団員の声(感想文)

台灣には心を呼び込む大きなものがある

常任顧問 永田昌巳
第二班 池田班 永田タマミ

今回の第16次日華(台)親善友好慰霊訪問団への参加は6回目となります。慰霊地を訪れる中で感じた事を、順不同ではありますがいくつか述べてみたいと思います。まず今回の訪問団には沖縄を含め全国から総勢48名が集いました。旅の中で友好を深めあい、また慰霊地を訪問する中で台湾の歴史の真実について想いを共有できたことは大変意義深いことでした。

訪問の目的である宝覚寺における原台湾人元日本兵3万3千余柱の慰霊祭、併せて日本人墓地における1万5千余柱の慰霊祭は好天に恵まれ、厳粛のうちに滞りなく終えることができ御霊もきっと安じられたことと思います。

烏来の高砂義勇隊戦没慰霊祭では、周理事長が出迎えてくれ先の大東亜戦争で日本兵として共に戦った誇りについて述べられ、訪問団の来訪についても感謝の意を表されました。日本人として誠に嬉しい限りですが、感謝の意を表すのはまず日本政府ではなかろうかとの思いも持ちました。山間の烏来の街を初めて散策しましたが若者で賑わっておりました。この人たちのご先祖が共に戦い血を流してくれたと思うと今の平和は有り難いとつくづく感じました。

2日目は台南の八田與一ご夫妻の墓前にて慰霊を行い同記念館に行くと、映画「KANO」のロケーション風景の大きなパネルがありました。八田與一技師が烏山頭ダムを完成させたのは昭和5年、翌年に嘉義農林が甲子園において一大旋風を巻き起こし優勝戦まで勝ち進むという快挙を成し遂げました。台湾台南嘉義地方が二重の喜びに沸きたったことは十分推測されます。身を立て名をあげるには苦難はつきものですが、日本(人)と台湾(人)は力を合わせて立派に成し遂げたのです。今年は日本でもこの映画が話題を呼びそうです。

3日目に訪れた嘉義の東石郷の富安宮は立派に新築され、日本の森川清治郎巡査が義愛公として祀られています。戎義俊台北駐福岡經濟文化辦事處處長が卓話で述べられた「金を残す人生は下、事業を残す人生は中、人を残す人生こそが上なり」と言う後藤新平の「座右の銘」からすると、まさに森川巡査は今なお多くの村人の信頼を残しています。屏東県枋寮にある東龍宮の主祭神は田中将軍でありますが、小菅団長が代表して日本刀を奉納されました。刀は武士の魂と言われます。李登輝元総統は著書の「武士道解題」の中で「刀は伊達にはささぬ。帯に佩ぶるものは心に佩ぶるもの。忠義と名誉の象徴である」と大切にされてきたと述べています。田中将軍もきっとご満悦のことと思います。

その後、高雄市政府を表敬訪問しました。7月に化学工場のパイプラインが3kmにわたり大爆発、大惨事を招きました。高雄は訪問団ゆかりの地、李永得副市長にお見舞いの義捐金を手渡し、友好の輪を確かめ合いました。また中華民國外交部にも訪れ、香港における民主的選挙を求める学生運動に対して力で抑え込む中共の圧政を他山の石として民主主義を守って欲しいと要望、認識の一致もみることが出来ました。

そして、黄文雄先生主催の歓迎の夕食会では著名な人たちが大勢参加され有意義な語らいが出来ました。隣の席の女医、林先生は訪問団に大変興味を示され、濟化宮など各地を自分も廻りたいとの希望もあり「旅のしおり」を差し上げたら大変喜ばれました。また、鍼灸の楊先生は日本からの多くの訪問客について、「台湾は景色が美しいとか料理が美味しいとかで満足されているようだが、なぜ台湾が親日国家であるかということをもっと勉強してきて欲しい。そうすればこれまで日本人がいかに台湾で素晴らしい事をやってきたかを知る事ができ、自信と誇りを持てるはずだ」とのご指摘を受けました。

最後に6回にわたる旅を通して言えることは、同じ慰霊地を廻ってなお飽きが来ないのは何故なのか、そこに新しい発見と感激もあるだろうが、それとは別に台湾には心を呼び込む大きなものがあるように思えてなりません。回を重ねるごとに里帰りにも似た感情が増幅されていくように思います。台湾統治50年、敗戦後外省人の反日圧政に塗炭の苦しみを味わいながらも親日を守り通した台湾の歴史の真実を知るにはもっと時間がかかると思います。

第16次 団員の声(感想文)全25件

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