団員の声(感想文)

祖父の面影にふれる慰霊の旅

第六班 副班長 松下美佳

慰霊訪問団に参加させていただいたのも今回で4回を数える。初参加は第11次であり、その時初めて訪れた台湾は私に大きな印象を残すものとなった。その旅で最初に迎えた朝、台湾最南端のホテルの窓から見た真っ青な海と明るい日差し、そして本当に台湾へ来たのだという感慨が5年経った今でも鮮やかに蘇る。今回の参加を一つの区切りとして、これまでの訪問団の思い出を書きたい。

私の祖父は、39歳で玉津丸の主席一等機関士として、バシー海峡に沈み戦死しており、第11次に両親と参加したのはその慰霊が目的であった。私の父が幼い頃に戦死した祖父は、大阪商船(現商船三井)の機関士だった。外国航路の長い航海を終え神戸港に到着すると、タラップから降りてくる祖父を父は祖母と一緒に迎えに行ったという。不在がちだった祖父は下船すると、父を大層可愛がり、あちらこちらへ連れて行っては台湾の事等を語ってくれたそうである。父は10歳で父親である祖父を失ってしまったが、記憶に残る祖父の面影は今でも父の誇りであり、台湾は特別な地であった。その祖父が眠る潮音寺で慰霊式を行い、バシー海峡につながる川に献花を奉げることを訪問団に叶えていただけたこと、そして両親と共に何とも美しいバシー海峡を背に写真を撮っていただけたことが、私のこの上ない感激だった。

また、私が初めて「君が代」を歌い、「海ゆかば」を耳にしたのも、この第11次に参加した時であった。日教組教育により日本の歴史に疎かった私が、この旅に参加するのと時期を同じくしてある本と出会い、日本と台湾の歴史を詳しく知った。そこに記されていた烏山頭ダムを建設した八田與一をはじめ、獅頭山勧化堂、富安宮に祀られる当時の日本人の活躍と台湾人との心の繋がりは、日本の歴史に対して漠然とした悪のイメージを持っていた私の心に、初めて歴史の中にみる日本人に清らかで強い魂を吹き込むものとなった。そして初めて自らが日本人として生まれた誇りを感じると共に、台湾への憧れを抱くようになった。第11次の旅で触れた台湾は、そこに生きる人々は勿論のこと、バスの車窓から見た景色に至るまでの全てが、胸躍る新鮮さと迫力で、改めて私に日本の歴史の連続性と自分が日本人であるという意識を芽生えさせてくれた。

小菅団長さんはバスの中で、団を発足させた動機、またはその志について度々語って下さったが、中でも私は「一銭のお金にもならないが、人と人との絆を大切にする」精神を根底に、その活動を継続されているとのお話が最も心に残っている。現在私は、慶應義塾大学名誉教授の中村勝範先生が主宰する自主独立の会に所属し、日本が勁い国家となることを願い、講演を中心とした活動の裏方をお手伝いさせていただきながら、日本の歴史や現状などを学んでいる。小菅団長さんの志が、まさに私が所属するその会とも同様の志に基づいていることに感動する。会主宰者の中村先生は度々、「情熱とは継続すること」とし、一つの志に対する情熱を如何に長く持ち続けていられるかということに真価が問われると説く。私は、訪問団に4回参加させていただき、少しづつ進化を遂げつつも、毎年変わらず慰霊訪問を続けられる小菅団長さんのたゆまぬ情熱に敬服する。

今回の旅の直前には、殊に特別な事があった。それは祖父が共に沈んだ玉津丸の最期と潮音寺について綴られた『慟哭の海峡』(門田隆将著)の出版を中村哲さんが偶然知り、教えて下さったのである。私は、訪台を控えた時期にこの本に巡り合えたことが偶然とは思えなかった。すぐに入手したものの、出発まで忙しく読むことができなかった。しかし、台湾へはこの本を持参しホテルのベッドで読んでいた。そして心の中で祖父を思った。奇遇なことに原田泰宏さんが八田與一像の前でご挨拶され、この本の内容について触れられたのにはまた驚かされた。今回訪問団に参加させていただき、改めて祖父の面影に触れられたことが私には大変嬉しいことであった。

最後に、11次以来の御縁である岩本宣善さん、中村哲さんより、1人で参加した私を旅の間中気にかけていただいたご厚意に心から感謝を申し上げます。また4回に亙る参加の中で、私の心に大きな刺激と想い出深い時間を下さった小菅団長様はじめ、訪問団のスタッフの皆様、大変お世話になりありがとうございました。そしてパワフルで純粋な笑顔を以って迎えて下さった台湾の方々の優しさをこの胸に。

潮音寺 つなぐ縁(えにし)の美しき 重ねて見ゆる 祖父の面影

第16次 団員の声(感想文)全25件

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