団員の声(感想文)

第21次台湾慰霊訪問の旅に参加して

顧問 横尾秋洋

令和元年7月24日小菅亥三郎団長ご逝去の悲報に接し、小菅亥三郎団長なしでの台湾慰霊訪問を誰が予想していたでしょうか。永遠に小菅団長が引率されるものと信じていましたし、小菅団長あっての日華(台)親善友好慰霊訪問団であるものと思っていました。奥様、ご家族、学校関係の皆様のお悲しみを察するに、かける言葉もありません。衷心より小菅亥三郎団長のご冥福をお祈りいたします。

さて、小菅団長亡き後、第21次訪問団の組織が編成され、団長代行に原田泰宏・田口俊哉氏、副団長に富原浩・大山猛・田中道夫氏、統制に木下修・湯下雅俊氏、そして私が引き続き顧問の役を仰せつかり49名の参加者で挙行されました。

陳忠正総領事ご夫妻、小菅順子奥様のお見送りを受けての旅立ちでした。

今回の訪問団で特筆すべきは、湾生の森澤満子さんの参加でした。芝山巖事件後、台湾の教育こそが最優先すべき政策ということで、第1回講習員募集の45名が採用されました。その中に既に小学校校長をされていた「坂根十二郎」先生がおられ、台南国語伝習所に派遣されました。森澤さんはその坂根先生のお孫さんにあたり、昨年に続き2回目の参加でしたが、さらに知識を深められたようでした。

そして更に最大の驚きは23日の「保安堂(慰霊祭)」です。保安堂での式典が終了しての夕食会でしたが、地域のお祭り、国会議員の選挙運動中等相まって大変な騒ぎとなりました。参加者が1,400名を超え、ステージでは「蓬38號 英霊返郷團」張吉雄主任委員による「蓬38號」の調査結果についての報告があり、「蓬38號」の艦長以下145名の乗組員全ての身元が判明されたとの報告でした。

さらに総統府秘書長「陳菊(日本の官房長官にあたる)」氏の挨拶や着物姿での日本舞踊、お神輿等々日本では到底見られない光景で、日本以上に日本文化を大事にする台湾の姿を見ることが出来ました。

また、同じテーブルでは大漢技術學院名誉教授「許華杞」理学博士と隣り合わせとなり会話が弾んだのですが、後になって許先生を含む3人の台湾人が日本国籍に戻せと大阪地裁に訴訟を起こされていることを知りました。1895年から1945年までの50年間日本国民でありましたから、特に台湾の靖国神社「南天山濟化宮」の英霊は、日本人として生まれ日本人として散華された若者であり、まさか日本の敗戦により台湾人に戻ったとは知らないのであります。

さて、今回も事務局のご苦労により素晴らしい学習資料を作成していただき、さらに知識が深まりました。後日談ですが保安堂にてLINEで友人になった方の情報によると、保安堂の活動として「戦没者の遺骨収集」をしており、その活動の中に東龍宮の近くで1,000人もの遺骨が発見されたとの事です。戦後74年が過ぎましたが、まだまだ大東亜戦争の戦後処理は続いています。

終わりに、4泊5日の慰霊訪問の旅も小菅団長のお導きにより無事福岡空港に到着、団長夫人、陳忠正総領事ご夫妻のお迎えをいただいての解散となりました。

小菅亥三郎団長を偲びながら帰朝報告といたします。

第21次 団員の声(感想文)全26件

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