団員の声(感想文)
~海の彼方のニッポンを訪ねて~
第六班 牛島班 狩俣進
1.はじめに
4年も前の事ですが、大東亞戦争中、沖縄の地で散華された台湾の元日本軍人の英霊が、沖縄の地では祀られていないとの話を聞きました。台湾と沖縄の理解ある人々が、その英霊に報いるために台湾慰霊塔の建立に立ち上がり、僕にも協賛の依頼がありました。沖縄県糸満市の県立平和記念公園には、各都道府県の塔はもとより韓国の塔も建立されて、沖縄戦で散華された全ての英霊が祀られていたと思っていたのに、なぜ台湾の慰霊塔だけが建立されていないのか、とても驚きました。英霊に国境があってはなりません。
そこで元日本人として散華された台湾人の英霊と台湾の方々に申し訳ないとの思いもあって、台湾の塔の建立に協賛しました。その甲斐あって「台湾の塔」は平成28年6月に建立され、今では台湾人の英霊も県立平和記念公園で安らかに眠っておられます。そのような折、今年5月に副団長の富原浩様から、「台湾に於いては大東亜戦争で散華された日本人の英霊が戦後間もなくから長い間に亘って、台湾人によって温かく祀られている」との話を初めて聞きました。そして「11月には第21次台湾慰霊訪問の旅がありますので一緒に行きませんか」との勧めがあって直ぐに「はい」と返事をしました。
前置きが長くなりましたが、以下に台湾慰霊の旅の感想を記します。
2.慰霊訪問の概要~百聞は一見に如かず
旅行に先立ち、旅の「栞」が届きました。冒頭に『在天の諸霊 冀くば 永に鎮まりて 日台千載の友諠を深め 以て 亜細亜恒久の平和を護らんとする 吾等が初心の貫徹を援け給へ』と故小菅亥三郎団長の遺志を受け継ぐ言葉から始まり、行動指針、日本人としての気品と気迫等々一通り目を通しました。今回の旅は単なる旅行ではなく慰霊訪問の旅であることは承知していたものの、全日程プランを見て、11月25日の慰霊式・慰霊祭・追悼感謝式がメインで、他は慰霊式を兼ねた観光地巡りと思い、胸はワクワクして台湾に向いていました。
11月22日、台北に到着して専用車で芝山公園の献花式に臨みました。献花式にあらかじめ用意された大きな日の丸を掲揚し「君が代」が斉唱されての献花式に驚きました。僕は戦後の長い間、沖縄各地の戦没者慰霊式に度々参列しておりますが、日の丸を掲揚し「君が代」を斉唱しての経験が無かったからです。
沖縄県は、戦後27年に亘ってアメリカに統治され、本土復帰後も、国旗・国歌に対する反対運動が激しく、メディアもこれに同調する報道が、沖縄県民の感情に大きく影響したものと思います。
献花後、僕はすぐに我に返りました。日本国の為に「死して余栄あり、実に死に甲斐」をと「六士先生」方々の御霊へ日の丸を掲揚し、「君が代」を斉唱して献花することは、当たり前のことだからです。
翌11月23日から11月26日の行程においても日の丸が掲揚され、「君が代」が斉唱されて厳かに執り行われたことに感動と感激の極みでした。式典に於ける原田、田口両団長代行、副団長等による追悼の辞にも心を打たれました。また各会場に於ける台湾の方々の真心のこもった「おもてなし」の歓迎、懇親会で初めてお会いする台湾の方々と、真の国家間の友情を感じました。中でも旧日本海軍38號哨戒艇蓬乗組員145名の英霊が祀られている高雄市の保安堂での歓迎ぶりです。我々慰霊団を歓迎する花火が打ち上げられ、爆竹を鳴らし、夜市の道路は歓迎する人々によってあふれかえっておりました。
特設の舞台では現地婦人和装による日舞の踊りから始まり、軍艦マーチの響きにより、日本海軍水兵服を着用した3人組の青年が登壇し、進軍ラッパによる起床から朝礼、日課が披露されたことには、ここまでやるのかと圧巻の思いがしました。フィナーレは台湾の方々が剣道着を着用して竹刀による演武、原田団長代行による袴姿での『能』の演武には迫力を感じ、その人柄を感じました。
3.忘れられない台湾人3人の言葉
11月23日保安堂の会場で、日本語を話す古老の女性が各テーブルを廻って挨拶をしていました。僕は保安堂の関係者かと思って、その時は話す機会はありませんでした。
翌24日の晩、台中での交歓会で再び彼女と出会い、僕は思わず「高雄から来たのですか?」と尋ねたところ、「いや台北から来た」と答えたのでビックリしました。高雄から台中まで数百キロの道のりであるのに、昨夜高雄から300キロの台北に戻り、今日はまた台北から数百キロの台中まで来られたこと。また思わずお幾つですかと尋ねたら、「90歳を超えたのよ」と返事が返って来ました。そして「私は日本軍の従軍看護婦なの。上海の女学校を出て日本軍の従軍看護婦として戦地に行ったが日本は負けました。それでも日本人になりたくて台湾に渡って来たのよ。台湾の方で元日本人として日本軍に従軍した人たちは、日本は負けても日本は良いと思っています。元日本軍人11人が共同で日本軍を慕う本も出版している」とバックから出して本を見せてくれました。その本には「護国丸」と書いてありましたが、内容まで見ることは出来ないので、目次だけを見させてくださいと言って拝見したところ、11名の連名の本でした。
さらに別の本もバックから出して見せてくれ、それは2018年9月号の世界思想の月刊誌でありました。同誌には、台湾の李登輝元総統による「台湾戦没者慰霊碑」の除幕式に出席した際の記事が掲載されていました。
更に翌25日の事です。
午前9時から始まる宝覚禅寺慰霊祭に彼女が喪服姿で赤十字の腕章、胸にも赤十字のマークを付けて列席しました。彼女曰く、「私は毎年この慰霊祭に参加しています。去年は4人の従軍看護婦が参加したが、今年は私一人になりました。寂しくなる。これからはどうなるのかな・・・」と言いながらも、日本軍の従軍看護婦を誇りに思っている様子でありました。
11月24日の台中での交歓会のステージには元日本軍人の3,4人の長老がいて、その内の2人が自己紹介をされました。その1、「私は昭和2年生まれで92歳です。日本の教育を日本語で習ったが、今では日本語を話す人が居なくなって、日本語を忘れかけている」とたどたどしい言葉で「日本人は情が深い!日本は台湾を復興させた!」と語りました。その2、「私は98歳です。日本の教育を日本語で習った。神戸の医大で医学を学び医師になった。日本人として日本軍に召集されて戦地に出兵したが、2ヶ月後に日本が負けて台湾に帰った。開戦前の日本の情勢は、陸軍は開戦に賛成!海軍は開戦に反対!国内は開戦一色で、開戦しないとクーデターが起こったかもしれない」そして「日本の教育制度は良かった」と語りました。
この3人の言葉のように、台湾で生まれ日本の教育を受けた人達は日本は良い国と思っています。
我々の台湾慰霊訪問団の誓い「日台の生命の絆 死守せむと 吾 日本の一角に立つ」の決意と信条を多くの人々に伝え広めて行くことが我々の使命と思いました。
4.慰霊訪問団の旅は学びの旅であった
①先輩から台湾の旅は楽しい事がいっぱいある、一度行ってみたらとよく勧められていました。今回の旅で感じたことは、楽しいばかりが旅ではない、学ぶことも旅だと思いました。
②日本は戦後GHQにより悪い国だ、教育制度が悪かったとの占領政策により、歴史・地理・修身教育が禁じられました。その影響で未だに国民に主権国家の意識が欠如しています。台湾に来て日本の教育は良かったと言われる人々が多いことに驚きました。つまりGHQの政策が届かなかったことにもなります。
③台湾には北の台北から南の高雄に至るまで、日本の明治から大東亜戦争開戦までの近代歴史資料が台湾人によって大事に管理、保存されていることを初めて知りました。これまでの歴史観の浅はかさを痛感しました。
5.今後の課題
台湾の親日の方々が高齢となりました。日本軍の従軍看護婦の「今年は私一人よ・・・後はどうなるでしょうか」との言葉や、元日本軍人の方々も90歳を超える高齢となり、先行きに不安を感じました。これからの課題を乗り越えるためにも、我々慰霊訪問団が、台湾の方々とさらなる絆を深める大事を痛感しました。
6.むすび
この訪問団への参加を勧めてくださった副団長の富原浩さんには、日頃から物心両面の支援を賜り厚くお礼申し上げます。この台湾慰霊訪問に際し、周到綿密な計画により、安心、安全な旅の目的が達成されたこと、原田・田口両団長代行、事務局の皆様に感謝の敬意を表します。
第21次 団員の声(感想文)全26件
- 第21次台湾慰霊訪問の旅に参加して(横尾秋洋)
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- 第21次台湾慰霊訪問団に参加して(富原浩)
- 新たな門出(大山猛)
- 第21次台湾慰霊訪問団に参加して(木下修)
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- 令和元年11月22日(金)から11月26日(火)までの4泊5日の第21次台湾慰霊訪問の旅に参加して(中山雄夫)
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