団員の声(感想文)

日本精神と日本本来の教育を取り戻すには

第三班 班長 福田章枝

今回私にとって4回目であるこの慰霊訪問の旅を通して、痛切に考えさせられるものがあった。それは現在の日本の教育の在り方である。教育は百年の計といわれているが、日本が台湾を統治していた間の50年間で成した教育政策は、実に見事であったことが分かる。それは人格の優れた教育者を台湾に遣わしたということである。江戸時代に創設された藩校では、道徳を最も重要視していたといわれている。台湾の統治において、日本から教育者として送った人材は人間愛に富み、人を育てるという使命感に燃えて彼の地に赴き、まさに命がけで教育の働きに奉職していったのだということを推し量ることができる。欧米のいわゆる植民地政策とはまるで違う統治政策を進めていく中で、日本はまず教育に着手したこと、一流の教育者を送ったこと、この教育政策を通していかに教育が重要であるかということが分かる。もちろんこれらの教育政策は、はじめは現地の人々に直ぐに何の問題もなく受容されたわけではなかったのである。最初に遣わされた6名の教育者は血を流し命を奪われたのである。しかし、それらの困難をものともせず、台湾の地に教育者として志願する優秀な人材が遣わされたことは歴史を振り返っても特筆に値する。

私たちはいったい何のために教育を受けるのか。私たちは知恵を身につけるために学ぶといわれている。身につけたものは、世の中に還元していくべきものであると思う。現在の日本においても、武士道の精神が今も脈々と受け継がれているように思う。感謝、勇気、正直、努力、誠実、利他の精神等は日本独自のものであるように思う。この利他の精神がもっとも分かりやすく成された偉業の一つが、水利技師であった八田與一の業績による烏山頭ダムであると思った。ダムの建設は現地の人々に最初からスムーズに受け入れられたわけではなかった。また、事故や疾病などで多くの死者も出ている。注目すべきは亡くなられた日付順に記念碑に名前が刻まれている。決して日本人が頭ではないのである。建設工事に従事する人々に、家族とともに生活することを大切にして住宅を整えたことなどを知り、単に技術者であるだけではない八田與一の人間愛を見ることができる。

我が国のこの教育の土台は、江戸時代に入り平和な時代にこそ教育をしっかり立て直そうとして創られたといわれている。明治期に入り西洋の空気が日本に入り込む中で、教育においても様々な困難を極めたといわれている。私はそのような背景を推し量りながらも、日本と等しく台湾の地の教育に力を注いだ明治政府の働きに、現代の私たちは学ぶ必要があるように思う。私たちは現地の方々との交流を通して、「海の彼方のニッポン」というものが台湾の地に明らかに存在し、今もなお触れることができると知るのである。

今、私たちの国、日本国は果たしてどうなのだろうか。親が子供を殺め、自分のいら立ちをどうにも処理できず他人を簡単に殺めてしまう。ついに「殺し切りました。無期懲役に万歳をする」という犯罪者が生まれている。このひずみはどうしたことなのだろうか。また、今日本の子供たちの視力が極端に低下してきていることが危惧されている。台湾ではすでに対策が取られ、運動量が少ないことが視力低下に繋がっていることに着目して、休み時間に外で積極的に遊ばせているそうである。これらのことを通してみても、日本はこれから先大丈夫なのかと不安を覚えるのである。日本は、今一度、原点に戻り教育を取り戻さなければならないと、この慰霊訪問の旅を通して強く思わされた。

第21次 団員の声(感想文)全26件

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