団員の声(感想文)

行く度に感動深まる台湾慰霊訪問の旅

副団長・第二班 班長 大山猛

副団長を毎年務めて下さるはずの人が止む無く参加できなくなったので不肖、私がお受けさせて戴いた。

3年連続の参加だが感動は深まる一方だった。今回は訪問する前、現在67歳の私は、精神年齢的に戦前の日本人としては果して何歳だろうか?との思いがあった。と云うのは、前からよく思って居た事だが、昔の人の文字や文体に触れる程、特に明治維新前後や先の大戦の時残して戴いた靖國、太刀洗、知覧などに残されている魂の込もった遺書の内容とその文字や和歌(うた)の美しさ。それらに触れる度に想いを馳せていた。

しかし、台湾に、この旅に参加すれば生きている昔の日本人に会え、日本人の深層心理を確実に呼び起してくれるのだ。

私は、この旅が何故かくも感激と日本人としての覚醒を促すかを考えた。それは、その名称が「海の彼方のニッポンを訪ねて―日華(台)親善友好慰霊訪問の旅」と名付けられた事に全てが有ると思った。それは、この旅は単なる「物見遊山」でなく「慰霊」との言葉が入っているように、日本人と日本人としての台湾人の英霊や、彼の地に心血の全てを注ぎ台湾の土になり、神となられた日本人の方々に感謝の誠を捧げる旅に有ると思った。

毎年11月22日から26日の4泊5日のこの旅に参加すれば全てが肌感覚で解る。それは慰霊での英霊との魂のふれあい、生存なされている旧軍人、軍属、従軍看護婦の方々との会話(しかし、残された時間はあまりない)、昔の日本人に教えられた子、その孫、ひ孫や日本を大好きな各界の人々との触れ合い。それとバスの中や様々な場面で語られる、魂を揺さぶり日本人として覚醒させられる小菅団長の講話、そのような事を体験する事により、少しは「戦前の日本人に近づいたかな」との認識をする旅であった。是非、第19次(平成29年度)も参加し、また皆さまもご一緒に参加して戴きたい。

終わりに、蛍の光の四番を記しておく。
「千島の奥も台湾も、八洲(やしま)のうちの守りなり。至らん国に勲しく、つとめよ我がせつつがなく」(日清戦争後、昭和20年まで)

東日本大震災の時、世界で一番寄付金を送ってくれた台湾へ感謝し、慰霊のこの旅へ参加して真の日本人に近づこうではないか。

第18次 団員の声(感想文)全18件

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