団員の声(感想文)
第21次台湾慰霊訪問の旅
第五班 湯下班 江藤憲一
前回の訪問時は「湾生なのに台湾の事を何も知らなかった」という状態でした。これでは20年以上頑張っておられる皆様に対し申し訳ないと、訪問前に台湾について勉強し直してみました。
私は昭和15年に台中で生まれたのですが、4番目にして初男子誕生という事と姉3人中、2人が小さい時に同地にてマラリヤで死亡していた関係で大変大事にされました。そして「決して生水は飲むな」と言われて育ちました。従って自分の心の中には、こんな台湾に多くの人が住み着つくとは考えられないという思いがありました。
16世紀中期、最初に台湾に到達したポルトガル人もヨーロッパ等に向けて、台湾はとても美しい島だと伝えていますが、それで終わっています・・・・。
ポルトガルはこれより14年前にマカオの使用権を獲得しており、マカオを拠点として、日本・中国・ポルトガル3国の商品をキャラック船と呼ばれる遠洋航海用の船で取り扱っていましたが、この頃までは台湾の魅力はまだまだであったように思われます。
オランダの東インド会社が台南に拠点を置いた頃から外国の動きが活発化し、オランダ~清朝~日本統治~日本の敗戦により現在の姿へと台湾は歩み続けています。
中国清朝の統治期間は200年以上もあるのに、日本が50年間に行った多くの国策のほうが遥かに内容が優れていたと思われます。これは長い鎖国の間に全ての面で近代化が遅れていた日本がペリー来航以来取り組んできた、追いつき追い越せの多くの改革や殖産興業、そして周辺国が大きな波に呑み込まれないため、その独立を助けることによりアジアを列強国から守る活動があったことは確かだと思います。その流れの中で台湾との出会いがあり、日本敗戦後も続いているとも考えます。
第21回目に訪問した八田ダムは、日本が明治の初めから取ってきた国策の延長線上にあり、その素晴らしさに感銘いたしました。今、台湾の人が最も望んでいることを想像すると、独立した台湾人による台湾人の為の国づくりではないでしょうか。
この感想文集が出来上がる頃には第一段階の吉報が出ていることを望みます。
軍属の方々、その他軍隊には行かずとも、心は日本人という方々を本当に身近に感じて嬉しく思います。特に私は宝覚寺のある台中で生まれているのですから。
最後になりましたが、小菅先生の志を受け継がれた団長代行の原田さん、田口さん、そして関係者の皆様、素晴らしい慰霊団の旅を企画され、見事に実施されたことは、小菅先生にとっても最も嬉しい事であったと思います。留守宅でご心配されていた奥様と福岡空港でお会い出来たこと、また総領事ご夫妻のお見送り、お出迎えには深く感謝申し上げます。
皆様本当に有難う御座いました。
第21次 団員の声(感想文)全26件
- 第21次台湾慰霊訪問の旅に参加して(横尾秋洋)
- 第21次日華(台)親善友好慰霊訪問団(原田泰宏)
- 第21次台湾慰霊訪問の旅 団長の想いを胸に新たなる20年の決意(田口俊哉)
- 第21次台湾慰霊訪問団に参加して(富原浩)
- 新たな門出(大山猛)
- 第21次台湾慰霊訪問団に参加して(木下修)
- 第21次台湾慰霊訪問団 継続は力なり(湯下雅俊)
- 実践哲学者、小菅団長の遺志を受け継いでの旅(津田建一)
- 日本精神と日本本来の教育を取り戻すには(福田章枝)
- 第21次台湾慰霊訪問の旅「私にできること」(虫本隆夫)
- 第21次台湾慰霊訪問団に参加して(宮野秀樹)
- 第21次台湾慰霊訪問団「日本精神の残る台湾を手本にすべき」(佐竹芳郎)
- 第21次慰霊の旅に参加して「体力の続く限り参加したい」(井口保二・井口婦美子)
- 令和元年11月22日(金)から11月26日(火)までの4泊5日の第21次台湾慰霊訪問の旅に参加して(中山雄夫)
- いまも生きる六士先生の精神(津田實)
- 第21次台湾慰霊訪問団に参加して(森澤満子)
- 初めての台湾との出会い(花田繁道)
- 日台の架け橋に(茅野 慧/中学2年)
- 三たび感動の旅台湾へ 日本人としての素敵な日本再発見の旅(久保山一雄)
- 第21次日華(台)親善友好慰霊訪問団の旅を終えて(木下栄次)
- 第21次台湾慰霊訪問の旅(江藤憲一)
- 第21次台湾慰霊訪問の旅に初めて参加して 古き良き日本が残る台湾(福島 久男)
- ~海の彼方のニッポンを訪ねて~(狩俣進)
- 第21次台湾慰霊訪問の旅を終えて(花城芹奈)
- 第21次台湾慰霊訪問団に参加して 富原社長から戴いた宝物「台湾慰霊の旅」(町田二三代)
- 第21次台湾慰霊訪問団に参加して(真栄田強)