団員の声(感想文)

先人の魂に感謝の意を捧げ祀る誠心

第五班 副班長 松下美佳

予定より少し遅れて到着した帰りの空港で、バスから降ろされる荷物の中から自分のスーツケースと成田へ帰る組の荷物を慌てて見つけ出し、チェックインカウンターへ向かおうとしたその時、腕を引き寄せ抱きしめてくれた人がいた。訪問団の唯一の台湾人スタッフの黄さんだ。お互いにどんな言葉を交わしたのか数日前の出来事なのに思い出せないが、腕に感じたぬくもりと離れ難い感覚に思わず涙が溢れてしまった。昨年に引き続き2度目の参加であったが、訪問団の方々と台湾への思いがこれ程強く自分の中に芽生えていたことに驚かされた。台湾の方々は臆することも無く懐に飛び込んできてくれる人懐っこさと純粋な心を持っておられるようだ。ほんの一歩を臆してしまう私に考える隙を与えない程ストレートに接して下さる姿に、新鮮な喜びを何度も感じさせていただいた。24日の台日海交会との夕食の席で林阿勇さんが私の席まで見えて「あなたのことを覚えています。」と満面の笑みで声をかけて下さったこと、また翌日の宝覚寺での慰霊祭で「写真を撮ってあげます。」と立派なカメラを片手にいろいろなお話をしたその後、昼食の席でさりげなくお菓子を下さった中日海交会の黄金龍さん、とてもこの短い時間のみの交流とは思えないまるで本当のおじいさんのような安心感があった。これはきっと台湾の方の持つ純粋で温かい人柄がそうさせるのだと思う。

今回の訪台にも、思いがけない喜びがあった。それは、いつか行きたいと思っていた獅頭山勧化堂を予想外に訪れることができたことだ。ここに祀られているのは広枝警部だ。昭和20年2月、アメリカ兵上陸との情報に2,000人の台湾志願兵を率いる広枝警部(当時海軍巡査隊長)は全員玉砕の軍司令部からの命令に背き、内密にアメリカと取引をして台湾志願兵を全員帰還させた後、責任を取って自決した。その帰還された元台湾志願兵の方が勧化堂に迎えて下さり、広枝警部についてのお話をお聞きした。この方は今では、2,000人の中でたった1人生きておられるとのことだ。長い文章を紙にしたため、読み上げる日本語の美しいこと。今では殆ど使うことがないであろう日本語をしっかりと記憶し、語る姿に元日本人であったことを改めて思わされ感激した。そして、あの長文をどれだけの時間をかけて一所懸命に書かれたのだろうと。時間が許す限り、もっとお話を聞いていたかった。広枝警部のことは勿論のこと、元日本人として生きていたこと、日本をどのように捉えていたのか、日本文化と台湾文化をどのように融合させて生きてこられたのかと。この勧化堂はひっそりとした長い階段を登り、台湾六景に指定されているという、それはそれは見事な緑の山間を目前に望める。帰る時に見た夕焼けは息をのむ美しさであった。広枝警部の魂はこの景色を毎日眺めているのだろうか。この地に広枝警部を祀り、後に夫人も共に祀って下さった台湾の方々に深く感謝したい。

去年、バシー海峡で戦死した祖父の遺影を靖國神社の遊就館に納めることができた。祖父は今の私よりも若くありながら既に父親として3人の子供を儲け、その責任を果たせないまま命を絶たれてしまった。死を予知しながら、乗り込んだ船の中での祖父の思いは如何ばかりだったか。まだ初々しさが残る、船員の制服を纏う祖父の写真を沢山の遺影の中から見つけたときには思わず目頭が熱くなった。遺影を壁に掲げていただく以前のこと、遊就館の受付の女性に祖父が靖國に祀られているのかを問い合わせたことがあった。戦地における祖父の情報は何もなく、名前と「陸軍軍属」としか伝えることができなかったのだが、パソコンでの検索により祀られていることがわかった。両親も私もその事実を認識していなかったにも拘わらず、しっかりと祖父を祀り続けていてくれた靖國。改めて、日本文化の懐の深さに感動した。現在私は靖國の近所に勤めているため、お昼には必ず靖國へ行く。祖父の魂に引き寄せられているのではないかとも思う。この国の礎を築いて下さった英霊の方々の存在を意識し、その魂と向き合える靖國。今では政治の道具に利用され、靖國の名も軽く取り上げられるようになってしまった。それでも、今年の終戦記念日の参拝者は16万6千人だったそうだ。昨年の15万6千人を大きく上回っている。靖國は、英霊の魂と向き合える場所のみならず、伝統が守られ、真の癒しが齎される場所なのではないだろうか。以前読んだ雑誌に記されていた渡部昇一氏の言葉に、首相の靖國参拝に中国が干渉する理由として、国家を守る為には死を恐れない日本人の魂の根源が靖國にあるということを中国は解っているからだとの記載があった。確かに、英霊の方々に手を合わせるということは、先人の生き様に感謝し、その姿勢を手本にすることを意味する。訪問団で行われる慰霊をする心は国民の愛国心を育て、引いては主権を侵害されることのない強い国家を築く基盤となるのではないだろうか。台湾の方々は獅頭山勧化堂や飛虎将軍廟に見られるように、先人の魂に感謝の意を捧げ祀る真心を持っておられるが、台湾の靖國に相当する済化宮に於いても、靖國と日本人の関係と同様のものが存在しているのではないか。時代がどう移り変わろうとも伝統文化を静かに守る靖國と済化宮がいつまでも失われることがないよう祈るばかりである。宝覚寺における慰霊祭で、台日海交会会長の林徳華さんの挨拶にあった「日本は日本、中国は中国、台湾は台湾」という言葉を胸に刻み、日本と台湾が英霊を尊ぶ心を忘れず、いつまでも誇るべき国家を守っていけることを願う。

今回の訪問団に参加して驚いたことは、昨年よりも確実に進化をしているということだ。飛虎将軍廟における、台湾の方主体のセレモニー、塩水小学校でのお揃いの園児の衣装、宝覚寺における慰霊祭の司会進行、そして何よりも、訪問団員の松俵氏の出資金から新しい保安堂に立派な龍の柱が2本立てられたことと、壁に12年に亘る訪問団の慰霊活動の趣旨が刻まれ、誰の目にも触れることが可能になったことだ。また、塩水小学校の子供達が、私達訪問団の名刺を貰い集めていることも昨年にはないことであった。彼らがその名刺から何かを見出し、将来これまでにない日台関係を生む可能性を感じる。地道ではあるが、この意義深い活動が歴史に刻みこまれ、ずっと継続していくことを心から願う。

結びにあたり今回も小菅団長様はじめ訪問団の皆様には細やかなお心遣いをいただいたこと、そしてツアー参加者の皆様のお陰で大変楽しい旅になりましたことに深く感謝をいたします。ありがとうございました。

第12次 団員の声(感想文)全26件

訪問次で探す

お問い合わせお問合せ