団員の声(感想文)
慰霊訪問は日本を代表する事業
第五班 班長 岩本宣善
英霊の加護の下、仏縁により訪問先と団員を拡大し継続するところ13次となった。小生は平成20年の第10次より連続4回目の参加である。それでも、念願叶って明石総督の墓、昼間の六士先生の墓、台中市政府訪問、八田與一旧宅等が初体験であった。
どこでどうだったの行動記は原田さんが詳細に書かれる筈だから、小生は過去3回に比較して今回特に印象が強かったことを中心に述べることとする。
小生には財力が無いが、精神力を以て当慰霊団を支え連続10回参加を目指したいと思う。
一、念願叶って羽田から松山に飛び、桃園到着の福岡組にピックアップして貰うことが実現し誠に有り難かった。飛行機代が往復で15,000円割増になるが小生の場合、時間的にも乗り物代も成田の半分となり替えがたいことであった。
二、初めて台中市政府を訪問した。対応した副市長は多分国民党であろう。通された会議室は国賓級の部屋、実際にオバマが来台した時坐った部屋だそうで、入口にピストルを持ったポリスが立っていた。私費による民間団体ではあるが、両国の間に国交の無い今日、我々は日本を代表する立場である。
副市長の挨拶はまあまあ無難な両岸関係や独立のどの字もない外交辞令であったが、これに応えて我が小菅団長のスピーチは超一流・パーフェクトなものだった。13次に亘る我々のミッションと目的を述べて、認知を求めることに引っかけて台湾が国際社会の一員として認知されることを希求すると述べた。これは我が国の外務大臣や官房長官でも言えない痛烈な表現であった。併せて東日本大震災に対する支援に深甚な謝意を述べたのである。
三、台中宝覚寺に於ける合同慰霊祭はこの旅の目玉である。例年の如く進行したが、小菅団長の読まれた祭文の内容は小生が言いたいこと全てを言い切って余りあるものだった。中でも民主党政権批判のくだりは胸のすくものであった。この目的、この認識の下にこの旅に加わったのだと高校2年の孫に持ち帰る最大の土産がこの祭文であった。
四、小菅団長は今回もバスの中で車酔いに耐えて適時的確な解説をされた。ガイドの簡先生はいつものユニークなガイドを展開された。小菅節と簡節は当ミッションの宝である。今後もご両所のご健勝を祈るや切なるものがある。
五、帰国前夜の最後の晩餐はいつものレストランで広東料理の豪華版である。しかも訪問団だけの内々のディナーである。この席で小菅団長の奥様、順子先生のお誕生日に11月生まれの方々を加えて皆で『ふるさと』を歌ったのが心にしみた。私ごとを遠慮しておられた奥様に喜んで頂けたので仕掛人として幸いであった。日台の絆の前に先ずは団長の絆である。
六、45名の内80歳台が何と六名、その内4名第五班(羽田組)に属する。老骨に鞭打ち、常に率先して自称「近衛師団」的、親衛隊的行動をとった。その中核は陸士五十八期の方々であり、小生はいつも知れば知る程凄い方がおられるもんだと驚き入った次第である。諸先輩には今後もご壮健で指導して頂きたく存じました。皆様を嚮導機として小生も頑張りたく存じます。
老兵の雄々しき命積み重ね積み重ね護る小菅軍団
七、マスコミの取材が増えた。インターネットも効果的であった。陽動作戦である。現に台中の昼食会に現地の大学で教鞭を取る日本人の若い先生天江(あまえ)喜久氏が現れ、台南空杉浦曾長にそっくりな墓の存在を話していた。
八、最後にいつもの通り駄句を並べますが常夏の地の旅吟は季語が狂って閉口します。
身を投げし貞女の話冬桜(烏山頭水庫)
鳥も啼け『霊安故郷』冬日粲(台中宝覚寺)
冬日当たる布袋の鼻に燕の巣(台中宝覚寺)
新竹の山に分け入る冬遍路(南天山済化宮)
パパイヤの隣り合わせに銀芒(三芝郷明石総督墓)
さりげなく別れて来たり返り花(松山空港)
第13次 団員の声(感想文)全22件
- 凡生を我國に禀くるもの 誰かは國に報ゆるの心なかるべき(谷尾侃)
- 日本人よ台湾に学べ(日高誠)
- 保安堂で結ばれた不思議な縁(松俵義博・松俵茂子)
- 日台は深く地下水でつながっている(永田昌己)
- 「恥ずかしい」と「感謝」の訪問(田中道夫)
- 日本にとって真の友人である台湾(金澤明夫)
- 正に、台湾国あげての、慰霊団受け入れ態勢作りに感謝(下田健一・下田純子)
- ご慰霊の旅に終りはない(日吉淳治・日吉悦子)
- 台湾は日本にとって大切な絆で結ばれた国(中島公明)
- 慰霊訪問は日本を代表する事業(岩本宣善)
- 一度行けば再び訪れたくなる台湾慰霊の旅(佐護美和子)
- 台湾の人たちとのもっと深い心底からの交流を求めて(小濱善和)
- 初年兵の時台南で任務していた叔父に代わって(森下学)
- 念願適った六氏先生墓(古賀誠)
- 宝覚寺に響く「鎮魂の譜」の音色(中村哲)
- 謙虚に学び合い助け合う(小野正明)
- 日本と台湾は精神的には名実共に一国という実感(永石辰郎)
- 戦争がこんなにも身近な旅(石原一二三)
- 台湾に散華の御霊一万余祖国の平和に生きる人待つ 台湾で最も愛される日本人、八田與一を訪ねて(木下嘉平)
- 終戦時まで日本の臣民であったことの誇り(三好誠)
- 馬政権も無視できない慰霊大訪問団へ(反田邦彦・反田由美子)
- 日本にもらった愛を忘れてはならない(頼永博朗)