団員の声(感想文)
慰霊を中心とし、第一義とする。必要な物は集まってくる
第二班 副班長 石川秀久
今回の慰霊訪問団に参加させて戴いた感想は、2つあります。
1つ目は、団長が仰っておられる『慰霊を中心とし、第一義とする。必要な物は集まってくる』事と、2つ目は、松俵副団長が訪問先で良く言われていた『ご縁』と言うことを実感する旅行となりました。
今回の訪問団に参加させて戴こうと思った理由の1つに慰霊のことも有りましたが、一方で東日本大震災時に示していただいた台湾の方々の暖かいご支援は、何処から来るのかを探って見たいと常々思っておりました。
昨年3月25日、定年退職の記念に台北を訪れ、街角で何気なく後ろを振り返った途端に『ガンバレ日本』の大きな横断幕が目に入りました。大震災から2週間足らずでかけられていた横断幕を見て本当に驚きました。その後も、ご承知の多額の義捐金も私にとっては衝撃的な事でした。今回、外交部を訪問の際に青木繁政団員から義捐金のお礼と、その好意を無にするような事に関してお詫びの言葉があった事は、何事も形に表す事が出来ない私にとって大変救われる思いでした。
また、今回は私から図った訳ではありませんが、目に見えないもので繋がっていた事を実感致しました。これをご縁と言うのでしょうか。
私が大学に入り、たまたまクラス担任になった方が王育徳先生で、台南市のご出身でした。先生の著書より略歴をご紹介しますと、先生は、戦前に日本教育を受け(旧制台北高校。東大)、戦後台湾を占領した中国国民党の独裁政治を批判した為に、政府に睨まれ1949年に日本に亡命、その後日本で大学教授として生活するかたわら、『台湾独立運動』『台湾語の研究』『台湾人元日本兵士の補償問題』等で力を注がれた様です。一方で、学者として台湾の歴史や文学・言語に関する著作を多数残しておられましたが、故郷台湾に帰ることなく1985年に他界されました。
以上の事は、当時は恥ずかしながら私は殆ど存じ上げず、クラス担任と第二外国語の先生としかとらえておりませんでした。
王先生の中国語の授業は、厳しいことで有名でした。授業中も大学の授業では珍しく私語など一切なく、緊張感が漂っていた事を今でも覚えております。時あたかも学生運動(浅間山荘事件など)の激しい時で、構内では内ゲバ(死語?)や活動家による授業占拠などもよく行なわれていました。先生は活動家に授業の邪魔をさせるはずも無く、勿論活動家も先生には近寄らず、授業は妨害される事無く淡々と行なわれました。今も記憶に残っている言葉は、『棒切れを振り回して騒いでも、政治は変わりませんよ』とよく仰っていました。
私はその時の深い意味を知る事も無く、先生が台湾独立運動に東奔西走されていた事も露知らず、後年になりその仰っていた意味が少し分かった様な気が致しました。
それから台湾語の事も使用禁止令が出され、行く末を案じて台湾語の研究で博士号を取られた様です。
今回偶然にも台南市で1泊する事になり、先生の母校であり戦後一時教壇に立たれた台南一中がホテルの近くだと分かり、訪問団の規則をチョット破ってしまいましたが、早朝に台南一中まで出かけ、日本に亡命する為に慌しく授業を抜け出していかれた校舎を感慨深く見る事が出来ました。
先生は亡命生活を助けてくれた事も有り、日本に大変恩義を感じておられました。また、小学校時代(末廣公学校)に日本人教師によって徹底的に鍛えられた様で(日本精神)、お陰で公学校から台南一中に進む事が出来たと仰っていた様です。
今回、塩水小学校を訪問した折に、時間割に『本土』と記してあり、これも青木団員が質問され、「台湾語」の授業ですと校長先生がお答えになり、王先生が言った『台湾語が滅びる時は、民族が滅びる』との考えで台湾語を研究された事を思い出しました。(国民党に睨まれたひとつが、台湾語を使っての演劇活動だった様です)
済化宮で黄文雄先生に王先生の事をお話しましたら台湾独立運動の事をよく覚えておられ、言語に付いて随分と議論を戦わせた仲だと仰っておられました。
改めて個人的にも台湾と深く繋がっていた事を実感いたしました。それはまた、3万3千余柱の原台湾人元日本兵軍人軍属のご英霊が、今もなお日本と台湾の絆を深くして守って戴いていると感じました。
最後になりましたが、今回初めての参加でしたが、楽しく、そしていつまでも心に残る慰霊訪問の旅が出来ました事を、色々な所でお心遣い戴いた団長初め役員の方々、また団員の皆さまに心より御礼申し上げます。
第14次 団員の声(感想文)全18件
- 『歴史とは虚飾、捏造、歪曲されない真実を後世に伝えていくもの』それが親善友好の絆となる(永石辰郎)
- 台湾との絆・交流を求めて(松俵義博・松俵茂子)
- 日本と台湾の歴史的淵源は深く絆は固い(永田昌巳・永田タマミ)
- 今も心に残る「海ゆかば」(矢ヶ部大輔)
- 懐かしい再会と日本文化の発見(原田泰宏)
- 小さくとも正しき基礎は、その後の発展を約束する(木村秀人)
- アイデンティティを共有した台湾と日本の強い絆(中島公明)
- 台湾教育の事始め―芝山巌事件における六士先生遭難(古賀誠)
- 悲でもなく辛でもない静かな涙で、喉詰まる国歌斉唱(青木繁政)
- 慰霊を中心とし、第一義とする。必要な物は集まってくる(石川秀久)
- 日台の深いつながりには重くて大切な過去がある(桐野隆徳)
- 森先生の「海ゆかば」(新谷章)
- 日本と台湾、生命の絆(中村哲)
- はるか台湾で輝く『警察魂』―義愛公「森川清治郎先輩に捧ぐ」(藤末耕一郎)
- 何とかして日本と日本人を守らなければならない(森敬惠)
- 「海ゆかば」(鎮魂歌)が外交部に響く(中山茂)
- 不思議な糸で引き寄せられる台湾(堂端聖子)
- 御英霊の命が生かされるように(清瀬武子)