団員の声(感想文)
残念だった明石元二郎墓参
第五班 岩本班 前原清美
私の今回の台湾慰霊訪問の旅は2回目です。昨年は潮音寺を訪ねることができました。またバシー海峡に向けて献花をさせていただき私にとって最大の思い出となりました。
今年は明石元二郎の墓を楽しみにしていましたが行き着く事ができず残念でした。何冊か彼の本を読んでいますうちに明石元二郎の面白いところが判ってきました。
明石元二郎は数学、語学が得意な俗にいう頭のよい人だったのですね。そこで陸軍大学校長の児玉源太郎に見出されて、常に活躍しています。私の想像ですが明石元二郎は、誰にでも好かれる庶民性を持ち合せていました。好奇心と知識の吸収力が抜群ですから、児玉源太郎ばかりでなく伊藤博文や山縣などの知遇を得てますます大活躍できたのでした。杉山茂丸は明石元二郎と同郷の人でした。杉山は玄洋社の頭山満と近い関係で、台湾問題を深く研究する糸口を明石に与えることができました。福岡藩は五十二万石の雄藩ではあっても勤皇佐幕の間で姿勢が決まらず悩むばかりでした。そのような環境下で明石元二郎は幾多の英才の中で育ち、類をみない賢い人になっていったと思います。帝政ロシアが崩壊寸前であることをいち早く察知したのでした。その後の明石元二郎の活躍は知る人ぞ知ると云えるのでしょう。
明石さんの墓を断念して芝山巌を訪ねました。芝山巌は台湾教育の源であります。6人のすぐれた先生が殺害された所でもあります。その教育内容は愛国心を培うことであります。日本人の精神文化はそこに花が開いたのでした。
翌日は、烏山頭ダム、鎮安堂と保安堂を訪ねました。そこで松俵さんが龍の舞う2本の石柱を寄付なされたことを知りました。その心意気に感動いたしました。次には塩水小学校を訪ねました。小学生の龍の舞は、昨年に増して立派でした。また幼稚園の子達の可愛い演奏には感動いたしました。そして校長先生はじめ皆々様の御努力に深く感謝いたします。4日目には、宝覚寺を訪ねそこにある日本人墓地にもおまいりできました。団長さんからここは3つある日本人墓地の一つですと教えられて、日本人と台湾人が協力して大東亜戦争を戦ってきたのだということがよく判ってきました。
最終日に高砂義勇隊の戦没者慰霊記念碑を訪ねました。そこで高砂族の話を思い出しました。乃木将軍のことが思い出されます。乃木将軍が台湾総督になった時、2人の高砂族を射殺したら、高砂族の親分が軍に抗議して一歩も引かない状態となり、時の実力者児玉源太郎は案じ、彼自身が乃木のあとに台湾総督になり、児玉は高砂族に交渉し、高砂族の要求を全部聞いて一件落着したということであります。その時の高砂族の要求は無理なことでなく私も十分理解できることでした。高砂族は良識ある人だと痛感いたしました。だから、日本軍に協力できたのでした。船のマストの上にも恐れることなく登っていくと父が驚いたと云っていたことを思い出しました。
来年も参加したいです。皆様にお世話になり感謝しています。
第12次 団員の声(感想文)全26件
- 日本の為に従軍して戦死された台湾人の慰霊に参加するのは日本人の義務である(日高誠)
- 奉納した龍柱と銘板に感動(松俵義博・松俵茂子)
- 真実で尊い行動は必ず継続される(永田昌巳)
- 台湾との絆の強化は日本再生への道(西山洋)
- 魂の奥の不思議なふれあいを感じる唯一の国・台湾(安河内康彦)
- 台湾有情~宝覚寺慰霊(供養)祭の参加10年~(大橋昭仁)
- 台湾での新発見、そして再発見(藤村一)
- 日本人は真の親日国家である台湾を見誤ることなかれ(下田健一)
- 日本語世代の方はかけがえのない日本の宝です(原田泰宏)
- 日本人のアイデンティティを取り戻す巡礼の旅(岩本宣善)
- 日本人の誇りを取り戻す慰霊訪問の旅(下田純子)
- 先人の魂に感謝の意を捧げ祀る誠心(松下美佳)
- 私の台湾旅行記―大きく変わる価値観(小倉美帆)
- 日本人としての誇りを感じた3日間(エドワーズ博美)
- 台湾を想う(中村哲)
- 65年目に念願適った慰霊の旅(出口清)
- その感情は突然湧き起きた!(鶴修輔)
- 心ゆくまで君が代を斉唱できたのも爽快の極み(菅沼寛・菅沼由美)
- 同胞の深い絆に感謝(佐護美和子)
- 故郷に戻ったような安堵感(荒牧賢二)
- 真の歴史的史実を知らずして真の外交は不可能である(永石辰郎)
- 残念だった明石元二郎墓参(前原清美)
- その場所は慰霊祭を行うに最もふさわしい場所だった(前原照美)
- 霧深い幽谷に響く「君が代」に落涙(小倉和彦)
- 主人がつぶやいた「深い意味のある旅行」…(小倉弘子)
- 真実を伝えれば我々は目覚めます(森靖子)