団員の声(感想文)
故郷に戻ったような安堵感
第四班 林班 荒牧賢二
まずは、小菅亥三郎団長以下スタッフの皆様には大変お世話になりました。万事に抜かりなく、お手配とお心遣いいただきました事、改めて御礼申し上げます。誠にありがとうございました。
私にとりまして台湾訪問は、平成11年(1999)6月に、当時、雲海酒造㈱に営業管理部門アドバイザーとして創業社長M氏からお招きを受けていましたのが、突如、1週間目に社長室に呼ばれ「ちょっと台湾に行ってくれませんか」に始まり、以後、神楽酒造(株)、現在の顧問先、(株)紅乙女酒造と今回の台湾訪問で47回目の訪問となります。が、その殆どは焼酎の海外市場構築との命題もあり、観光地情報等にはとんと疎いものがあります。このことは台湾に限らず、今日まで都合71ヶ国訪問した国々でも同様であります。
特に台湾は、神楽酒造勤務時代平成14年(2002)3月~平成20年(2008)3月の6年間、会社の特命事項もあり、台北から高雄に至る主要な日本料理店、日式料理店、台湾料理店、太平洋SOGO、新光三越百貨グループ、高雄、漢神百貨等隈なく廻り市場構築いたして参りました。御蔭様にて、芋焼酎カテゴリーでは、神楽酒造の「天孫降臨」、長期貯蔵焼酎カテゴリーでは同じく神楽酒造の「くろうま長期長蔵酒」が、台湾では圧倒的な地位を今日までキープいたしております。22日と25日、皆様の一部の方々には、クラブ「紅の葉」にて紅乙女酒造の焼酎と梅酒をご試飲いただきましたが、この「紅の葉」にてのメインのキープボトルは「くろうま長期長蔵」720ml瓶であります。
現在顧問先の「紅乙女」も、台湾全土に隈なくマーケットを持ちます神楽酒造時代の代理店に商品競合いたしませんので、取り扱いをお願いいたして市場構築を図っております。マーケットにても商品競合いたしませんので喜んでピックアップいただいております。(株)紅乙女酒造における海外輸出ナンバーワン国家は「台湾」であります。
「紅の葉」にて二次会ご参加の皆様には、台北の夜を寛いでいただけましたでしょうか?何か、ご意見、ご指導等ありますれば遠慮なくご連絡下されば幸いに存じます。二次会ご参加の皆様に改めて御礼申し上げます。
台湾は、私個人にとりましても因縁浅からぬ国家であります。と申しますのが、母方の祖父が、大正2年(1913)12月27日に当時の台湾総督府南投庁抜手財務課に赴き、大正12年(1923)12月11日に、台中州南投税務署、酒課勤務を依願免官を願い出るまで10年間総督府に勤務いたしておりました。従いまして私の母も台湾生まれで、5歳まで台湾浦里にて過ごしております。その祖父が折に触れ、「この子が大きくなったら台湾の事を話してやろう」と、孫の中で唯一男子でありました私の成長を楽しみにしていたとの事。その祖父も私が小学4年の冬、94歳を以って亡くなりましたので、残念ながら詳しく聞く機会はないままに終わりました。
従いまして、平成11年(1999)6月に雲海酒造の創業社長M氏に「ちょっと台湾に行ってくれませんか」と下命を受けました折、これも「天命」だと思いました。営業管理部門にてお招きを受けておりました身です。断っても構わなかったと思われますが、数多くの職歴を持つ祖父が、唯一10年間勤務いたしたのが台湾総督府の勤務。そして最後は、日本で言う「酒税局長」を拝命いたしておりました事を考えれば、私が台湾にて、焼酎の市場構築を65歳の今日に至るも続けております事、寡黙な祖父でありましたので生前余り話した記憶はありませんが、その祖父が一番喜んでくれているものと思っております。
平成13年(2001)の10月、当時雲海酒造の輸出入部長として、台湾に営業活動にて赴いておりましたが、代理店の経理と台中地区を訪問いたしておりました。昼食時、訪問先の総経理から食事に誘われ台湾料理店に出向きました。何故か、台湾の老若男女100名近くお集まり。何事かと思っておりましたら、なんと私の歓迎会との事。同行の代理店のR経理が、事前に私の祖父の台湾総督府の勤務経歴を八方手を尽くして探し出し、当時の人まで連絡され、10月12日(確か12日であったと記憶いたしております)「孫の荒牧」を連れて来るとの連絡をされていたとの事。ビックリすると同時に、感動いたしました。お集まりの方々は祖父の顔を知らない、子孫の方々が殆ど。総督府にて勤務しておりました一般人の孫が来たと言うだけで、その子孫の方々が多くお集まりいただき歓迎して下さる。その前の年、平成12年(2000)故あって、中山恭子様が全権大使をなされていましたウズベキスタンを訪ねております。独立間もない、当時のウズベキスタン、見るべきものは先人達が残した史跡のみ。何も残さずに引き上げたソビエトの領地実態を目の当たりにしてきただけに、「孫の荒牧」が来たと言うだけで、その子孫の方々が大勢お集まりいただき、歓迎の会を開いてくださる。祖父を含めて台湾を領有していた当時の日本人が、台湾現地の人を日本人として遇していたのだと実感できました。また、祖父も使用人として使っていた台湾の方々を粗末には扱っていなかったのだな、と確認でき嬉しくもありました。
私の母は台湾で生まれ、2歳の折、台湾にて生母を失っております。新しく継母が来るまでの間、台湾人の子守りが3年間母の面倒を見てくれたとの事。生前母が「高砂族」の台湾人の「おねーちゃん」が住み込んでいたと話してくれておりました。名前の程は伏せさせていただきますが、2歳の後半から5歳までの母の子守りをしていただいたと言う、既に90歳をゆうに超えられるご高齢でも流暢な日本語を話されますご婦人とも、その席上でお会い致しました。幼き母の事を良く配慮いただいておりました。酒の酔いもありましたが、そのご婦人の手を握り締め男泣きした事、昨日のように思い出されます。
宴席の機会を持っていただいた台中の食料品店様、台湾料理店様には、その後、神楽酒造の商品、そして現在の紅乙女商品と案内いたしましたが、「私、荒牧が来てくれた」と、その事だけで気持ちよく商品ピックアップいただいております。ありがたい事と思っております。これもまた、祖父の人徳の賜物であろうとつくづく思っております。
また、神楽酒造勤務時代に、出張先の海外から直接台湾に入国した経緯が2度あります。1回はシンガポールから。2度目はモスクワから。その際に、桃園中正国際空港に降り立った時、ふと安堵した気分におそわれました。いかにも「故郷」に戻ったような不思議な気分でありました。これもまた因縁浅からぬ台湾であればこその実感でありました。
幾度となく訪問した台湾ですが、今までは、焼酎の市場構築と言う命題を抱えていただけに観光なるものを殆どいたしておりません。今回も御一行の皆様に先駆けて16日より台湾に入り、ディラーの面々と台北~高雄~台中~台北と新幹線を使って移動し営業活動いたしてまいりました。65歳の私、新幹線代金外国人の私でも半額の恩恵に浴しました。20日(土)、21日(日)も「紅乙女」売り込みのために、単独にて雲海酒造時代、神楽酒造時代から馴染みの居酒屋等を飲みまわりました。円高の経済下、日本人オーナーの居酒屋店主等は意気消沈いたしておりますが、台湾人のオーナーは元気そのもの、中には「わざわざ来てくれた」とその事だけで発注をいただいた店もありました。二次会にご案内いたしましたクラブ「紅の葉」も20日の夜お願いして打ち合わせをいたしてまいりました。神楽酒造時代からの馴染みのママです。損得を度外視の上ご協力いただきました。
今回の日華(台)親善友好慰霊訪問の旅は、私にとりましても新たな台湾との出会いでありましたし、台湾の方々が日本人との交流を大事にされていることを感じましたし、表題にあります、海の彼方のニッポンを訪ねて、を改めて実感できた旅でもありました。16日から台湾に入っていました事で、22日~26日までの訪問団のスケジュールにて台南、高雄、台中、台北を廻る事を台湾の友人にも案内しました処、「何故そうゆう所を廻るのだ。何処何処には、こんないい所があるぞ」と訝られました。台湾の若年層には理解に難しい訪問場所でもあるようです。今回案内いただきました個所につき、写真の整理の上、日本との係わり等整備の上、現地台湾の方々にもご理解いただく必要も痛切に感じております。
今後とも、何かと因縁浅からぬ立場にある私として、台湾の方々との交流を大事にして行きたいものと思っております。
第12次 団員の声(感想文)全26件
- 日本の為に従軍して戦死された台湾人の慰霊に参加するのは日本人の義務である(日高誠)
- 奉納した龍柱と銘板に感動(松俵義博・松俵茂子)
- 真実で尊い行動は必ず継続される(永田昌巳)
- 台湾との絆の強化は日本再生への道(西山洋)
- 魂の奥の不思議なふれあいを感じる唯一の国・台湾(安河内康彦)
- 台湾有情~宝覚寺慰霊(供養)祭の参加10年~(大橋昭仁)
- 台湾での新発見、そして再発見(藤村一)
- 日本人は真の親日国家である台湾を見誤ることなかれ(下田健一)
- 日本語世代の方はかけがえのない日本の宝です(原田泰宏)
- 日本人のアイデンティティを取り戻す巡礼の旅(岩本宣善)
- 日本人の誇りを取り戻す慰霊訪問の旅(下田純子)
- 先人の魂に感謝の意を捧げ祀る誠心(松下美佳)
- 私の台湾旅行記―大きく変わる価値観(小倉美帆)
- 日本人としての誇りを感じた3日間(エドワーズ博美)
- 台湾を想う(中村哲)
- 65年目に念願適った慰霊の旅(出口清)
- その感情は突然湧き起きた!(鶴修輔)
- 心ゆくまで君が代を斉唱できたのも爽快の極み(菅沼寛・菅沼由美)
- 同胞の深い絆に感謝(佐護美和子)
- 故郷に戻ったような安堵感(荒牧賢二)
- 真の歴史的史実を知らずして真の外交は不可能である(永石辰郎)
- 残念だった明石元二郎墓参(前原清美)
- その場所は慰霊祭を行うに最もふさわしい場所だった(前原照美)
- 霧深い幽谷に響く「君が代」に落涙(小倉和彦)
- 主人がつぶやいた「深い意味のある旅行」…(小倉弘子)
- 真実を伝えれば我々は目覚めます(森靖子)