団員の声(感想文)

心ゆくまで君が代を斉唱できたのも爽快の極み

第三班 原田班 菅沼寛
第三班 原田班 菅沼由美

夫婦揃って初めての台湾への旅。おかげさまで実り多い印象的なものになりました。まずは、大変お世話いただいた事務局の方々に心より謝意を申し述べます。ありがとうございました。南米以外の世界中のほとんどの国々を訪れ、いくつかの国では何年も生活しましたが、なぜかこれまで台湾にはご縁がありませんでした。ただ、従前より情報だけは蓄積していたので、今回は自分の認識を改めて確認する旅になりました。結果はほぼ予想通りで、心ゆくまで君が代を唱和できたのもまた爽快の極みでした。坦懐に申せば、全行程を通じて最も感銘深かったのは、小菅団長の、穏やかで謙虚であるにも拘らず、熱い想いが浸々と伝播してくるスピーチの数々だったかと思います。

台湾がわが国にとってかけがえのないパートナーであることに今更議論の余地はありませんし、台湾に深い思い入れがある方々の気持ちもよく理解できます。相互の共通する国益のためにも、この二国間の紐帯を増々堅固なものにしていかなければならない必要性も激しく感じます。ただ親日国という点では台湾のみが特殊ではなく、程度の差はあれ、アジアの大半がそうなのです。「親日に見えるのは日本がばらまくカネのせいで心の底では侮蔑している」などと言う浅薄な知識人がいますが、決してそんなことはありません。それは昨今成り上がった支那人にこそ当てはまることです。多数の日本兵が終戦後も現地に留まり数百年にわたるオランダの桎梏からの解放に大きな貢献を果たしたインドネシア、同じ君主国家であるタイ、ルックイーストを標榜したマハティールのマレーシア、日本軍が暴虐の限りを尽くしたと偏向喧伝されるフィリピンやシンガポール、またベトナム、ミャンマー、カンボジア、ラオス、南西アジアではバングラデシュ、チャンドラ・ボースのインド、ほとんどの国々が親日と言い切っても過言ではありません。欧米の植民地として永年搾取され続けてきたこれら諸国の人々が、鼓舞され、有形無形の援助を受け、時に連帯してついに独立まで勝ち得たのは、まさに日本のおかげだからです。尖閣ビデオが公開されたことで人口に膾炙したYouTubeで、櫻井よし子女史が反日外国人に「あなたのおっしゃるアジアってどこの国のことかしら?」と穏やかに質している動画が150万回以上もダウンロードされていますが、わが国をことさらに貶めようとする国は支那と朝鮮のみです(これを特定アジア、略して特亜と呼ぶ由)。さらに遠くエジプト、トルコ、また当初まともな国名すらなかったアフリカの諸地域、日清・日露戦争の勝利の頃まで遡れば、いまだ東郷元帥を敬愛してやまぬフィンランド、他の東欧諸国など、親日国家は世界中に遍在しています。小生自身、外国で日本人であるがゆえに、誇らしく嬉しい思いはしても、不快な経験をしたことは皆無です。実のところ、特亜やロシアにおいてすら、建前と利害関係を離れれば、一般民衆はおしなべて親日的と言っても誤りではありません。

所謂親日の国々をその拠って来たる理由により①日本に鼓舞されて国造りをした国、②日本兵が直接間接に国造りに貢献した国、③日本の一部として運命共同体を形成した国…と便宜的に分類してみます。就中、散華した日本兵が祭祀せられ、元日本兵や軍属がいまもなお英霊顕彰を受けている台湾は、明らかに稀有で特異な国に見えます。ただ、その多くの事例は、小菅団長が時間をかけて発掘してきた労に負うところが大きいと思います。乃ち、大東亜戦争を戦った②③の国々にも、類似の例が少なからず埋没しているはずと推察される所以です。

私見では、台湾が他の親日諸国と決定的に異なる点は日本語の存在だと思量します。この意味では台湾に比肩する国は他に見出せません。言語は、技術であり、芸術であり、歴史であり、文化です。スペイン、オランダについては言を待たず、下ってイギリスなどもその植民地において自分たちの居住区のみ城壁で守って贅と安穏を確保する一方、原住民にはなんら文明の恩恵を与えず、徹底的に搾取するのみでした。植民地をより有効に搾取するためにアフリカにはすでに自ら英語を習得しているインド人を植民し、アメリカには労働力としてカリブ海の黒人を入植させ、原住民は奴隷・畜生として無学文盲のまま放置しました。翻ってフランスは、まがりなりにも街路を造り、港湾を整備し、なにより学校をつくりフランス語を庶民に教えました。イギリス人が去ったあとには荒廃しか残らなかったが、フランス人が去ったあとには、とりあえず街並みとコトバが残ったのです。(cf.アリアンス・フランセーズ)。そしてそれが技術、芸術、歴史などさまざまな文化の伝播に繋がっていきました。(まあ、フランスとて同様に苛酷な搾取者だったので、そのことだけで友好には繋がりませんでしたけどね)。ともあれ、一般民衆が英語を話す旧イギリス植民地は僅少だが(米軍のおかげで米語がかわりに広まった)、現在も世界のあちこち思わぬところでフランス語が使われています。そういう場所のうち風光明媚な所を選んで「地中海クラブClubMed」を作ったので、現代のフランス人にとっては、自国語で過ごせるリゾートが世界各地に存在しているというわけです。

今回の慰霊訪問団に20代の参加者があったことで、日台の連携を次世代に繋ぐ目処がついたと言われますが、それは単なる希望的観測に思えます。二国を繋ぐ具体的な紐帯である日本語世代は、今後は80代の元日本人とともに急激に減少・消失します。フランスに倣うわけではないが、時の日本政府が支那に投下してきた援助資金の千分の一、万分の一でも遣って、なぜ台湾における日本語学校を存続・増強しなかったのか非常に悔やまれます。旧日本人の諸兄姉が教師になればまさに一石二鳥だったでしょうに。数少ないというより、唯一の日本国以外の国語拠点が失われる損失の度合いがとてつもないということに、なぜ気がつかなかったのでしょうか。共通言語の日本語が消滅すれば、心に響く団長の講話も日本人参加者にしか届かなくなります。

これから慰霊団として日台の連携を継続するためにはどうしていけばいいのでしょうか。初めての参加者が敢えて容喙するとすれば、蓋し、わが国にとって文化的・歴史的・地政学的にこの上なく大切な台湾の存在と実態を、より多くの日本人に知らしめることが何にもまして肝要です。リピーターも大事でしょうが、むしろ一度だけの参加でいいから、より多くの人々が慰霊訪問団に興味を持つように志向すべきです。そうやって草莽の裾野を広げること、具体的には、インターネットの積極的な活用を通じ、相互リンク等で出来るだけ多数の共感者を創出するような広報活動が、最終的に奏功してくると思われます。

最後に家内からのコメントを付記。団長夫人が目立たぬように、しかもしっかりと夫君を支え、参加者の誰彼にさりげなく目を配られる様子はまさに内助の功を目の当たりにする思いで、大変感銘を受けました。

第12次 団員の声(感想文)全26件

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