団員の声(感想文)
懐かしい再会と日本文化の発見
副団長 原田泰宏
3回目の参加
1年おきの参加である今回3回目の慰霊訪問団では、初の副団長を要請された。任務が勤まるか不安で引き受けを躊躇したが、ありがたいお話であること、少しでもお役に立てるならとお引き受けすることにした。主要な任務は軍艦旗を持ち殿軍(大部隊の最後尾で、敵襲に備える部隊)を努めることであったが、幸い敵の来襲をうけることもなく、また団威の顕示や移動時の目印として役に立つことができた。
さて、私にとっての慰霊訪問の目的は、第一に「原台湾人元日本兵軍人軍属戦没者大慰霊祭」に日本人として参拝し、鎮魂の意を捧げること、第二に我々が失ってきた良き日本文化を発見し、台湾の方々と友好を深め、我が国の誇りある国づくりと日台共栄のヒントを見つけることである。
懐かしい再会と日本文化の発見
以下第二の目的について、体験談と思いを述べてみたい。保安堂、飛虎将軍廟、東龍宮など訪問地では、地元の方々から果物、ぜんざい、お菓子を振舞われ、また全員にお土産をいただくなど、温かいおもてなしを受けた。再訪地では顔なじみとなった方々と再会を喜び、お土産を交わし、来年の再会を誓った。旅程の中に8回ある中、夕食のうち4回は午餐会、晩餐会として、台湾の方々と酒食を共にし懇親を深める機会に恵まれた。私は、積極的に日本語や事前に覚えた片言の中国語、台湾語で多くの方に話しかけた。また、日本を懐かしみ日本文化を楽しんでもらえればと、紋付袴を身に着けて仕舞(鶴亀)を披露させていただいた。
さて、文化とは生活様式、習慣、伝統などあるが、私が思う失ってきた良き日本文化とは、誠実さ、自然との共生、勤勉さ、思いやりなどの日本人の特性を挙げたい。具体的には次のような外国人の記述からも知ることができる。フランシスコ・ザビエルの『この国の人々は今までに発見された国民のなかで最高であり、日本人より優れている人々は、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。』、イザベラ・バードの『3時間の旅であったが、他人や私達に対する人々の礼儀正しい態度、そしてすべてのふるまいに私はただただ感心するばかりだった。それは美しいものだった。とても礼儀正しくしかも親切。私達の最も良いマナーも日本人のマナーの気品、親切さには及ばない。』、シュリーマンの『この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地が見られる。』、エドワード・モースの『宿に残したお金などが1週間前と全く同じ状態で野押しされており、日本がいかに安全で人々がどれほど誠実であるかを知った。』である。
先に述べたように、これらの日本人の特性は交流した台湾人の方から気づかされた。特に日本統治時代に台湾で生まれ、日本の教育を受けた日本語世代の台湾の方々は正に戦後の日本人が失った日本人の特性を身につけておられる日本人ではないかと思っている。お会いしてなんとも言い表せない懐かしさを感じるのは、私だけではないだろう。
私は、そういう日本人の特性を作っているのは日本語ではないかと思い、第1回目から日本語世代の方々と話すことを楽しみにしてきた。戦後日本語が単純に省略され、また経済至上主義や行き過ぎた個人主義などにより日本の伝統が伝えられず、悪いほうに変化してきた日本語ではない本当の日本語が台湾にあると思ったからである。70年近くたった今でも日本語を流暢にお話しされる日本語世代の方々は、(読み書きも問題なく、戦前の正しい書き言葉を知ることができる)日本再生になくてはならない〔日本の宝〕であると思っている。しかし、日本語世代の方々は前回より減っている。もう、90歳台がほとんどで時間がない。私がしたいことは、日本語世代の方々の日本語から正しい・美しい日本語を再発見し、現代の人に伝えることである。今回はビデオを持参したので日本語世代の方が話される日本語・お姿を録画することができた。これを多くの日本人に見せることで本当の日本人の姿に気づかせる方法がないか考えている。
日本人が破壊した日本文化を守っている台湾
今回、本物の御真影奉安殿を見ることができた。(御真影と教育勅語を収めた金庫も中に保管されていた)戦後、戦前の日本を否定した日本では奉安殿を徹底して破壊してきたため今まで実物を見たことはなかったが、現台南市新化小学校に残っており、元校長先生や市職員の方々から説明を受けることができた。説明によると戦後国民党が進駐してきたときは、奉安殿を中国の宗教施設か国民党歓迎施設にカモフラージュして破壊を免れたそうである。このように、本家の日本人が破壊したものを、台湾に残った旧日本人が守ってきたことに感謝の気持ちでいっぱいになった。この他に、明石元二郎台湾総督を祀った神社の鳥居を元の位置に建立した台北市議にも感謝したい。こればかりではなく、今の日本が失った有形・無形の日本文化はもっとたくさんあり、この慰霊訪問の旅は日本文化発見の旅でもある。
私は、台湾で日本や日本人が好感をもたれているのは、戦前の日本人が立派な行いをしたからで、このことは日本人を祭神としている事や遺跡を守っていることなどから自分の目で確認することができた。また、日本語世代の方々からは、『当時の日本教育はすばらしかった』、『日本のおかげで今の台湾はある』、『今も日本にならないか』、『兄弟の日本がこまっていて助けるのは当たり前』などの声を聞いた。
戦後の日本では、戦前の日本を全面否定した教育を施してきたことから、世界一の反日国家と成り下がった日本。戦前と戦後の日本の歴史観、業績、文化が分断され、歴史の継続性がない日本。戦前の日本のそれらを守り保存してきた台湾の方々に感謝しなければならない。
最後に
今回の参加者は20代の女性から90近い元陸軍兵士の方まで幅広い年齢、職業の方々が参加されている。今後も多くの立場の方が参加し、それぞれの立場で日台共栄のために活動されることと思う。私も、今回慰霊訪問を終え、日本語世代以降の方々との日台の交流並びに共栄を図るため行動していきたいと強く思うようになった。毎回参加する意義がある。次回も訪問団への貢献と自分の課題を解決するため、是非参加したい。
最後に、小菅団長はじめ事務局の皆さん、並びに他の参加者の皆さんのおかげでこの意義ある慰霊訪問団に参加できたことに改めて感謝申し上げる。ありがとうございました。
第14次 団員の声(感想文)全18件
- 『歴史とは虚飾、捏造、歪曲されない真実を後世に伝えていくもの』それが親善友好の絆となる(永石辰郎)
- 台湾との絆・交流を求めて(松俵義博・松俵茂子)
- 日本と台湾の歴史的淵源は深く絆は固い(永田昌巳・永田タマミ)
- 今も心に残る「海ゆかば」(矢ヶ部大輔)
- 懐かしい再会と日本文化の発見(原田泰宏)
- 小さくとも正しき基礎は、その後の発展を約束する(木村秀人)
- アイデンティティを共有した台湾と日本の強い絆(中島公明)
- 台湾教育の事始め―芝山巌事件における六士先生遭難(古賀誠)
- 悲でもなく辛でもない静かな涙で、喉詰まる国歌斉唱(青木繁政)
- 慰霊を中心とし、第一義とする。必要な物は集まってくる(石川秀久)
- 日台の深いつながりには重くて大切な過去がある(桐野隆徳)
- 森先生の「海ゆかば」(新谷章)
- 日本と台湾、生命の絆(中村哲)
- はるか台湾で輝く『警察魂』―義愛公「森川清治郎先輩に捧ぐ」(藤末耕一郎)
- 何とかして日本と日本人を守らなければならない(森敬惠)
- 「海ゆかば」(鎮魂歌)が外交部に響く(中山茂)
- 不思議な糸で引き寄せられる台湾(堂端聖子)
- 御英霊の命が生かされるように(清瀬武子)