団員の声(感想文)

今も心に残る「海ゆかば」

副団長 矢ヶ部大輔

私は教育の正常化を目指す教職員団体の代表をしています。今の教育は国家の縦軸を見失っており、日本の精神的な豊かさを築かれた先人たちの立派な生き方に学ぶことや、国家のために必死に戦い尊い命を犠牲にされた方々を心から慰霊すること、国民の安寧を祈ってこられた天皇、皇室を敬う態度、戦後占領政策により否定された教育勅語の精神など、戦後教育で失われたものをいかに取り戻すかというところに教育の再興がかかっていると考えます。そういう意味では第14次日華(台)親善友好慰霊訪問の旅への参加の目的を、今も台湾に息づくと言われる「日本精神」を直接体験し、自ら学び直し、多くの教師や生徒に伝えるようにする事と捉えていました。

参加してみてまず驚いたのは、台湾の方々の信仰心の篤さです。初日に訪れた日本海軍の艦長を祀るとされる保安堂や、海軍少将田中綱常将軍を祀る東龍宮ではその霊廟の煌びやかな外観と、台湾の方々の崇敬を集めている様子が直に伝わり、度肝を抜かれた感がありました。いただいた資料によれば田中綱常将軍はあのエルトゥ―ル号の生存者63名をトルコに送る役割も果たされたそうです。

米軍機の爆撃を受け、敢えて集落を避けての落下中に機銃掃射を受けて戦死した軍人「飛虎将軍」杉浦茂峰海軍航空隊少尉を祀る鎮安堂、台湾嘉義県で義愛公として神称された明治領台初期の森川清治郎巡査が祀られる富安宮でも、村の人々が日頃から信仰している様子がわかりました。森川巡査は領台当初、病気が蔓延し、生活が困窮し、教育も普及していない状況の中で全身全霊で村人たちに尽くした人だと知りました。税金の督促も警官の職務であった当時、新たな課税の件で上層部と村民の板挟みにあった森川巡査は最後に自決します。台湾人の生活に身を入れて義と愛を全うしたこの義愛公の話に、日本人としての誇りが湧いてくると同時に、日本の子供達にも生き方の見本として、また、道徳心を養う上でぜひ伝えたいものだと思いました。

かつて帝国軍人として戦われ、台湾統治時代の日本精神を持ち続ける方々との出会いも大きな経験となりました。台湾台日海交会による歓迎会の席では、もう90歳に近い方とお話する機会がありました。その方が「私達は皆教育勅語によってすばらしい教育を受けました。あなた方も日本で受け継いでください」と言われたときは適切に言葉を返せなかったことを覚えています。

さて、教育に携わる者としてとても印象深かったことが二つあります。一つは塩水小学校で見た御真影奉安殿です。かつて天皇皇后両陛下の御真影と教育勅語が納められていた奉安殿が、台湾の地においてかくも大事に残されていることに感銘を受けました。もう一つは六士先生之墓です。日本の統治後に初めて開校した学校に赴任した6人の教師の、死をも恐れぬ教育者としての使命と覚悟に震える思いがしました。小菅団長のご配慮により代表で献花を捧げる役をいただき、この精神を受け継いでいきたいと身が引き締まる思いがしたのを今でも記憶しています。

他にも台南市長、台日文化経済協会の方々、中華民國外交部の方々など台湾の「今」を知るための交流の機会もいただきましたが、歴史をきちんと背負って現代の台湾をリードする方々の謙虚でかつ公共心に溢れる姿勢が見受けられました。

この旅の目的は「ひたすら慰霊に徹することである」と小菅団長は仰いました。かつて日本の国軍兵士として同胞として散華されたご英霊に感謝の誠をささげ、御霊の安らかならんことをお祈りすること、日本人がこの姿勢を失った時、国は滅ぶのだと実感します。

毎回の慰霊式で黙祷しながら聞いた森先生による「海ゆかば」の歌声、これは一生消えることなくこの旅を象徴するものとして残り続けます。なんとか教育の場で活かしていかねば、そう強く思う本当にありがたい旅となりました。小菅団長はじめ、お世話いただいた皆様に心よりお礼申し上げます。

第14次 団員の声(感想文)全18件

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