団員の声(感想文)
凡生を我國に禀くるもの 誰かは國に報ゆるの心なかるべき
名誉顧問 谷尾侃
一、教育勅語尊崇の国で軍人勅諭を復習
小菅団長殿の今回の旅行参加勧誘の文に、軍人勅諭第一項「一、軍人は忠節を盡すを本文とすべし。凡生を我國に禀くるもの、誰かは國に報ゆるの心なかるべき。況して軍人たらん者は、此心の固からでは、物の用に立ち得べしとも思はれず」の側線部を引用しておられた。久方振りにこの文に接し、懐しさから、手許の詔勅集を繙いて「陸海軍人に賜はりたる勅諭」(明治15年1月4日)全文を朗読したら、気分がすっかり生徒時代に帰り爽快感を味わうことができた。その後、何回か繰り返し奉読する中に、現今の人々にこれを理解して貰ったら大変素晴らしい事だと思い、今度の旅行メンバーならこれに応じて貰える人が何人かいる筈と、3冊購求して持参した。
軍人勅諭は万葉仮名が種々使われているのが特徴で、生徒時代は原文に忠実に使用されている所にそれぞれの字を当てて奉書するのに苦労したが、この度、難読文字用として現仮名との対応一覧を別に作り、付録とした。石原さんの他、木下・金子さん(2名?)に呈上したと思うが、帰宅後の勉強進捗如何かと案じている。
二、軍人階級は属地か?属人か?
この度、初めて明石総督の墓を参拝した。同氏は1864年生れ、1925年生れの小生は61年も後輩である。士官学校は途中で制度が変わって、新制度の一期生を現在は一期生と称し、旧制度の明石さんは旧八期生と称している。私は陸士第五十八期生であるが、海兵に行った同僚は15年も古い七十三期を名乗っている。
ところで明石さん墓付属の履歴に○○年中校、○○年上校と中国の階級で記載されている。(校は佐官を指す)。台湾は中国語圏ではあるが階級は個人に与えられたもの、日本人である明石さんの履歴は中佐、大佐と日本軍の階級で処理してほしいと思った。
第13次 団員の声(感想文)全22件
- 凡生を我國に禀くるもの 誰かは國に報ゆるの心なかるべき(谷尾侃)
- 日本人よ台湾に学べ(日高誠)
- 保安堂で結ばれた不思議な縁(松俵義博・松俵茂子)
- 日台は深く地下水でつながっている(永田昌己)
- 「恥ずかしい」と「感謝」の訪問(田中道夫)
- 日本にとって真の友人である台湾(金澤明夫)
- 正に、台湾国あげての、慰霊団受け入れ態勢作りに感謝(下田健一・下田純子)
- ご慰霊の旅に終りはない(日吉淳治・日吉悦子)
- 台湾は日本にとって大切な絆で結ばれた国(中島公明)
- 慰霊訪問は日本を代表する事業(岩本宣善)
- 一度行けば再び訪れたくなる台湾慰霊の旅(佐護美和子)
- 台湾の人たちとのもっと深い心底からの交流を求めて(小濱善和)
- 初年兵の時台南で任務していた叔父に代わって(森下学)
- 念願適った六氏先生墓(古賀誠)
- 宝覚寺に響く「鎮魂の譜」の音色(中村哲)
- 謙虚に学び合い助け合う(小野正明)
- 日本と台湾は精神的には名実共に一国という実感(永石辰郎)
- 戦争がこんなにも身近な旅(石原一二三)
- 台湾に散華の御霊一万余祖国の平和に生きる人待つ 台湾で最も愛される日本人、八田與一を訪ねて(木下嘉平)
- 終戦時まで日本の臣民であったことの誇り(三好誠)
- 馬政権も無視できない慰霊大訪問団へ(反田邦彦・反田由美子)
- 日本にもらった愛を忘れてはならない(頼永博朗)