団員の声(感想文)

日本の為に従軍して戦死された台湾人の慰霊に参加するのは日本人の義務である

名誉顧問 日高誠

昨年に引き続き2回目の台湾慰霊の旅に参加して、80歳以上の老人は私と同期生の永石君の2人だけだろうと思っていたら、出口清氏と田中純夫氏の2名の4名であって心強い次第であった。出口氏は陸軍の司令部偵察機のパイロットで、台湾の台北地区の飛行場におられた由。また田中氏は陸軍の整備兵として満州の錦州の飛行場におられた由、私の部隊の特攻機一ヶ隊六機が20年の6月に展開し、お世話になった飛行場である。

今回は初めての参加の方が多く昔話をしてみると懐かしい次第であった。私の部隊は北朝鮮の日本海側の威與地区の海岸に在った飛行場で、少年飛行兵の戦闘機の教育飛行隊であった。敗戦後ソ連の飛行機が着陸して来て、部隊長以下全員捕虜になりソ連に抑留されたのであるが、田中氏は入院中で捕虜にならずに済んだ、との事であったが、私は4年間もソ連の捕虜生活を送ったのである。

又、四国の香川県からB班として参加された森靖子さんと福岡滋子さんは昨年参加した同期生の谷尾君の縁によるものである。ご両人の友人、さぬき市の玉貴幸子さんの父君は支那事変で戦死されているが、その戦死の通知文が大変父君を讃えているのに感銘を受け(幼時は全く理解不能)、発信者横井忠道部隊長のせめて遺族にでも感謝の意を表したいと強く願う昨今となった。香川県偕行会員の某氏が「58期に横井姓の生徒がいた、同期生の世話人谷尾君に依頼すれば、その生徒が遺族か否か調べてくれるだろう」と勧告された。右記の調査依頼を受けた谷尾が調べたが、58期の横井は全く無縁。そこで偕行会員名簿で全会員を調べると、東幼48期(幼年学校2年生で終戦)に横井忠康が居る事が判明し、忠道部隊長さんの忠の字を使っている。横浜の横井忠康君に電話を入れて見るとズバリ御子息であった。この事を玉貴さんに連絡したら大変な喜びよう(平成19年12月)、お墓に刻んである白文の読み方を連絡したり、文通を続けていたが22年3月発行の台湾慰霊の〔LICENSE MATE〕を送り、「こんな奇特な旅行団がある事を広く世間に知らせて下さい」と一筆した。それを読んだ友人が感激され4人参加の予定であったが、お2人が体調での取り止めもあり、森・福岡両女史が参加されたものである。

昨年は帰京直後の土日に福岡県の周防灘に在る航空自衛隊築城基地の航空祭に参加したが、その席で私の出身である鹿児島一中の後輩で航空自衛隊の後輩でもある、松下政経塾出身の宇都隆史君が参議院議員の選挙に自民党から出馬する事を知り、35歳の若者を応援すべく半年間走り廻ったのであるが、無事当選を果たしたので、彼の考え方を紹介した私の記事が載っている陸士五八期生「会報」を参加された皆様に読んで頂きたく、団長様の許可を得て、バスの中で配布させて頂いた。既に当選しているので選挙運動では無く、共通した認識を持っている若者なので、来年は臨時国会の最中でないかぎり参加すると申して居るので、是非連れて行きたいと思う。

今回の参加で特に感銘を受けたのは、済化宮の山の東側にある苗栗県の獅頭山勧化堂の参拝であった。台北の六士の墓と同様に100段位の階段には膝の悪い小生には応えたが、日本の禅宗の曹洞宗に相当する由で、新竹警友会の海軍警察の出身者(91歳)の話であった。「台湾人2000名から選ばれた警察官500名は日本人の警察隊長広枝氏に率いられて比島のマニラに行った。昭和19年正月米軍が上陸し、我々も戦ったが戦勢利あらず、全滅の直前広枝隊長は我々台湾出身の者を集めて、『お前達台湾人はどんなことをしても良いから、生きて台湾に帰れ。おれは独断で命ずるので、その責任を取って自決する。』と言って自決された。そのお蔭で今日の私共がある。毎年その遺徳を偲んで慰霊祭を実施して来たが、今や私一人になった。然し死ぬまで私は慰霊を続けます。どうか日本人の皆さん米軍にやられた教育勅語を復活して下さい。それが日本再建の道です。」と言われたことである。マニラの戦闘状況は調べた事があるが、今回の話は初めて聞く話であり、占領行政に警察官が必要な事は分かるが、如何なる考え方で台湾人の警察官を募集し連れて行ったのか、私には八田技師を連れて行ったのと同様に理解に苦しむ次第であり、今後の研究課題にしたいと思う。

王春茂会長以下のラバウル会の皆さんに歓迎をうけたのであるが、これもあの南半球のラバウルに農業指導員として500人もの台湾人軍属を連れて行ったのか、当時の軍の考え方が良く分からない次第である。私は戦後の昭和58年と63年の2回ラバウルにブーゲンビル島の戦跡調査の為立ち寄った事があるが、当時の現地人の主食は芋であり、水稲を作るには水の灌漑施設が必要であり(烏山頭ダムに見るように)、薩摩芋の事をカオカオと言い、現地人は3ヶ月で作るし、女の仕事である。

宝覚寺に於ける慰霊祭に際して有名な許世楷氏の尊顔を拝した事は、かねて谷尾君から「台湾という新しい国」と云う本を読めと薦められ読んでいたので無上の喜びであった。

許御夫妻が日本に留学し、日本の大学の教授になられ、人権問題・憲法問題に造詣が深く留学生時代に国民党政権によりパスポートの交付を拒否されたり、送金も儘ならなかった話を読んでいたので、台湾人の心意気を知るに是非皆さんにも読んで欲しい本である(まどか書房)。今回は特に松俵夫妻や若い藤村一氏とじっくり話が出来て有意義であった。一人でも二人でも同志と言える方と御交誼出来る事は幸せである。小菅団長夫妻・黄さん・原田さんのご好意に感謝しております。

第12次 団員の声(感想文)全26件

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