団員の声(感想文)

第21次台湾慰霊訪問団に参加して

第六班 牛島班 真栄田強

今回2回目の参加であります。沖縄県糸満市の真栄田強(昭和30年64歳)であります。当市は沖縄本島最南端に位置し、県立平和記念公園には、上皇陛下も皇太子時代を含め11回も行幸啓された国立沖縄戦没者墓苑。また、太平洋を眺望する高台には、牛島中将を祀る「黎明の塔」、平成28年には「台湾の塔」も建立され、各府県ならびに各種団体等の慰霊塔51基顕彰されております。

そこで、今年の大儀も大東亜戦争でアジア独立の為、共に散華された3万3千余柱の台湾國英霊への顕彰慰霊が最大の目途でありましたが、これまで20回本慰霊団を統率された小菅亥三郎団長が本年7月に急逝され、急遽小菅団長への哀悼を込めた慰霊と踏襲の旅だと衷心より敬意を申し上げます。

今回は、現地集合Bプラン(2泊3日5名)で参加させていただきましたが、機の到着(入管)等、1時間遅れ、他参加者及び添乗員(※)へ心から謝辞申し上げます。『※新幹線一便遅れで指定席が自由席(立席)へと変動』

B班合流行程初日(3日目)、田園風景が素敵な田舎町(夕暮れ移動中で判断)「講古伯聯誼協会主催交歓夕食会」では、幼児から尋常小学校で学ばれた矍鑠(かくしゃく)たるご老人、踊り(ダンス)歌で大歓待を受け、恩返しとして全員で日本軍歌を披露し、美味しい地元食と地酒で舌鼓、和気あいあい堪能した。

一泊目は台中市街地の広々としたホテルでは、昨年同室だった相棒(同県5歳下)の班長と零時を超え、時事問題を語りながらも明日へ向け瞑想にふける。

二日目、朝食バイキングを早々に済ませ、『宝覚寺』へ8時頃到着した。始めに、同境内にある日本統治時代に台湾で亡くなられた日本人の方々1万余名が永眠されている「日本人墓地」に於いて慰霊式が厳かに斎行され、一人一人が御焼香を捧げご冥福を祈る。

続いて本訪問団の最大の目的である『大東亜解放』を目指し日本軍と共に激戦し、無念にも散華された台湾國軍属の英霊顕彰祭が挙行された。慰霊祭は、李登輝元総統の揮毫(きごう)した「霊安故郷碑」前で営み、台湾と日本両国の国旗に拝礼、君が代に続き台湾国歌を斉唱、黙祷後原田団長代行より献花、両国による祭文を奏上し御礼挨拶後、第21回目慰霊祭は終了した。

引き続き、今回特別に「小菅亥三郎団長追悼と感謝式」も挙行された。儀式では遺影、等身大パネルの御霊でご入場いただき、これまで20回の訪問を通した関係者各位、佳話ならびに弔意を表し、あまりにも早すぎた逝去への真情を吐露された。

台湾台日海交会主催歓迎昼食会では、会員の皆様と円卓を共にしましたが、今回は小菅団長故人の追悼の辞も多く、今年はしめやかな雰囲気の中で催された。

一行はバスに揺られ約一時間半で新竹縣の「南天山濟化宮」へ到着。本宮は、九段の靖国神社に祀られていた台湾國軍属、約2万8千余柱を分祀して道教式の位牌へ代え7階建ての室内へ隈なく奉納された祭殿で、一同日の丸を掲げ全員で君が代を斉唱し黙祷を捧げ、団長代行より祭文を奉納し厳粛に慰霊式を挙行した。

式典後、バスで新竹駅より台湾高速鉄道にて一路台北駅到着後、黄文雄先生主催歓迎夕食会へ招かれた。黄先生始め参加されたメンバーは、米在住の大学教授や地元の教授、新聞社社長、作家など知名度の高い知識人で、悠長な日本語で挨拶をされ、昨年同様共にお酒を酌み交わしほろ酔い気分で歓談した。

最終日は大正7年台湾総督へ任命された「明石元二郎」元総督墓所での慰霊式である。明石総督は、「台湾を内地同様の状態にすることを目指せ」と号令し、産業と貿易を振興し教育改革へ邁進する等、台湾の発展に寄与されたが、就任僅か1年3ヶ月で病魔に侵され56歳で逝去なされた。「死んだら台湾に埋葬せよ」と色々な経緯を経て現在の墓所へ建立された。

しかし、残念ながら献花式は小雨が降る間合いでの開催となるが、高台に位置する墓所の真正面には綺麗な「大虹」が出現し、誰もが小菅団長の御霊を感じ畏敬と瑞兆の虹へ念願するなか挙行された。

最後は、台日文化經濟協會主催歓迎昼食会へご招待頂き、台湾経済を代表する御歴々の方々が温かく迎えてくれ美味しい料理に舌鼓を打ちながらも、現在の時事実情をほんの少し語りながら歓談した。

今回2度目の慰霊訪問の旅でも、各神社仏閣の参拝ならびに各社団体との会食会を通し、戦前の日本教育を享受した先人が、子孫へ日本精神を継承し、英霊を神と祀り大切に信仰しているのは、日本統治の正当性の証だと確信するも、現在台湾國の民族精神は日本を遥かに凌駕するものであり、令和の繁栄を期待するとともに「運命共同國」として再確信するものであります。

第21次 団員の声(感想文)全26件

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