団員の声(感想文)

日本人のアイデンティティを取り戻す巡礼の旅

第五班 班長 岩本宣善

印象、感動が薄れない内に帰りの飛行機の中でこれを書く。

一昨年、昨年に続いて3度目の参加である。三年兵となればもはや新兵ではない。リピーターはそれなりにメリットもある。過去の旅日記を丹念に読み返し、頭に入れて行くのだ。そうすれば同じ場所で同じ人に会いに行くのだから、次はどんな展開になるか、凡その見当がつき、じっくりと見聞きし写真も良いアングルで決定的瞬間が取れると思うのだが、どっこいそうはいかないのがこの旅で、初日の明石総督の墓、実は小生の唯一の未訪問先なので今回の目玉であったが思わざるハプニングで不発に終わった。又1年掛かりでああしよう、こうしてやろうと待っている訪問先では先方が進行のイニシャチヴを取る以上、当然ながら時間は相手のペースで流れて行くので、塩水小学校の時の様にずっこけて次の貞愛親王八角楼を割愛することも起きる。1年経つと様子が変わることもあり、新たな感動もある。年に1度のお伊勢詣か、金毘羅さんである。

旅行の栞2ページに今時珍しい厳しい『行動指針』がある。軍人勅諭と教育勅語をパラダイムとする小菅軍団は軍規厳正・率先垂範・自己犠牲の集団である。訪問団の組織がきちんと出来ており各自の役割分担が明確、且つ適材適所である。お蔭で第五班長である小生の確認不足でバッグ取り間違えが発生したが幸い直ぐに解決、1人の怪我人・病人も無く相当の強行軍を消化出来た。小菅団長先生の卓越したリーダーシップの賜物である。明石総督の墓参り不発については小菅団長はお立場上、筋を通して現地旅行社に対して厳重な謝罪を要求されたが、小生にとって来年の楽しみとさせて頂きたい。それにしても行く先々での想定外の事情に素早く対応される小菅団長にはその指揮能力、柔軟迅速な判断力に舌を巻いた次第である。

バス車中に都度行われた小菅セミナーは素晴らしかった。強烈な信念と哲学に基づく、借り物でない自分の言葉で、しかも『雨夜花』や『サヨンの鐘』までサービスされた。後で車に弱いと伺い並々ならぬ事だと改めて感動した。小菅節に触発されて日高さんや下田さんがこれまた飾らぬ言葉で進んで語られたのも、むべなるかなと思った。

宝覚寺に於ける合同慰霊祭の席上小菅団長が奉読した祭文はいつもながら感服した。我等の歴史認識と訪台目的や志が明確に言い尽くされて余り有り、元駐日大使の許世楷閣下も評価しておられた。

台南の飛虎将軍廟では式典の運営がかつての海軍高座会の老兵から若い方に引き継がれていたことに注目した。日台共に志を等しくするメンバーの高齢化、世代交替引継ぎが課題である。聞けば小林よしのりの愛読者とのこと、心強い話であった。

この旅は台湾に残った日本人の真情に接し心の温もりを肌で感じ日本人のアイデンティティを取り戻す巡礼の旅である。そして軍事的政治的外交的文化的、あらゆる面で台湾防衛の重要性を認識する旅でもあった。

同時に素晴らしい日本人に遭遇する旅でもある。陸士五十八期の日高さん永石さん、お父上が台湾で恩師と慕われた下田さん、陸自機甲部隊・警察機動隊の中村さん、一昨年以来御世話になった井上さん等々。日頃同窓会、年金受給者仲間、地域の付き合いでは多様な価値観を持った人達の集まり故に特定政党、特定宗派、歴史認識の話はご法度である。しかしこの訪問団の中では安心して語りあうことが出来て、筋金入りの同憂の士であることが嬉しかった。

歳を取っても感激する人間でありたい。宝覚寺の慰霊祭は日本にては滅多に味わえない感動の場であった。国旗・国歌・海ゆかばにこんなに感動を以て接することがあろうか。来年も再来年も10年先も足腰立つ限りはお供をさせて頂きたいと思う。物凄い気配りで慰霊団の行動を支えて下さったスタッフの皆さん、そして毎度ながらユニークで立派なガイドの簡さんに厚く御礼申し上げます。

旅の栞は慣れる程使い勝手が良くなり実に良くできていると感心した。
 
例によって拙い道中俳句で紙面を汚します。


霧襖突き破りいま離陸せり(成田)
冬虹を渡り蓬莱にランディング(台北)
冬日燦水庫(ダム)を見守る八田像(烏山頭)
巡礼往く高南平野の冬落暉(台南)
子等の眸(め)に未来を見たり冬日燦(塩水)
『霊安故郷』軍歌に混じる鳥の声(台中)
冬の虹天の清めし道登る(烏来)
冬桜勇士の像は南向く(烏来)

第12次 団員の声(感想文)全26件

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