終戦記念日護国神社家族参拝「神前に額づきて」

小松正隆

正午の時報に合わせて黙祷する。戦没者追悼の式典を重く視ていたが、一歩前進、今年は護国神社に参拝を決意した。台風直撃との情報に緊張したが傘を裏返すこともなく、大濠会館は大勢の方がお揃いで、雨の中、身を浄めて護国神社に昇殿参拝である。襟を正して着席、若い神職と巫女、奥に権宮司らしき方の三方で、厳かに神事は進み、ふと頭を掠めたのは、まかり間違えば私も戦没者の仲間入りをしていたかもと、生かされている有難さを深く感じた。

戦後の朝鮮鎮海で海軍の機雷庫が爆発して、大勢死傷した。同年の加藤君(名古屋出身)が悲運に巻き込まれたと後日聞いた。私共の小隊は残務整理作業を担当しており、私が米軍トラックに分乗して鎮海市外に出ていた間のことらしい。

参拝を終え、雨の中「記念撮影」。カメラの五郎丸先生お世話になりました。

大濠会館に戻って「直会」。

当初から参拝を続けられる先輩の皆様に敬服し、自分も来年から「参拝を続ける」決意を致しました。

大東亜戦争の戦死者は大半は大正生まれ、と、ある本で読み知りました。大正生まれの有志達が唄ったであろう「日の丸行進曲」「梅と兵隊」支那事変の前線「艦船勤務」海軍「職務は種々にかわれどもつくす誠は唯一つ」私の好きな歌です。この三曲を唱歌集に加えていただきたく、お願いします。

雨やまず 護国神社に畏みて 額づく老若 太鼓の響き

國のため 命ささげし 益荒男の 御霊拝がみ 平和を祈る

折り折りに 亥歳の主は 熱く説き 大和島根を 見護り給う

参拝者の声(感想文)(全35件)

敬称略50音順。但し、家族は「長幼の序」に従った。

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