団員の声(感想文)
人生が変わる旅
第四班 津留班 名越譲治
第四班 津留班 名越美智子
私たちはこの度、初めて慰霊訪問団に参加しました。私がこの訪問団に参加したのは、平成26年6月8日に行われた台湾特別講演会において、黄文雄先生の講演を聞いたのと福岡経済文化辧事處の戎義俊處長の「日本精神」という言葉に惹かれたからです。戎處長は「台湾は世界一の親日国家で日本精神(リップンチェンシン)が根付いています」と述べられました。さらに「日本精神とは勤勉、進取の精神、強い責任感、法を守る、人を思いやり和を尊ぶ、忍耐する美徳です」と説明されました。私はこれを聞いた時、正直言って耳を疑いました。戎處長の言う「日本精神」とは「武士道」そのものではないでしょうか。そして武士道は日本においては忘れ去られようとしている概念のひとつでもあったからです。それがなぜ台湾で受け継がれているのか、私達の先輩は台湾で何をしたのか、それを自分の目で確かめたいと思いました。その時、私はその後に知ることになる多くの日本人の名前や業績については全く知識を欠いていました。台湾特別講演会の会場には慰霊訪問団のブースが設けられており、案内のチラシがありました。私はチラシを見ながらブースに座っていた担当の人に「この慰霊の旅は面白いですか。参加するかどうか迷っているのですが」と尋ねました。すると彼は「面白いなんてものではありません。人生が変わります。私は5回も参加しました」とびっくりするようなことを言うではありませんか。ハワイだって3回行けば飽きるのに、台湾の寺院めぐりに5回も行くなんて、正気の沙汰ではありません。でも彼は生き生きとした目を光らせて「人生が変わります」と繰り返しました。その言葉に惹かれるようにして、私は参加することを決意しました。
福岡空港に集合した時、小菅団長が帝國海軍の艦内帽を被っていらっしゃるのに気付きました。年齢からしても元軍人とは考えられず、不思議だなーと思いました。
初日は烏来の高砂義勇隊戦没英霊記念碑にお参りしました。義勇軍の募集に5000名もの応募者があったと聞き、私は改めて大東亜戦争の大義と、それに賛同した高砂族の人々の熱意と勇気に思いを馳せました。
3日目の保安堂に行った時のことです。保安堂は、この町の沖合いで沈んだ日本の哨戒艇の軍人を祀る廟です。堂内には「にっぽんぐんかん」と書かれた軍艦の模型がご神体のように安置されています。艦長らの御霊が日本に帰れるように作られたものです。保安堂を守る周辺の人たちは、艦長の眠る靖國神社に参拝するため何度も日本に足を運んでいます。この話を聞いたとき、私は感謝の念を抑えることができませんでした。いったい誰が見知らぬ外国の軍人のためにこれほど手厚い供養をしてくれるでしょうか。いや、外国の軍人ではない、その当時は同じ日本人だったのです。そして今でも台湾の一部の人々が、私達を同胞として迎えてくれることを知ったのはその日の夜のことでした。
その日は飛虎将軍廟と富安宮に参拝し、日本精神を体現した杉浦少尉や森川巡査が台湾の人々に慕われ、厚い信仰を集めていることを目の当たりにして、戎處長が言っていたことが良く理解できました。まさに日本精神が受け継がれていたのです。
その日の夜は台湾台日海交会の皆様との歓迎夕食会でした。台中市のレトロなレストランに着くと大勢の皆様が既に待っていらっしゃいました。遅れてきたことを詫びながら席に着くと、私達のテーブルには2人の高齢な台湾の方とそのご家族がおられました。高齢の男性にご挨拶をすると、元日本兵の男性の方は私の耳元に口を寄せて「今度の選挙は台湾人と中国人との戦いです」とはっきり日本語で言われました。その時、台湾では5大市長選と統一地方選が行われており、国民党の凋落が予想されていました。台湾の人々は3月に立法院を占拠したヒマワリ学生運動を体験し、香港の雨傘革命を見て、中国の言う「一国二制度」のまやかしに気付き始めていました。そして、自分を台湾人であると自覚する人の割合が過去最高になっていました。もう1人の高齢のご婦人はご主人を戦争で亡くされた方でした。家内が名刺を渡すと「私の日本名も美智子だったのよ」と嬉しそうに言われました。私は日本人として育ち、戦後は中国人としての扱いを受け、今、台湾人としての自覚を持つ人々を目の前にして、李登輝総統が言われた「台湾人としての悲哀」を心から理解できたような気がしました。しかもこれらの人々は日本精神を受け継いでいます。日本精神を忘れてしまった日本人と、それを受け継いでいる台湾人はどちらが本当の日本人なのでしょうか。それを思うと私は台湾の人に無性に懐かしさを覚えてしまいました。私たちは同胞だったのです。
4日目は宝覚寺において、原台湾人元日本兵軍人軍属3万3千余柱の慰霊祭が台湾台日海交会を中心に行われました。その時、台湾中日海交協会の林政徳会長から私達に海軍の帽子が配布されましたので、それを被って昼食会に出ました。もはや帽子に抵抗感はありませんでした。私たちは同じ大義を掲げて戦った同志なのですから。その後、濟化宮に向かいました。山深い所にひっそりと建つ濟化宮には台湾人元日本兵4万名が祀られています。7階建てのお堂には、靖國神社から提供された台湾人の霊璽簿を基にひとりひとりの霊璽が複製され、天井までびっしりと並べられています。この大量の霊璽を目の当たりにしたとき、私は当時の台湾の青年たちの大義への献身と犠牲的精神に圧倒されました。霊璽の間の狭い回廊を歩くと英霊たちの声なき声に取り巻かれているようでした。この時の光景は、いま思い出しても胸が詰まります。
私たちは台湾に残る日本精神を求めてこの慰霊訪問団に参加しました。私たちは今も日本精神が受け継がれていることを知り、それが両国の強い絆となっていることを体験できました。そして、この体験はまさしく私の人生を変えました。
第16次 団員の声(感想文)全25件
- 台灣との絆の深さ(松俵義博・松俵茂子)
- 台灣には心を呼び込む大きなものがある(永田昌巳・永田タマミ)
- 芝山巌事件と六士先生 ― 日本を映す鏡 台灣(木村秀人)
- 慰霊訪問団員としての自覚(下田健一・下田純子)
- 日台次世代の新たな日台関係の構築を(原田泰宏)
- 6分6秒6を戦い抜いた英雄たちの物語り(小倉和彦)
- 参加すればより良い日本人になれる(大山猛)
- 日本人が失っている大切な精神との出会い(津留毅)
- なにおもふ きみのまなこに わがまこと(永濱浩之)
- 感謝状(永濱武司)
- 日本人であるということは嬉しくて有り難いこと(舩津邦彦)
- 祖父の面影にふれる慰霊の旅(松下美佳)
- 魂を磨き学んで行きたい(前田マツヨ)
- 反日教育の怖さと真実を伝えることの重要性(向井百合子)
- 台湾へ慰霊訪問(吉田周司)
- 烏来の山々に響く魂籠る「君が代」(吉田喜久子)
- 日本の心と時代の決意を伝えてゆく(森岡敬子)
- 人生が変わる旅(名越譲治・名越美智子)
- リップンチェンシン(髙間光廣)
- 日本の若者達に慰霊訪問を薦めたい(関文彦)
- 天からの御褒美、台湾慰霊の旅(鶴澤美枝子)
- 大きな母の胸に、温かく包まれた気持ち(富原浩)
- 体感できた日台の生命の絆(桐谷勝)
- 継続は力なり―慰霊訪問にマンネリなし―(岩本宣善)
- 初めての海外旅行は心に残る慰霊の旅(松葉邦子)