団員の声(感想文)

第21次日華(台)親善友好慰霊訪問団

団長代行 原田泰宏

1.はじめに
今回で21次の慰霊訪問団は、小菅亥三郎先生が亡くなられて初めての慰霊訪問団となりました。私は今回、2名の団長代行の1名となり、主に慰霊祭での祭文・祝詞奏上に携わりました。後にご紹介しますように慰霊訪問の旅はほぼ一年間何らかの準備がされておりますので、その全体からすると微々たる役割しか果たしておりませんが、慰霊訪問の旅そのものは、事務局を中心とした準備・運営と団員の皆様のご協力により無事成功裏に終わることが出来ました。

ここに団長不在の今回の慰霊訪問団の実績をご紹介し、また今後の慰霊訪問の旅についての思いを述べたいと思います。

2.慰霊訪問団での小菅団長
小菅団長については今更私が言うまでもありませんが、慰霊訪問団の創設者であり、平成11年の第1次から昨年平成30年の20次まで一回も休みなく団長として、慰霊訪問の旅を計画し、団員を募集し、台湾の訪問先や旅行会社と調整し、準備万端整えたのち、毎年11月の慰霊団を率いて訪台し、訪問先での慰霊や儀礼を尽くし、現地の多くの方々との心からの交流を図られ、道程では団員に対しては、訪問先についてそれに纏わる歴史的背景や訪問の意義、また戦後の教育では教えられてこなかった日本や台湾の歴史について、深い洞察力で解釈された歴史の真実を語られ、日本人としての心構えを植え付けるなど、偉大な指導者、先導者、統率者でした。

この慰霊訪問団は、商売に結び付かない、邪なたくらみを持たない民間からの資金と団員で構成され、台湾に眠るご英霊に深甚なる慰霊の誠を捧げることを目的に20回(20年)も継続してきたことが台湾の方々に認められるようになり、多くの台湾の方々から訪問を請われ、私たちの訪問を毎年待っていただけるようになりました。また、昨年は台北駐福岡経済文化辦事處の推薦もあり、慰霊訪問団の活動が認められ中華民国政府(台湾日本関係協会)からの晩餐会にご招待をいただけるほどになりました。

3.慰霊訪問の旅の周到な準備・運営はしっかりとした事務局が担っている
慰霊訪問の旅は4泊5日の短い旅ですが、これを催行するためにほぼ一年間の周到で地道で多大な労力と資金がその準備にかけられています。これらを中心になって担っておられるのが小菅団長と学院の職員で構成される事務局の皆さんです。その活動の一端をご紹介しますと、チラシ、DM、雑誌やインターネットによる『団員募集』、協賛金の依頼、団員募集の新聞広告が中華人民共和国の恫喝に屈した新聞社の拒絶に遭った事を契機に始められた6月の『台湾特別講演会』の開催とこれにかかわる年明けからの準備、8月15日終戦記念日の『家族護国神社参拝』の開催、10月の『慰霊訪問団の結団式・壮行会』の開催、慰霊訪問の旅程に直接かかわるものとして、台湾訪問先への連絡と調整、航空券・ホテル・貸切バス・慰霊先の献花手配など旅行会社との打合わせ、訪問先へのお土産の手配、旅行日程の検討と関係箇所との調整及び決定、私的な一民間団体とはいえ日本国民を代表する一行として心を込めて書かれる祭文や祝詞の作成、訪問先に関する『資料集』の作成、スケジュールや部屋割り、役割分担表を記載した旅の栞の作成、そして11月の『慰霊訪問の旅』の催行・慰霊祭の運営、帰国後は、1月の『帰朝報告会・新年会』の開催、『感想文集』、『ライセンスメイト』(報告集)の作成です。事務局の外側にいる私から見てもこれほどあるのですから、実際は膨大な労力の上に慰霊訪問の旅が成り立っているものと想像することができます。

当初、慰霊訪問団は小菅先生が経営されている学院の社員旅行を兼ねて発足しましたが、「原台湾人元日本兵軍人軍属三万三千余柱」のご英霊に深甚なる慰霊の誠を捧げることを継続していくためには、団員を広く広げる必要性があることから、団員を一般から募集され現在に至っています。

4.第21次慰霊訪問団の団長と団長代行について
小菅先生は今年7月24日に急逝されました。そこで慰霊訪問の旅と団長をどうするかについて事務局を中心に検討され、慰霊訪問はご英霊との約束であり、参列し顕彰と慰霊の誠を捧げるのが日本人として当然なすべきこととしてきたこと、これまで20年間に亘って慰霊訪問の旅を率いてこられた団長に対する高い尊敬の念や敬意が慰霊訪問団の評価になっていること、既に慰霊訪問の旅の準備は着々と進み小菅団長をトップとして台湾や国内の関係者に周知されており、直前の団長変更は国内外の関係者に混乱を招く懸念があること、などから慰霊団は予定通り催行することはもちろんですが、団長は小菅先生以外には考えられず、慰霊訪問の旅において今まで団長が直接担っておられた慰霊祭での儀礼(祭文・祝詞奏上)、訪問先での挨拶、団の統率などは、2名の団長代行が分担することで実施することに至りました。

このように小菅団長が突然参加できなくなっても慰霊の旅が実施出来るのは、五郎丸校長を始め職員の方々からなる事務局がキチンとしている(小菅団長が20年の実績を積み重ねられ事務局を創られてきたと想像します)ということを抜きには考えられません。

5.今回の慰霊訪問の旅の結果
今回慰霊訪問の旅での訪問先、交歓先16ヶ所の内、人が管理されたり主催されている11ヶ所すべてにおいて小菅団長を悼んだり哀悼の言葉を掛けていただきました。また、小菅団長がいないにもかかわらず以前と変わらず私たち慰霊訪問団を温かく迎えてくださいました。今回、団長代行を2名立てて訪問団を組織していることをお話しますと慰霊訪問団が来年以降も継続される体制が整っていると感じられたのか、安心されているようでした。

訪問先での慰霊は慰霊団として、儀礼を尽くし、交歓し、台湾の方々と魂の交流を図りました。また、事故も病気もなく、今回の慰霊訪問の旅は成功したと言えると思います。

6.今回の慰霊訪問での新たな変化
慰霊訪問団の慰霊の主要先である台中市寶覺禪寺で催される「原台湾人元日本兵軍人軍属大慰霊祭」の主催団体である「台彎台日海交會」(周良仁会長)の会員は戦前生まれの当時日本人だった方々を主体に構成されていますが、高齢化により会員が少なくなり、慰霊祭の開催が危ぶまれておりました。そこで、小菅団長が今年2月、事前に現地に行かれ、慰霊祭の存続について会長以下役員の方々と協議を重ねた結果、慰霊訪問団が中心となって慰霊祭を継続する決意を表明され、協力を要請されました。これを受けて、慰霊祭存続のため羅水連氏、林余立氏、謝金梅氏等が中心となり「講古伯聯宜協會」が設立され、今回、慰霊訪問団が訪問し交歓会に参加することになりました。

交歓会は協會の役員の皆様ほか地域の皆様総出で歓迎していただき、羅水連氏の娘さんが教えておられるダンス教室の幼児や子供さんのダンスや歌、羅水連氏の息子さんが腕をふるわれた美味しい地元料理でおもてなしをしていただきました。

台湾側では第一世代から第二世代、第三世代へとバトンタッチが図られる素地があることが確認でき、我が慰霊訪問団での若い世代へのバトンタッチが整えば、台湾との交流が継続できると期待を抱かせる交歓会でした。

7.今後の慰霊訪問の旅について
我が慰霊訪問団が台中市寶覺禪寺での「原台湾人元日本兵軍人軍属大慰霊祭」を継続する表明をしたこともあり、慰霊訪問の旅は来年以降も実施します。もし、実施せず今年で辞めれば日本人の精神である軍人勅諭「信とは己か言を踐行ひ義とは己か分を盡すをいふなり」に悖ることとなります。

そもそもこの慰霊訪問団の第一義の目的は、大東亜戦争で日本兵として亡くなられた台湾人3万3千余柱に、日本人として追悼と感謝の誠を捧げ、顕彰することです。この崇高な目的に対して、真の日本人と自覚する者は慰霊訪問の旅を止めることは出来ないのではないでしょうか。真の日本人を絶やさず、増やしていくためにも、慰霊訪問の旅を今後も継続していく必要があります。

このための課題として、より若い人の新たな参加が求められていきます。また、旅行中においては慰霊訪問団の団員(事務局以外)一人一人が慰霊訪問団の持つ目的『原台湾人元日本兵軍人軍属英霊顕彰の旅』に沿って、自律的に行動できるようになって、事務局の負担を減らすこと、更に重要なのは、諸活動の表に現れませんが、この素晴らしい事務局を維持することです。幸い、田口団長代行が事務局に専任として加わりましたので、小菅団長はおられませんが、五郎丸校長を中心として引き続きこの素晴らしい事務局を維持していただきたいと願っております。

来年以降も慰霊訪問の旅を継続していきたいと思います。

第21次 団員の声(感想文)全26件

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