。そこで30日午後7時から通夜、1日の初日は午前中で終わりますので午後1時から葬儀とあわただしい中で終えました。対外的にお知らせする暇もなく親戚と母の親しい友人による家族葬となりました。
今、よく考えると母は私の言っていることが解かっていたのだな、と思えてなりません。私が帰国するのを待っていたかのような旅立ちでした。
さて、台湾の世界をよく知ろうと思い、駐日代表と外交部亜東関係協会会長を務められた羅福全先生執筆の『台湾と日本のはざまを生きて』、作家の門田隆将氏の台湾で「英雄」になったある日本人の物語『汝、ふたつの故国に殉ず』と菊池一隆氏の『台湾北部 タイヤル族から見た近現代史』の3冊を熟読して参加しました。
特に今回の訪問で感銘を受けたのは、校庭に鳥居と神社があり、また幼稚園を併設している鹽水國民小学校、児童たちの人懐っこさ。名刺を喜んで受け取るさま。日本では見られない純粋さ。この様子が昔の日本の子どもたちのありようだったんだろうなぁ…と思わされました。
最南端の鵝鑾鼻岬での献花式と潮音寺の慰霊式は初めての訪問でありました。訪問先の中でも行けば行くほど感銘を受けるのは台湾の靖国神社といわれる南天山済化宮。日本が併合した50年間、日本人として生まれ日本人として散華された若き青年たち。まさか、台湾人に戻っていようとは思いもしてはいないのではと思うと胸にこみあげてくるものがあります。
来年は記念すべき第20次。参加すべく日程調整に励みます。
第19次 団員の声(感想文)全28件
- 母に願いを込めて台湾へ(横尾秋洋)
- 英霊が護った日本を取り戻すことが慰霊につながる(原田泰宏)
- 日本と日本人の魂は慰霊訪問の旅で見つかる(大山猛)
- 英霊に導かれた不思議な偶然(富原浩)
- 参加することに大きな意義があると感じた旅(津田建一)
- 人と出会う事(田口俊哉)
- 涙が溢れ出るバシー海峡の水平線(倉田光男)
- 日本人より日本人を愛する台湾人(長嶺保介)
- 日本を取り戻すための行動を小さく始めるとは(福田章枝)
- バシー海峡に眠る将兵への献花式と慰霊式(虫本隆夫)
- 台湾は大国の圧力に屈せず、末永く繁栄して欲しい(本間潤子)
- 3度目が待ち遠しい慰霊訪問の旅(松永達始郎)
- 御縁をいただいて(榊原みどり)
- 感動の旅、慰霊訪問に参加して(久保山一雄)
- 私も日本と台湾の永遠の友好を願って「日本の一角」に起つ(茅野櫻/中学2年)
- 「日本のことを誇りに思えない」のはとても悔しいです(茅野慧/小学6年)
- 台湾との強い絆(松俵茂子)
- 日本にもあった富安宮(根之木昭憲)
- これが自分が望んでいた旅であると確信した(本田武敏)
- 半醒半睡の自分を省みて…(髙松信秋)
- 先達の偉烈を学び、慰霊の誠を捧げ、日台友好に寄与できれば(石塚俊雄)
- 国歌を斉唱しながら幾度も涙した(山城竜治)
- まだ見ぬ未来へつなげる(岩元みさ)
- 慰霊・交流の旅(堀明彦)
- 森川巡査ありがとうございました(堀純生)
- 思った以上に感動の連続だった台湾慰霊の旅(武田真理子)
- 台湾で学ぶことの意義(高橋幸久)
- 清清しい台湾慰霊訪問の旅(古迫民雄)