団員の声(感想文)

私には何ができるのだろうか。何をなすべきであろうか。

第五班 副班長 福田章枝

私は、第18次日華(台)親善友好慰霊訪問の旅(以下、慰霊訪問の旅)に初めて参加しました。私はかつて学生たちを台湾へ研修旅行の目的で引率したことがあり、3回ほど訪台していました。その時は、学生に研修旅行の目的を理解させるべく、書店にある台湾に関することが述べられた書籍を探し買い込みました。学生たちにも強制的に台湾のことを調べさせ、グループ毎に発表させてから研修旅行に臨みました。今よりも若かったからできたのでしょう。その時の学生たちの反応として、台湾が50年間日本の統治下にあったことはあまり認識していなかったので補足したことを思い出します。しかし、今思えば学生たちにとってはどんな効果があったのだろうかと疑問に思います。

その研修旅行で訪れた先には、この慰霊訪問の旅で訪れたところは一つも入っていませんでした。つまり、今回の旅は初めて訪ねるところばかりであり、前回とは全く違う印象となりました。一般的にどれほどたくさんの文献を読み込んでも、まずその土地を実際に訪ねて、文化に触れ、現地の人々と話すなどしない限り理解することには限界があると言われています。まったくその通りでした。

これまで数回、福岡市で日華(台)親善友好慰霊訪問団主催の講演会において台湾の英霊の方々のことをお聞きしてきて、今回意を決してこの慰霊訪問の旅に参加したことが、私自身大きな影響を受けたことを実感しています。

訪問した先々で、慰霊式・献花式にあずかるなかで、唯一認識していたのは芝山巌の六士先生のことだけでした。しかし、それはほんの一部であり、団長の小菅先生やガイドの簡さんが説明して下さる内容をもとに、その当時の様子を想像しながら日本統治時代における民政長官としての後藤新平の功績に触れました。時の日本政府に歪みもあったかもしれませんが、先ず教育をもっとも重要な柱として取り組んだこと、少数民族にも遍く教育を重要柱として取り組んだことを私は日本人として誇りに思います。なお、「芝山巌神社は教育者の靖國神社であり台湾教育の聖地とされている」と言われています。

台湾の烏山頭ダムのことは、日本人は灌漑や農業土木関連等の専門家ならば熟知しているでしょうが、一般の日本人は知らないと言えば言い過ぎでしょうか。帰ってきて聞いてみましたが、私の周りの人はあまり知りませんでした。しかし、台湾では李登輝総統の政権下、「認識台湾」のもと、その後も中学生の歴史教科書に、日本統治下のことを含め客観的に編纂された歴史教育を行なっていること、また、その歴史教育によって台湾の若者が親日的であることなどを知り、未来を見つめることがいかに大切であるかを考えさせられました。韓国の朴大統領がおそらく不本意ながら日本に1000年の恨みを持ち続け、「日本を許さない」と米国でメッセージを発信したことを思い出します。

私は、この烏山頭ダムの設計技師であった八田與一の銅像のレプリカを買いました。初め値段は知りませんでしたが、どんなに高額であっても買おうと思いました。それは八田與一の魂に触れたような気がしてならなかったからです。

台湾の方々が台湾人として自立している様に触れ、日本統治下の台湾の歴史を客観的に捉え、自信をもって次世代に伝えているこの国の在り方に私は深い感銘を受けます。この慰霊訪問の旅の全ての行程を通して、私には何ができるのだろうか、また、何をなすべきであろうかという課題を持つに至ったのです。

この慰霊訪問の旅で最も感動的であったのは、「台湾人に生まれながら、志願して従軍看護婦になられ、日本のために戦地に赴き、終戦後心ならずも中国人にさせられた陳恵美(日本名 東恵美子)氏。陳恵美氏の一身にして二つの国を生きた体験記」が日台合作で東京の展転社から平成13年に出版されていた書籍を、写真とサイン入りで著者の陳恵美氏から直接手に入れたことです。

この著書に「すみれの花の咲いた頃」と副題をつけ、陳恵美氏の文章を陳氏の了承のもと補筆と絵を描き綴られた太宰信明氏が語りかけていること―それは、今日の日本があるのは、先の大東亜戦争で「国家の存亡を賭けて日本民族が、欧米諸国民族と戦い、敗れたとはいえ300万余の人々が命を散らし、守り抜いた国である以上、(中略)更に、命を散らした日本民族の中には台湾籍の軍人軍属、3万有余名の方々が含まれている事実も知ってもらいたい」と述べています。台湾の方々は、現在もそのことを忘れることなく、台湾籍の軍人軍属が日本のために戦った英霊の慰霊祭を続けておられるのです。

台湾台日海交会による歓迎夕食会の席上で、当時の軍人であった方が戦時補償を認めて欲しいと述べられました。現在の我が国は、日中国交開始と同時に台湾との国交は途絶えました。この理由から日本政府は戦時補償を認めていないという立場であることを改めて知ることとなりました。発展途上国の海外援助と称して天文学的値の援助をしている日本政府にこのことを訴えたいと思ったほどでした。そういう状況にありながらも英霊に感謝と慰霊を捧げ続けている台湾人が、私にはとても眩しくてなりません。

第18次 団員の声(感想文)全18件

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