団員の声(感想文)
感謝状
第二班 副班長 永濱武司
開口一番、唯々感動致しました。第16次日華(台)親善友好慰霊訪問団に参加させて頂き、全日程晴天に恵まれ何事もなく無事終えることができました。これも偏に小菅団長はじめ、多数の本部事務方、現地関係者各位の心温まる手配り、多大なる尽力の賜、茲に重々厚く御礼申し上げます。
国として国交関係が断絶しているなかで「日台の生命の絆」の言辞に強く惹かれるのは何故なのか!それは遺伝子が似かよっていると私なりに解釈しています。地形(島国・地震)、気候(台風・亜熱帯地域)、米作りに加えて、明治28年の統治開始から終戦までの間、先人達が命を懸けて事に当たり、又心血を注ぎ近代文明の扶植に努めたことが大きく影響しています。
自然から山岳探検調査、言語習慣風俗、社会基盤、殖産興業に至るまで幅広く著されているし、歴史・文化・事件についても牡丹社事件、霧社事件から終戦の二二八事件、白色テロまで数多く出版され拝読することができます。
日本の資金・人材・資材を投入して社会基盤が建設され、計画中も含めて近代文明的要素が完成しました。烏山頭ダム・嘉南大圳・上下水道・阿里山森林鉄道等の建設に関わった、八田與一、後藤新平など先人達の遺徳が偲ばれます。
台湾の近代化と文明伝播の要素として次の項目が挙げられます。
1.教育施設の建設
教育制度の確立、法治国家、治安の向上、調査研究、資源開発、品種改良(蓬莱米)。
2.上下水道・医療設備の建設
医療衛生思想の向上拡大、阿片中毒者の完治及び根絶(阿片の専売)、マラリヤ等の風土病の激減。
3.鉄道・港湾・ダム・発電所の建設
灌漑設備の完成により農地が拡大、物流及び産業発展。
教育医療制度から、道路を始めとする諸々の建設を苦難の末に完成させることが出来たのも偏に先人達及び台湾人の信頼、協力、努力の結果なのです。
書籍、新聞、映像等だけで大雑把に台湾は理解することができます。でも台湾の内側、つまり人々の事は解りません。しかし人間対人間の問題だから真心をもって語り、交流すれば、幾らかなりとも近づきます。人間が或る時点で、どう行動をとるかによって、見方、捉え方が大きく変わると思います。戦後混乱の極みに達しているなか、台湾の軍人達は帰国する迄のキャンプ地において、食事で余ったご飯でおにぎりを作り、駅前の戦災孤児や方々の人々に配ったと書かれています。朝鮮人はというと、余ったご飯は破棄したと。
台湾に有った軍事施設を終戦処理のため、断腸の思いで残務整理を行い終えて、日本将兵2人が岐路の山道を歩いている時、高砂族の1人から無言で一椀の地酒を振舞われました。戦々恐々の状態の将兵に対して、暴行等凶行に及びかねない困難な時期、武士的行動が働く義理人情があります。涙が流れても不思議ではありません。
平成11年10月4日付けで「台湾大地震への義援金」に対して、御礼の新聞広告が掲載されていました。誠に心を打たれる話ではないでしょうか!記事のなかで(錦上添花・「雪中送炭」)とある雪中送炭は、雪降る寒い時節に相手を労わる気持ちで炭を贈る。日本にも「敵に塩を送る」と似た諺があります。先述しておりますとおり、このような行動形態に遺伝子が似かよっていると私は思います。
日本の敗戦によって台湾は、二二八事件、白色テロ、戒厳令等の筆舌尽くし難き長い苦難の時期を越えて今日に至っています。高砂義勇隊戦没英霊記念碑から六士先生の墓まで訪問させて頂きましたが、益々感銘を受けるのみでした。各施設共、現地関係者によって手厚く慰霊し祀られており、感謝の念と驚愕するばかりでした。高砂義勇隊戦没英霊記念碑の若者、宝覚禅寺の日本人墓地及び霊安故郷慰霊碑、英魂観音亭へ台湾の軍人軍属・民間人3万3千余柱、南天山濟化宮に約4万体の位牌が納められています。大東亜戦争で斃れ犠牲になった夥しい人々の、親兄弟姉妹は!望みは!唯々日本の為、大東亜の為!戦没者へ深く頭を垂れて、安寧と安らかな眠りを祈るのみです。
東龍宮、保安堂、南天山濟化宮について、今まで台湾の南端にまで旅行する機会も無く、紹介されなければ全く知る由もありません。東龍宮(田中綱常他4名の日本人ご祀神)歓迎振りには戸惑うくらい驚きました。花火爆竹、太鼓の鳴り物、大勢の出迎え、歓迎の横断幕を張って、現地関係者の心のこもった接待を受けました。真刀の奉納後、国旗敬礼、国歌斉唱、黙祷、献花、参拝で慰霊式は終了し、団員全員に果物、飲み物等が振舞われました。私は賽銭箱へ台湾元で100元を入れて、黄色紙の札束を祭壇へ備え、別に300元を硫璃瓦一片分として寄付しました。掲示板へ名前の記入を勧められたが遠慮しました。そこで私の名刺を渡したところ、領収書を受領しました。(領収書と思い込み、確認もせず)帰宅してから改めてみると「感謝状」となっているではありませんか!嗚呼、驚愕するばかりでした。
最後に、戦後日本は「新生日本」を旗印に復興繁栄を手にいれましたが、何か魂が抜け落ちた虚ろの状態なのではないのか、ひもを放すと風船のように飛んでしまいます。1日も早く魂の覚醒をしなければなりません。
日本全国で、「明日生まれる赤ちゃんの為 否日本人の為!」
蓬莱の 大東亜の御霊へ 祈りつゝ 日台の絆 永遠(とわ)の栄えを
過ぎ去りし 靖國のこゝろ 紡ぎては 美麗の若者(さきもり) 日々新たなり
合掌
参考本等
*おにぎりを配る「台湾人と日本人」(蔡焜燦著 日本教文社)121頁 第3章 佐世保キャンプにて からの引用
*軍事施設の残務整理(著者・書名・出版社を検索中)からの引用
*雪中送炭 平成11年10月4日付 読売新聞広告からの引用
*その他 台湾関係書を複数
第16次 団員の声(感想文)全25件
- 台灣との絆の深さ(松俵義博・松俵茂子)
- 台灣には心を呼び込む大きなものがある(永田昌巳・永田タマミ)
- 芝山巌事件と六士先生 ― 日本を映す鏡 台灣(木村秀人)
- 慰霊訪問団員としての自覚(下田健一・下田純子)
- 日台次世代の新たな日台関係の構築を(原田泰宏)
- 6分6秒6を戦い抜いた英雄たちの物語り(小倉和彦)
- 参加すればより良い日本人になれる(大山猛)
- 日本人が失っている大切な精神との出会い(津留毅)
- なにおもふ きみのまなこに わがまこと(永濱浩之)
- 感謝状(永濱武司)
- 日本人であるということは嬉しくて有り難いこと(舩津邦彦)
- 祖父の面影にふれる慰霊の旅(松下美佳)
- 魂を磨き学んで行きたい(前田マツヨ)
- 反日教育の怖さと真実を伝えることの重要性(向井百合子)
- 台湾へ慰霊訪問(吉田周司)
- 烏来の山々に響く魂籠る「君が代」(吉田喜久子)
- 日本の心と時代の決意を伝えてゆく(森岡敬子)
- 人生が変わる旅(名越譲治・名越美智子)
- リップンチェンシン(髙間光廣)
- 日本の若者達に慰霊訪問を薦めたい(関文彦)
- 天からの御褒美、台湾慰霊の旅(鶴澤美枝子)
- 大きな母の胸に、温かく包まれた気持ち(富原浩)
- 体感できた日台の生命の絆(桐谷勝)
- 継続は力なり―慰霊訪問にマンネリなし―(岩本宣善)
- 初めての海外旅行は心に残る慰霊の旅(松葉邦子)