団員の声(感想文)
天からの御褒美、台湾慰霊の旅
第五班 永濱班 鶴澤美枝子
ツバメ飛び、蝶が舞い、蝉の声響く台湾。
夏終わる頃、南の国へ飛び去った日本の燕さん達は、ここに来ていたのですね。思わずお久しぶりと手を振った。
台湾慰霊の旅、それはかねてより異国の地で国を思い、家族を思い、祖国の礎となられたご先祖様に「君が代」を聴いて頂きたいと念じていた一歩でした。椰子の木の茂る地、台北から台南へと向かう慰霊の旅は、驚きの連続でした。目的地に着くと花火を打ち上げての歓迎、そしてボランティアの方々の心温まるおもてなし。バナナ、スイカ、(台湾の)みかん、おもちの美味しかった事、バナナのあまり得意でない私でも何本もぺろりと平らげ、お土産にまでもらったものでした。
ここで忘れてはいけないのが、台湾犬(日本犬との雑種との事)。真っ黒なスリムな体で、何処に着いても先ず出迎えてくれる、人懐っこいその目に何枚も写真を撮ってしまいました。今も懐かしく「この犬がねぇ」と私は夫に話すのです。
全てに思い出の残る旅でした。出来れば全てを皆様にお伝えしたいと頭の中が走馬灯のようにくるくる廻るのですが、目が廻るばかりで、なかなか文章になりません。
今回は、11月23日に訪ねた東龍宮(田中将軍廟)そして、25日に訪ねた濟化宮(台湾の靖國神社)の思い出を書かせていただきます。
田中将軍廟、この廟は「田中綱常」と言う日本人を祀るために建立されたものです。綱常は、明治維新前は、薩摩藩士。維新後陸軍に入隊し、後に海軍に転身し海軍少将にまでなった方で、その人生のほとんどを台湾に捧げた人です。この廟での慰霊式も日の丸を掲げ、皆で「君が代」を歌い「海行かば」の曲を流し哀悼の意を捧げる、誠に厳かそのものです。ここで私は、みんなの後ろに立っていました。
「海行かば」のメロディーが流れてくると、頭の中で、『何故貴女が歌わないのか』と声がするような気がしたので、小さな小さな声で歌っているとまた『何故貴女が歌わないのか?』私は、「歌ってるんですが…」などと頭の中で問答しているうちに曲が終わる。曲が終わるや否や田中将軍廟をお守りしている女性道士、石羅界さんが飛んできて私に台湾語で話す。通訳の人が「鶴澤さん歌って下さいと石羅界さんが言っています。彼女は田中将軍の声が聴こえる方なのです。」では私の頭の中の声は田中将軍!と理解した私は、「海ゆかば」を歌います。と即答しました。そして歌い始めると、天から力を頂くとはこのことでしょう。まるで田中将軍が、待ってましたとばかりに背中を押してくださる。私が歌っているとは思えないこの魂の叫びは今までにない感覚でした。歌い終わると石羅界さんが駆け寄り抱き合って号泣、何度も何度も抱き合いお互いの使命を確認し合ったのでした。(しかし後から考えると初めて会う石羅界さんが私が歌う人だと何故わかったのか不思議でなりません。)
ここで、書いておかなければならないことがあります。
鶴沢の母方の祖母のご先祖様は、鹿児島県で河野通有(元寇の役で活躍した伊予水軍の将)の末裔河野せつえで、後に佐賀県出身の田中全(陸軍大佐)と結婚し(母)多恵子が誕生する。田中全も時代は違うが、台湾総督府で台湾のために働いた1人なのです。田中綱常将軍もまんざら他人ではないものを感じたものでした。式典が終わって外に出ると、あの黒犬が待っていてくれた。ありがとう!
25日は4万の戦没者を祀る南天山濟化宮(台湾の靖國神社)へ。ここへ向かう途中のバスの中でうとうとと寝てしまい、宮に到着しバスから降りると息苦しい。かなりの標高かと思いガイドさんに聞くとここは小高い丘で、標高なんか知りませんとのこと。何かおかしい。2階の社殿に入ると寒気がして慌てて外に出る。3階の台湾の靖國神社に入るとさらに息苦しくなる。
ここで、小菅団長から「君が代」を御奉唱してくださいと言われ、歌おうとブレスをすると腹の底まで入るはずの息が、胃の辺りまでしか入らない。ブレスをする度に息が浅くなっていく。目が廻り倒れるかと思いつつやっとの思いで歌い終えた。歌い終えると私の異変に気づいた人たちが「どうしましたか?」と近づいてきた。その人たちも同じような経験があり、早く休んだほうがいいとバスに戻ってようやく落ち着いた。
訳の分からぬまま時は過ぎ、帰国の途に着く。福岡に着き、博多に暮らす両親に旅の報告をするとだんだん見えてきた。
平成25年6月5日より全国護國神社御奉唱の旅を始める。平成26年9月22日2巡目の満願を終え天からの御褒美で、台湾慰霊の旅を頂戴した。台湾の4万の御霊様は、鶴澤美枝子が日本から来る、日本の靖國へもう一度行きたい。そして各地の戦友たちに会うため、私と一緒に帰って来たに違いないと思えてならないのです。
平成26年12月8日より3巡目の護國神社御奉唱の旅が始まる。これは、御霊様たちが久しぶり、懐かしいと手を取り合うための旅なのです。天は言う、足を止めてはならぬ、と。
これは天の使いでしょうか。日本に帰り「君が代」と共に伝えなければと思う台湾の旅。ありがたい、勿体無いことでございます。
君が代は 眠れる神の目を覚まし 能(はたら)く力を授く歌なり 南里聖洲
この台湾慰霊の旅は、今や日本の心は台湾にあると思うほどの大歓迎で、これほど日本人に感謝し、大声で天皇陛下万歳を叫ぶ人が日本の何処にいるでしょうか。90歳を超える元隊員さんは、「天皇陛下に台湾に来ていただきたい、それが私の一番の希望です。」と。私はその時、日本に帰ったらある人に手紙を書こうと決心したのです。
国のため 命ささげし人人の ことを思へば胸せまりくる 御製
君が代を 歌い唱いて日本(ふるさと)の 千代に八千代に安寧祈る
皆様がお幸せでありますように。
合掌
第16次 団員の声(感想文)全25件
- 台灣との絆の深さ(松俵義博・松俵茂子)
- 台灣には心を呼び込む大きなものがある(永田昌巳・永田タマミ)
- 芝山巌事件と六士先生 ― 日本を映す鏡 台灣(木村秀人)
- 慰霊訪問団員としての自覚(下田健一・下田純子)
- 日台次世代の新たな日台関係の構築を(原田泰宏)
- 6分6秒6を戦い抜いた英雄たちの物語り(小倉和彦)
- 参加すればより良い日本人になれる(大山猛)
- 日本人が失っている大切な精神との出会い(津留毅)
- なにおもふ きみのまなこに わがまこと(永濱浩之)
- 感謝状(永濱武司)
- 日本人であるということは嬉しくて有り難いこと(舩津邦彦)
- 祖父の面影にふれる慰霊の旅(松下美佳)
- 魂を磨き学んで行きたい(前田マツヨ)
- 反日教育の怖さと真実を伝えることの重要性(向井百合子)
- 台湾へ慰霊訪問(吉田周司)
- 烏来の山々に響く魂籠る「君が代」(吉田喜久子)
- 日本の心と時代の決意を伝えてゆく(森岡敬子)
- 人生が変わる旅(名越譲治・名越美智子)
- リップンチェンシン(髙間光廣)
- 日本の若者達に慰霊訪問を薦めたい(関文彦)
- 天からの御褒美、台湾慰霊の旅(鶴澤美枝子)
- 大きな母の胸に、温かく包まれた気持ち(富原浩)
- 体感できた日台の生命の絆(桐谷勝)
- 継続は力なり―慰霊訪問にマンネリなし―(岩本宣善)
- 初めての海外旅行は心に残る慰霊の旅(松葉邦子)