団員の声(感想文)

「恥ずかしい」と「感謝」の訪問

副団長 田中道夫

今回の訪問は、これまでとは違った2つの目的が追加されました。東日本大震災への支援に対する感謝と、中華民國建国100年への祝意を伝えることです。台湾入国審査を受け、台北の地を踏んだ訪台1日目、台湾政府外交部を表敬訪問し、台湾文化経済協会による歓迎の夕食会に招かれました。私のテーブルには外交部亜東関係協会の専門委員の楊氏が同席し、私は楊氏に今回の東日本大震災の支援のお礼を述べました。

楊氏「私たち台湾人は1996年の台湾大震災の時、日本人が支援をいち早く送ってくれたことを決して忘れてはいません。その支援活動で、日本人がどれだけ我々台湾のことを大切にしているか再確認できました。日本人が、被災地での活動で助けることができなかったご遺体を前にして、黙とう最敬礼をし、『申し訳ありませんでした。』と整列し頭を下げている姿を見て、私たち台湾人はどれほど救われたか分かりません。今度は私たち台湾人が恩返しする時です。頑張って下さい。」

さらにこの後、私は楊氏から新しい事実をお聞きすることができました。

楊氏「台湾政府は3月11日には対策本部を立ち上げ、救援物資のリスト(おしめ、ミルク、生理用品、電池等)を作り、日本に送りました。私(楊氏)は羽田空港で待機し、3月14日に救援物資を受取り、10トントラック4台で被災地に向け出発しました。」

私は楊氏に「その日は雪が降り、ガソリンは無く、渋滞し寝る所も無かったのではないですか?」と尋ねました。

楊氏「はい、私たちはトラックの中で寝ました。そして3月17日に宮城県庁に到着しました。」

このことを私たち日本人は知りません。又、日本政府やメディア、マスコミにも報道されていません。何故…私は怒りを感じました。あの時、欧米諸国の政府機関、企業関係、特に支那人(中国人)達が事務所を移転したり帰国したりする中、あえて誰が現地に行こうとしたでしょうか。米国は「ともだち作戦」として現地に救援部隊を送っていますが…。台湾政府の救援報道は私たちの目や耳に届いていません。台湾は日本にとっては世界で唯一の親日国家です。私は「今でも心は日本人です。」という台湾人を多く知っています。「真の友」「絆」とは何なのでしょうか。

我々の台湾訪問の前後に台湾駐福岡経済文化辦事所(領事館)の黄氏、福岡台湾留学生会会長の林氏にお会いする機会がありました。外国人登録証には国籍は中国になっています。台湾という国名(中華民國)ではありません。黄氏も身分は外交官ですが、入国審査では中国人、韓国人は外交官専用の通路で入国できますが、台湾外交官は国交がないため一般人と同じです。これが日本政府と中国のやり方です。日本はいまだに支那の属国でしかないのでしょうか…。

又、台湾の留学生の誰もが台湾人としての誇りを持っています。

留学生 林氏「私たち留学生は日本で学問や社会活動、就職活動に一生懸命です。でも1つ哀しいこと、辛いことがあります。『あなたは中国人ですね。』と相手に言われることです。『私たちは違います。台湾人です。(文化も教育も歴史も民族も独立しています)』と答えます。」

今回日本政府は(文科省)は私費留学生を支援するため、国費留学生として奨学金を受けられる措置を決定しました。しかし、「日本と国交のある国の国籍を有する者」が対象であるため、台湾留学生は申請ができません。今回大震災で台湾から200億円の義援金が寄せられた中、留学生の方達もまず必要なものはお金だと判断され、1人当たり5万円の義援金を苦しい生活費の中から我々被災地の人達にいち早く寄せてくれています。これに対して日本政府はいったい何を考えているのか理解できません。日本のこのような仕打ちを台湾政府は自国民には知らせていません。もしこの事を台湾の人々が知ったら親日から反日になるのではないかと憂いています。まして義の国日本にとっては「恥」です。恥ずかしくて何とお詫びすればよいか分からず、私は黄氏、林氏に「申し訳ありません。」「ごめんなさい。」と言うことしかできませんでした。

訪問団の目的は慰霊、そして台湾との親善友好です。私はいつも数多くのものを得ることが出来ます。日本人としての誇りを新たに感じる契機でもあります。しかし今回は誇りより「恥」を感じます。私の誇りは一体何だろうか…慰霊祭はまず国旗に向かい一礼、続いて君が代国歌斉唱、1分間の黙とう、祭文の奏上後一礼、厳正粛々と行われます。訪問中にこの霊祭が十数回行われます。台中市宝覚寺日本人墓地には1万4千余柱を、台湾軍人、軍属を3万3千余柱をお祀りしています。又、台北県烏来郷には「高砂義勇兵」の英霊記念碑、新竹県には済化宮(台湾の靖國神社)があります。ここに祀られている英霊は、かつて日本人として戦い、散華された台湾の若い青年達であり、その一つしかない命を捧げたのです。一体誰のために、何のために、そして彼等の夢は何だったのでしょうか。また彼等の両親は、兄弟はどんな想いだったのでしょうか。答えは「日本人だったから」ではないでしょうか。日本は当時台湾を教育(学校)制度、工業、農業、病院その他すべてにおいて、日本と同じように豊かで幸せな民族としての価値観で考えていたに違いないと確信しています。人間としての差別なき国造り、人造りを行ったと信じたい。だからその当時台湾人は居なかったのです。今現在日本・台湾が国際社会においてあるのは、元日本人として戦い、尊い命を捧げた方々のおかげではないでしょうか。今現在に生きる我々日本人は、彼等英霊に感謝こそすれ、どうして粗末にできるでしょうか。これまでの日本政府の台湾に対する仕打ちを見ていると、真の友、家族、兄弟としての絆はどこに行ったのでしょうか。支那に遠慮し義を捨てるのでしょうか。

私は今まで、かつて台湾で多くの日本人が携わってきた事で現在の台湾があるという見方をしていました。確かに教育制度においての六士先生、農業改革をするために八田ダムを造ったり、数多くの政治、経済を導いた先達が偉業をなしえたことは事実ですが、私は日本が台湾に与えたものではないと今回の訪問で思いました。日本人があれもこれもやった、だから今日の台湾が存在するのだと優越感に酔いしれているだけではないかと感じると、私自身悲しくなってきます。それはただの「上から目線」でしかありません。私達日本人は、台湾人から多くのことを得、そして学んでいます。それは日本人としての新たな誇りです。私たちは日本に暮らし生きていますが、台湾には真の日本人が失った大事な誠心が生き続けています。ありがとう、台湾。私は、台湾の独立を支持する日本人です。

第13次 団員の声(感想文)全22件

訪問次で探す

お問い合わせお問合せ