団員の声(感想文)
台湾有情~宝覚寺慰霊(供養)祭の参加10年~
前副団長 大橋昭仁
1.平成13年の本慰霊訪問団に参加して以来、連続10年台湾台中宝覚寺の慰霊祭に参加させて頂いた。両国国旗の掲揚、国歌の斉唱等その間の同寺での慰霊(供養)祭の式次第はほとんど変わっていない。そして初参加の時から気になっていたことの一つがお坊さんの衣の色が黒、つまり墨染の衣だった事である。
これは日本とは同じだが東南アジア地域は茶色系統がほとんどである。宝覚寺は元来曹洞宗のお寺を起源にもつのであるから法事の際は黄色の衣でも良いはずだが黒を着ておられる。それとお経の音声から北京語ではないと思った。
今回たまたま3人のお坊さんたちの読経の終りが、私どもの参拝を時刻的に少し遅れたのでお経の本を覗き込んでみた。するとなんと「阿弥陀経」という日本でもポピュラーなお経であった。おそらくそれを台湾語読みしているのであろう。
曹洞宗のお寺で浄土宗系のお経を読んで問題にはならない。台湾らしいおおらかさである。
2.「なぜ台湾に行くのか」という質問をよく受ける。答えは「日本人に会う為に」ということになる。ただし我々の父母祖父母、の代の日本人にである。それが日本語世代の台湾人に会う目的である。
それらの人々は私どもと繋がっており私どもそのものの生きる姿だと言ってよい。それを体現しているのが台湾の皆さんなのである。
3.私の親しい友人で論語を学びに関西地方まで新幹線で通っている人がいる。道を求めて…ということであろう。会社の経営者だからそのくらいは会社の経費扱いで出来るものを、会社経営には直接関係ないからという理由でわざわざ個人のポケットマネーから費用を出して通っていた。その様に正直で律義な人だから、おそらく論語も一所懸命勉強して十分に生きる糧にしていくはずである。
しかし、その様な人と言えども論語を読んで感涙する事はあまりないであろう。何しろ登場する孔子先生はじめ皆々様、古い時代の方々であるだけではなく直接自分と血縁的にも社会的にも無関係の皆さんだからである。
ところが、台湾で会う日本語世代の皆さんを教え導いたのは、まぎれもない我々と世代的に近い最近の大先輩たちである。私たちは台湾人のお姿から我々日本人の本来の姿を見ることが出来るのである。それはまさに自己の体験である。
戦後の「民主教育」というプリズムによって屈折されて怪しく光を放つネオンサインと異なり、素朴に周囲を照らす焚火の炎なのである。
4.同じような体験は薩摩義士の慰霊供養祭で自覚することが出来る。あの時の茫漠たる落涙は今でも忘れる事が出来ない。
いづれも素朴な感情なのであって理屈ではない。我々ににこやかに話しかけて下さる元日本人の皆さんの向こうに、紛れもなく我々の先輩方が立っておられるのである。この台湾の大地を踏みつけしっかりと両足で立ってこそ感じる事の出来る感慨なのである。
第12次 団員の声(感想文)全26件
- 日本の為に従軍して戦死された台湾人の慰霊に参加するのは日本人の義務である(日高誠)
- 奉納した龍柱と銘板に感動(松俵義博・松俵茂子)
- 真実で尊い行動は必ず継続される(永田昌巳)
- 台湾との絆の強化は日本再生への道(西山洋)
- 魂の奥の不思議なふれあいを感じる唯一の国・台湾(安河内康彦)
- 台湾有情~宝覚寺慰霊(供養)祭の参加10年~(大橋昭仁)
- 台湾での新発見、そして再発見(藤村一)
- 日本人は真の親日国家である台湾を見誤ることなかれ(下田健一)
- 日本語世代の方はかけがえのない日本の宝です(原田泰宏)
- 日本人のアイデンティティを取り戻す巡礼の旅(岩本宣善)
- 日本人の誇りを取り戻す慰霊訪問の旅(下田純子)
- 先人の魂に感謝の意を捧げ祀る誠心(松下美佳)
- 私の台湾旅行記―大きく変わる価値観(小倉美帆)
- 日本人としての誇りを感じた3日間(エドワーズ博美)
- 台湾を想う(中村哲)
- 65年目に念願適った慰霊の旅(出口清)
- その感情は突然湧き起きた!(鶴修輔)
- 心ゆくまで君が代を斉唱できたのも爽快の極み(菅沼寛・菅沼由美)
- 同胞の深い絆に感謝(佐護美和子)
- 故郷に戻ったような安堵感(荒牧賢二)
- 真の歴史的史実を知らずして真の外交は不可能である(永石辰郎)
- 残念だった明石元二郎墓参(前原清美)
- その場所は慰霊祭を行うに最もふさわしい場所だった(前原照美)
- 霧深い幽谷に響く「君が代」に落涙(小倉和彦)
- 主人がつぶやいた「深い意味のある旅行」…(小倉弘子)
- 真実を伝えれば我々は目覚めます(森靖子)