戦死者と犠牲者の違い

田口俊哉

令和4年8月15日終戦記念の日を迎えた。いつもと変わらぬ夏の暑さが身に堪える。今年もいつもの通り福岡縣護國神社において慰霊祭を計画し、下は2歳の幼児から上は93歳の長老迄、家族揃って英霊顕彰を行い、沢山の資料を準備して、「日本人」という括りで式典が斎行出来たことは何よりも喜ばしいことだ。

時が経つのはいつの世も同じだろうが、大東亜戦争終結からもうすでに77年という時が過ぎ、同時に戦争体験者や元軍人も年々姿を消している。そしてそれと比例してこの国の様々なものが音を立てて崩れているようだ。

戦後すぐに行なわれた極東軍事裁判(東京裁判)を覚えているだろうか。日本を貶め愚弄した、「戦勝国が敗戦国を裁く」という前代未聞のインチキ裁判。何があろうと日本人として決して許せないそれである。

わが国は戦前、そして戦後も議会制民主主義の国である。そして独立国でもある。当然議会(国会)で決議されたことには、重大な重みがある。国会決議を蔑ろにすることは、民主主義国家の在り方を否定することに繋がるのだ。

さて昭和28年8月3日、衆議院本会議で可決した「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」によって、日本には、「A級戦犯」のみならず、「戦争犯罪人」は存在しなくなった。それにも拘わらず、マスコミ等は「所謂A級戦犯」が靖國に合祀されているから、、、云々と囃し立てる。そもそもそれ自体が、国会決議を軽視した発言なのである。歴代総理大臣が堂々と靖國神社に参拝しない、出来ない。この悪しき思想の伝承の「元」は何処なのだろうか。皆で今一度しっかり考えて欲しいと思う。このままでいいのか、このまま見て見ぬふりをして時を過ごすのか。国際連合という最高の(?)プロパガンダ組織に操られて真の独立を果たせないでいるこの国の現状をほっておくのか。…考えて欲しい。崇高な戦死者を犠牲者にされたままで良いのか。立ち上がろう。伝えよう真実を。英霊達の真の思いに応えるために。

「今度は私達が命をかける番なのだ」と決意しようではないか。

澄みわたる 南の空に墜ちて散る 御国の礎 我にありける

仇を討つは いまこの時ぞ 玉を砕くは いまその時ぞ

参拝者の声(感想文)(全29件)

敬称略50音順。但し、家族は「長幼の序」に従った。

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