団員の声(感想文)

父が何よりも喜ぶ親孝行が出来た

第六班 班長 沼田真清

今回初めて慰霊訪問の旅に参加させて頂き、本当に多くの学びと気付きを得、これこそが本物の修学旅行、日本人の心を学ぶ修学旅行であると感じております。

今回の参加の目的の一つは、私の父にこの慰霊の旅に参加してもらう事でした。

私は父から戦争の話をほとんど聞かされることなく育ちました。断片的に、大分四七連隊の兵隊として中国大陸を転々とし、大東亜戦争末期にはフィリピン方面の任務を命じられたが、父親は病に倒れ、台湾の陸軍病院に収容された事くらいしか聞かされておりませんでした。

その後、終戦を迎えることになったが、フィリピンの父のいた部隊は壊滅、一人生き残った父はそのことを恥ずかしく思い、悔い、また、夢枕に犠牲になった方々の亡霊が現れていたのか、私の子供時分は度々うなされていたことを覚えています。

父の晩年は浪曲慰問の旅を趣味としておりました。石垣原合戦や岩屋城合戦等、忠義を尽くして玉砕した武士をテーマとした浪曲を自ら作詞、作曲して日本全国の老人ホームを巡る浪曲慰問の旅でした。

今考えると、父は大東亜戦争で亡くなった英霊のことが潜在意識に強く残っており、その英霊を慰める事を浪曲慰問という形で補おうとしていたのではと思っております。

今回、大東亜戦争で散華された英霊に合掌できた後の父は、本当に安堵の表情を見せてくれ、私自身も父が何よりも喜ぶ親孝行が出来たのではと嬉しく思っています。

昔の日本人は死を重んじ、立派な死に方をしたいと念じていたことを団長から教わり、立派な死にようを考えることが、自らの命の使い方、使命に気付く近道であることを教わりました。

昔の日本人が軍人勅諭を実践し、立派な死生観を持って、真心から台湾の人々に接していたからこそ、私たち日本人はいまだに多くの台湾人から尊敬と親しみを持っていただいていることも併せて教えて頂きました。

今の平和で豊かな日本は、人柱となってその礎を築いてくださった多くの英霊のお陰であるという事を、元日本人である台湾人の熱心な姿勢から教えて頂いた気がします。私たちは、その多くの英霊の事を決して、決して忘れずに、深く心に刻んで生きていくことが大切であるという事も学びました。そして、そのことを私の身近な人達やご縁のある人達に伝えていくこと、それが私にとっての最も大切で崇高な命の使い方ではないかと気付かせて頂きました。

この度は人生観、歴史観を大きく変えさせていただく素晴らしい慰霊訪問の旅に参加させて頂き、本当にありがとうございました。

第18次 団員の声(感想文)全18件

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