団員の声(感想文)

日本と台湾は精神的には名実共に一国という実感

第五班 岩本班 永石辰郎

昨年平成22年第12回の日華(台)親善友好慰霊訪問は陸軍士官学校の同期生の盟友、日高誠君の勧誘によって初参加をした。初めて訪問する台湾への旅でもあり、胸をふくらませながらの成田空港からの旅立ちだった。

台北、台南、高雄、台中、新竹、苗栗のそれぞれの縁(ゆかり)の霊地を訪ね、現地の方々の心からの手厚い歓迎を受け、戦後の日台関係の精神的な絆の深さに接し感動の余韻はさめることなく、日本と台湾は精神的には名実共に一国という実感が第1回参加の真実の結論であった。そして去る3月11日の東日本大震災に際しては、台湾の人口約2300万人という小数人口にもかかわらず、日本円にして200億円を超す世界一の義捐金を頂くなど親善友好の証とは言え、日本国民ひとしく台湾の善意に対し畏敬の念を抱くと共に敬服の至りでありました。

今回の第13回の慰霊行事には陸士時代の同期生、谷尾侃君、日高誠君、初参加の小野正明君と小生4名は何れも旧軍時代のパイロットで昭和17年以来のかけがえない同期の盟友である。更に烏山頭ダムの建設に当られた総督府の技師八田與一氏が石川県出身であることから、小生の友人としての勧誘もあって木下嘉平氏も会社経営繁忙の中に初参加して頂き、慰霊の輪が広がってきたことは大変喜ばしいことでもあった。

顧みれば第1回目は初参加でもあり、色々と想像をめぐらすこともあり、訪問した先々で見落としたり聞き損じたことも多くあったし、また参加者との初対面ということもあって、相互の対話も少なかったが、今回は同じ目的に賛同する同士団体の一行だけに、初対面の方々とも親しくなり出会いのご縁に感謝し、2回目の参加のため再会の懐しさや喜びもあって、終始和やかな雰囲気を感じながらの旅でもあった。また私自身前述のとおり2回目の参加でもあり、現地の方々と一段の親しみを覚え、慰霊行事も前回の儀礼的な形そのものから精神的なものに移行してきた感を抱いたことは、台湾出身の軍人軍属の3万3千余人にのぼる戦没された当時同胞としての国への、忠誠心の尊さが改めてわが胸に訴えられてきた結果であろう。

今回初めて台中市の政府を表敬訪問し、副市長の蔡炳坤さまの心温まる歓迎ねぎらいのスピーチを頂き、本年は孫文による辛亥革命による中華民國建国100周年記念の年でもあり、記念のバッジなど参加者全員に贈呈を受けました。

また、台中の宝覚禅寺の境内には先の大戦で戦没された3万3千余の軍人軍属を祀る李登輝元総統の書による霊安故郷の碑文を刻した石碑がある。11月25日は現地の毎年の祭礼慰霊祭の日で、私達慰霊団一行も現地の台湾台日海交会主催の例祭と一緒になった。私達一行もその例祭に参加したが、碑文に進み出た旧従軍看護婦の劉張蕊さんの堂々たる態度で唱える祭文は、原稿なしに霊魂に直接語りかけるように、然も日本語で語られた祭文には言霊さえ感ぜられ、参列者の中には感動のあまり嗚咽(おえつ)さえ漏らされていた。私自身も感動のあまり目頭が熱くなった。

引き続きわが慰霊訪問団の小菅団長の祭文も、推敲に推敲を重ねられた尊い誠実そのものの慰霊の祭文で、その中に秘められた言霊は戦没者の御霊に通じたであろうという実感胸に迫り、その余韻は今日なおわが心に脈打っている。

また前回目的を達しえなかった明石元二郎総督(陸士第六期)が眠っておられる墓地にもお参りできたことは幸いであった。

私は想うに、小菅団長の主催による本団体は民間の心ある有志によるもので、これからも益々団体の構成を堅固にしていくことはもとより、全国の魁(さきがけ)となって両国の親善友好の輪が広がり、その実が発揮されていくことを念願したい。国際情勢益々酷しく複雑多岐の中にあって、この事業が一つの起点となり長期の年月もかかるであろうが、国政の上で、具体的には外交、安全保障、産業経済、民生が安定増進し、このような国益の上で両国が深化してはじめて真の親善友好の実が結ぶものと思い、それを只管(ひたすら)念願する一人でもあり、また日本人が台湾を過去の統治国家としてのみ見るならば、未来に亘っても両国の信頼と互恵関係は生れないであろう。

最後の締めくくりとして申し上げたいことは、4泊5日の慰霊の訪台に対しては小菅団長の並々ならぬ綿密周到な計画とそのご配慮に対し深甚の感謝の念を捧げると共に、現地でのガイド役の簡氏の適時適切な説明並びに通訳、また福岡事務局の参加者一行に対する管理面を担当して頂いた原田氏、黄女史。そして記録写真撮影の任に当られた方々、更に産經新聞の頼永記者に対してもその労をねぎらい謝意を致し拙筆ながら感懐の筆を措く。

第13次 団員の声(感想文)全22件

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