団員の声(感想文)

霧深い幽谷に響く「君が代」に落涙

第六班 村山班 小倉和彦

「武士は 玉も黄金も何かせん 命に代えて 名こそ惜しけれ」と詠んだ、乃木将軍の言霊を己の座右の銘に深く刻み込み、11月24日から2泊3日の旅程で、本当に久し振りに台湾を訪れました。

これまで台湾と云えば、ゴルフや観光に買い物と正に物見遊山の旅でしたが、今回は「第12次日華(台)親善友好慰霊訪問団」の一員として、襟元には日章旗と青天白日旗のバッジを佩用し、各種行事への参加やレストランに入店する際も、日章旗と軍艦旗の小旗を先頭に「二列縦隊」で行進したところです。(苦笑)

もしこんな光景を日本で見れば、かなり危ない集団と勘違いされる事でしょうが、台湾では遠く日本から同胞が来たと、各地万雷の拍手で迎えられました。

総勢46名の訪問団一番の目的は25日、台中市宝覚寺にて挙行された「第20回元日本台湾軍・軍人軍属戦没者慰霊祭」に列席の上、大東亜戦争で日本陸海軍の一員として散華された3万3千余柱の台湾青少年の英霊に哀悼の誠を捧げると共に、80歳を超えた元日本軍人達との再会でもあったのです。

たどたどしい日本語を操る老兵達は、息子ほど年の離れた我々の手を握り、涙を流さんばかりに何かを伝えようと、一所懸命しきりに話し掛けて来ます。

内容が理解できるのは半分程度ですが、その直向きさに心打たれ傾聴すると、日本統治時代の素晴らしさや日本軍人として欧米と千戈を交えた矜恃、更に戦後蒋介石率いる国民党軍の圧政に苦しめられた歴史など多岐に亘りました。

次に新竹県に建立され台湾の靖国神社と位置付けられる「済化宮」を参拝し、本殿のご案内を戴きましたところ、台湾全土3万3千余柱のご位牌が天井から床まで見事に整然と安置され、実に荘厳な感じを受け深く感銘した次第です。

翌26日早朝より「高砂義勇兵」で有名な烏来まで足を延ばし李登輝総統が揮毫された「霊安故郷」の碑に献花黙祷を捧げ、君が代斉唱を致しましたが、その歌声は霧深い幽谷に彷徨う通奏低音の如く、勇猛果敢で世に知られたタイヤル族の荒ぶる魂を慰撫してくれたものと確信せずにはおれませんでした。

彼等の忠誠心を語る際に必ず紹介される「餓死した高砂義勇兵の荷物を解いたら、軍の糧秣が手付かずで残されていた」とか「高砂義勇兵の捕虜に米軍が、なだめたり拷問して味方になるよう脅かしたが、彼等は誰一人として寝返らなかった」等の逸話を思い出し乍ら、我々より一回り小さい躰の腰に蛮刀を下げ、槍を携え東面した銅像を見上げ、不覚にも落涙したのは私一人ではありません。

閑話休題、過日尖閣諸島問題を嚆矢として「抗日有理・愛国無罪」を掲げた反日デモの一団の様子には、約110年前「扶清滅洋」を唱えた「義和団」や、それに連なる「北清事変」を彷彿とさせられます。

先日ニューズウィークに、南京生まれの中国人ジャーナリスト安替氏の東京講演の際「ネットで情報を得る迄は、世の中の全ての悪い事は日本が引き起こしていると思っていた。だから中国では放っておけば毎日どこかの都市で反日デモが起きる」との記事が掲載されていました。

同氏によれば中国では「デモがないのが正常、あるのは不正常」で、つまりデモが起きる背景には当局の何らかの意思が働いており、又今回のデモは北京、上海、広州と云った大都市ではなく、成都や武漢、鄭州といった中規模の内陸都市で起きましたが、これらの都市の市民意識はそれほど高くなく、かつ情報インフラも大変不足しているそうです。

あの朝日新聞の峯村記者でさえ「中央政府の公安当局は、9月16日の翌日にはデモが違法行為に当たると内部通達を出し、一部の地方政府が出したゴーサインに対し中央政府は一旦ブレーキを踏んだが、指示が届かぬ中規模都市でデモが再発したと云う流れなのだろう」と見事に分析していました。(笑止)

最初は政治闘争に利用していた大衆運動がそのうち制御不能になって、最後は運動の参加者が「全員追放」された文化大革命の中で、毛沢東率いる紅衛兵が口々に叫んだのも「造反有理・革命無罪」だったように記憶しています。

大衆運動の政治利用という、火遊びの怖さを十分知っている中国政府が早々にブレーキを踏んだとすれば、反日デモはひとまずこれで収束するとも書いていたようですが、「義和団事件」の洙末を熟知している一人の日本人としては、そうなる事を中国人民の将来の為にひたすら願うばかりです。

北方領土、竹島、尖閣諸島と正に「前門の虎、後門の狼」の如き有様の我が祖国ですが、団員同志一丸となり「少々危険なアジテーター」を演じて頂き、現政権とその政策の全てを容認する「サイレントマジョリティー」等と決して呼ばせぬよう、大胆に活動して頂ければこれに勝る幸せはありません。

海自夏略服姿も凛々しい小菅団長の勇姿と、朗々たるスピーチを拝聴し乍ら、当初この旅行企画に疑念を抱いた自分を忸怩たる思いで猛省した次第です。

さて帰国後「正論12月号」を読んでいた折、82頁に慰霊祭当日ご来賓の許世楷氏と櫻井よし子氏の「緊急対談記事」が目に留まりました。

実は「正論12月号」は今回の台湾旅行に持参していましたが、11月号も半分しか読んでおらず、旅行中も全く手付かずで11月25日、許世楷氏とお会いした折、せめてその頁まで読み進んでいたならば、同氏に対し何か気の利いたお話でも出来たものをと、これまた大いに後悔したところです。

反省や後悔ばかりの「台湾慰霊訪問旅行」ではありましたが、ご同道戴きました46名の憂国の志士達との邂逅は、本当に大きな収穫でもありました。

特に陸士五十八期生の日高、永石両先輩外皆様のお元気なご様子に感動し、我々若い者(56歳?)も安閑とはしておられません。(困笑)

旅行中、皆様より我等3人に賜りました数々のご温情と、ご無礼を深謝し、「日華(台)親善友好慰霊訪問団」及び、各団員の弥栄を心よりご祈念申し上げます。

第12次 団員の声(感想文)全26件

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